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幕間 たまにはフラグがない時間

「……撒いた。どうやら、追手ヒロインたちはいないようだな」


全校集会という名の公開処刑から命からがら逃げ出した俺、月島つきしま さくは、学園の敷地の最西端――

【旧第3理科棟裏のデッドスペース】へと身を潜めていた。

この学園は無駄に敷地が広く、生徒数も多い。だが、だからこそ「誰の目にも止まらない死角」が存在する。


俺が今いるここは、使われなくなった古い理科棟と、ツタが絡まった錆びたフェンスの間に挟まれた、幅2メートルほどの極小の裏通路だ。

足元には雑草が生い茂り、頭上では巨大な業務用のエアコン室外機が「ブォォォォ」と低い重低音を響かせている。日当たりは最悪で、少し埃っぽい匂いがする。


「素晴らしい……。これぞまさに、背景同化型モブのための憩いの場だ」


主人公やヒロインというものは、基本的に「見栄えの良い場所」にしか出没しない。

桜の舞い散る中庭、夕陽に染まる屋上、あるいは誰もいない放課後の綺麗な図書室。こんな、室外機の排熱と錆びた鉄の匂いしかしないジメジメした裏道で、運命の出会いなど起こるはずがないのだ。


俺は室外機の横に無造作に置かれていた、ひび割れたコンクリートブロックの上に腰を下ろした。

そして、先ほど自販機で買ってきた、微糖ですらない「無糖のブラック缶コーヒー」のプルタブを、カシュッと音を立てて開ける。


「……いただきます」


一口飲む。

苦い。ただひたすらに苦く、そして泥水のように黒い。

だが、この何の甘ったるさもない、純度100%の苦味こそが、今の俺の荒れ狂った胃袋と精神には何よりの特効薬だった。


「ふぅ……」


俺はコンクリートの壁に後頭部を預け、狭い建物の隙間から見える、四角く切り取られた青空を見上げた。

俺の両親は、親に借金など一円もない、ただ真面目に毎日を満員電車に揺られて働く会社員だ。

そんな両親がコツコツと稼いだお金で、俺はこの学園に通わせてもらっている。本来なら、目立たず、騒がず、図書室で借りた小説でも読みながら、平凡で穏やかな高校生活を送るはずだったのだ。


それなのに、なぜ俺は朝の4時からドローンに監視され、幼なじみに落とし穴を掘られ、全校生徒の前で純金製の足首トロフィーを持たされているのだろうか。


「……まあいい。今はただ、このブラックコーヒーと、室外機の音だけが俺の友達だ」


目を閉じ、静寂(※室外機の音はうるさいが)に身を委ねる。

フラグの気配はない。電子音も鳴らない。

10分。あと10分だけここで時間を潰したら、教室に戻って午後の授業を受けよう。そして放課後は、誰よりも早く正門を駆け抜け、真っ直ぐに実家へ帰るんだ。

ニャァ。


「……ん?」


ふと、足元から小さな鳴き声がした。

薄目を開けると、そこには一匹の薄汚れた三毛猫が座っていた。学園に住み着いている野良猫だろうか。


「なんだ、お前もこの場所の良さがわかるのか? いい趣味してるな。だが、俺は餌なんて持ってないぞ」


俺はハードボイルドなモブを気取り、缶コーヒーを揺らしながら言った。

三毛猫は俺の言葉を理解したのかしていないのか、トコトコと歩み寄り、俺の足元に何かを「ポトッ」と落とした。


「ん? なんだこれ……」


見ると、それは土がついた、『第二ボタン』だった。

おそらく、卒業式か何かで誰かが引きちぎり、そのまま落としていったものだろう。

ピコーン。


「…………ッ!?」


俺の網膜に、極小の電子音が響いた。

三毛猫の頭上に、耳かきの先ほどのサイズの【小さなフラグ】が突き刺さっている。


『捨て猫が運んできた第二ボタンをきっかけに、動物好きの心優しい男子としての隠れた魅力が解放され、遠くからそれを見ていた女子生徒の心を射抜く微小フラグ』


「(野良猫おおおおお!! お前まで俺にイベントをふっかけてくるのか!!)」


俺は慌てて周囲を見回した。

まさか、こんな死角に誰か見ている女子生徒がいるのか!? いや、誰もいないはずだ。だが、この学園は油断ならない。どこかの窓から、あるいはどこかの監視カメラ(主に若桜財閥の)から、俺の姿が捉えられている可能性はゼロではない!


「バカ野郎ッ! 誰が第二ボタンなんて拾うか! 俺は猫アレルギーだ!!(※嘘)」


俺はコンクリートブロックから跳ね起き、飲みかけのブラックコーヒーを一気飲みして空き缶をゴミ箱にダンクシュートすると、聖域サンクチュアリから脱兎のごとく逃げ出した。


「ニャーン?」


首を傾げる三毛猫と、泥だらけの第二ボタンを残して。

学園の敷地内において、月島 朔に安息の地など存在しない。

それが室外機の裏の野良猫相手であろうとも、ラブコメの神様は容赦無く彼を追い詰めるのだった。


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