40.奇跡の再会
洞窟の入り口付近。俺、月島 朔は、腕の中にしがみついて離れない雫乃の体温の低さに戦慄していた。
「……サム、イ…ギガッ…… 朔ちゃん……離さないで……ガガガガガ……もっと、ぎゅって…
」
(……マズい。本来なら『極限状態の密着イベント』確定演出だ。だが、このままじゃ俺の体温まで持っていかれて共倒れになる! 俺の理性が崩壊する前に、物理的な熱源を確保するしかない!)
俺は自分の中に眠る「サバイバル知識」を叩き起こし、雫乃の腕を強引に引き剥がした。
「雫乃、そこどけ。火を熾す」
「……えっ? でも、朔ちゃん、あたしたち……こうして、くっついてないと……死んじゃうよぉ……」
「(火の方が圧倒的に熱量が高いんだよ! )」
俺は雫乃を岩場に座らせると、洞窟の奥で集めた枯れ枝とスニーカーの紐を使い、猛烈な勢いで弓きり式火起こしを開始した。
腕の筋肉が断末魔を上げ、シュルシュルと乾いた音が響く。そして――。
パチッ。
「……っ、きたああああ!! 世紀の発明、火だ!!」
俺は慎重に火種を枯草に移し、一気に炎を大きくした。焚き火のオレンジ色の光が洞窟を照らす。
だが、火が熾きたからといって安心はできない。濡れた服を着ていては、気化熱でどんどん体力が奪われていく。
「……雫乃。………服を脱げ」
「……えっ?」
「今すぐ全部脱げ。濡れた服を着たままだと、いくら火があっても凍死する」
「……あ、あは……。朔ちゃん、こんなところで、急に男の子なんだね……。いいよ、朔ちゃんが『あたしを支配したい』なら、あたし……喜んで……」
「(違う! 見たいとかそういう不純な動機じゃない! !!)」
俺の意図を理解してるのかはわからないが、雫乃は一瞬息を呑み、そしてさらに頬を赤く染めた。
「……うん。わかった。朔ちゃんの言う通りにするね……♡」
背後で衣擦れの音が響く。俺は必死に視神経を壁に固定し、彼女が脱ぎ捨てた濡れた制服を受け取ると、手近な枝に掛けて火に翳した。合羽一枚を羽織った雫乃の頭上には、ドス黒く脈打つ【真紅のフラグ】が「一生ついていきます」とばかりにギラギラと輝いていた。
「(…… 今は命が優先だ……!)」
俺が焚き火の番をしながら、何とか救助までの算段を立てていた、その時だった。
「……せん、ぱい……?」
洞窟の入り口から、震えるような、か細い声が聞こえた。
俺は弾かれたように振り返る。
そこには、泥にまみれ、髪をボサボサに乱した一人の少女が立っていた。
小日向 巳波だった。
「……巳波!? お前、一人か?翡翠は? 葵依や志乃さんたちも……」
「……みんなは、途中で引き返しました。……道が、もう無かったから…」
巳波の息は絶え絶えだった。
いつもなら、完璧な計算のもとに作り上げられた「腹黒エンジェルスマイル」を浮かべている彼女が、今はただの迷子のように、虚ろな瞳で俺を見つめている。
彼女の手には、画面がバキバキに割れ、泥だらけになったスマホが握りしめられていた。
「………ほんとに、先輩……? 幻、じゃないですよね……?」
巳波が、フラフラとした足取りで洞窟の中へ入ってくる。
そして、焚き火の光に照らされた俺の顔をはっきりと認めた瞬間――。
「あ……ああ……ああああああっ!!」
巳波は、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ち、そのまま四つん這いになって俺の足元へ這い寄ってきた。
「せ、先輩っ! 先輩っ!! よがった……よがったぁぁぁ……っ!!」
彼女は俺の濡れたズボンに顔を押し当て、子供のように声を上げて泣きじゃくり始めた。
それは、俺を思い通りにコントロールしようとする「計算高い後輩」の涙ではない。本当に、心の底から大切なものを失いかけた少女の、剥き出しの慟哭だった。
「おい、巳波、落ち着け。怪我はないか? 泥だらけじゃないか」
俺が彼女の肩に触れると、巳波は弾かれたように身を起こし、今度は俺の首に両腕を回して、全力でしがみついてきた。
「バカっ! 先輩の、大バカぁ!! 崖から落ちるなんて、あたしのシナリオに無いんですよぉ!!」
「ぐぇっ、首、首締まってる……!」
「GPSの信号のとこにもいなくて……。川岸で、先輩の服の切れ端を見つけた時、あたし……あたし、どうにかなっちゃうかと思ったんですからね!! 息ができなくて、心臓が痛くて……先輩がいなくなったら、あたしの世界、全部意味ないのにぃ……っ!!」
巳波の瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち、俺の首筋を濡らしていく。
普段は誰よりも理性的で、裏から俺の外堀を埋めていく彼女が、今はただ、俺の体温を確かめるように、必死に、痛いほどの力で抱きついて離れない。
「……怖かった……! 先輩の匂いが消えちゃうのが、先輩のかっこいい顔がもう見られなくなるのが、ほんっとうに怖かったんですぅ……!!」
「……悪かった。心配かけたな」
俺は困惑しながらも、彼女の泥だらけの背中を、ゆっくりと撫でた。
俺を探すために、この豪雨の中、道なき道を一人で這い進んできたのだろう。彼女の小さな手は傷だらけで、氷のように冷え切っていた。
「……ずるいです、先輩。あたし、先輩のことなら全部手のひらの上で転がせると思ってたのに。……こんなに、あたしの感情をめちゃくちゃにするなんて……」
泣きじゃくる巳波の声が、少しずつ、元の「甘い毒」を帯びたトーンへと変わっていく。
彼女が顔を上げると、涙に濡れたその瞳は、いつもの計算高い黒さとは違う、もっと重く、深く、狂気的な熱を宿して俺を捉えていた。
「……あたし、シナリオを書き換えます。先輩をあたしの隣に置くためなら、もう、手段なんて選びません。…………一生、あたしの手作りの檻の中で、飼ってあげますからねぇ……♡」
ピコピコピコーン!!!
俺の網膜に、もはや見慣れた爆音フラグが突き刺さる。
『死の淵から蘇った奇跡の再会! 計算高い後輩の仮面が完全に外れ、手段を選ばない【絶対保護・監禁型ヤンデレ覚醒フラグ】!』
「(アカン!! 巳波のヤンデレが、本気の涙を経て、カンストを通り越して次元進化しやがった!!)」
「……せんぱい。……あったかいですぅ……先輩の、匂い……」
巳波は俺の胸に頬をすり寄せ、満足そうに目を細めた。
極限の緊張と疲労が、一気に押し寄せてきたのだろう。彼女の激しい呼吸は次第に穏やかになり、俺に抱きついたまま、スヤスヤと安らかな寝息を立て始めた。
「……寝ちゃったよ。どんだけ無茶して来たんだ、お前……」
俺は溜息をつきながら、自分が羽織っていた上着を巳波の肩にそっと掛けた。
ふと視線を感じて横を見ると、合羽を着た雫乃が、俺の腕の中で眠る巳波を、信じられないほど冷たい、氷点下の瞳で睨みつけていた。
「(……ヒィィッ! こっちはこっちで殺意がヤバい! 嵐の密室で、ヤンデレ幼なじみVS覚醒したヤンデレ後輩の修羅場が物理的に形成されてる!!)」
洞窟の入り口を叩きつけていた滝のような轟音は、しっとりとした微かな雨音へと落ち着き始めていた。
サバイバル編終了まであと少し




