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31.星降る山奥と、甘い鳥籠

ヘッドライトを消したまま、完全な暗闇の林道を駆け上がっていた黒のSUVは、やがて鬱蒼とした木々のトンネルを抜け、開けた場所へと滑り込んだ。


「……着いたわ。ここが、私たちの『新しいおうち』よ」


運転席の御影みかげ 志乃しのさんが、サイドブレーキを引きながら、甘く、そしてどこか冷たい声で呟いた。

SUVのヘッドライトが再び点灯し、目の前の光景を白日の下に晒す。


そこにあったのは、周囲を高い木々に囲まれ、外界から完全に遮断された、古くも巨大な木造の別荘ログハウスだった。


(……マジで山奥だ。街の灯りはおろか、自動販売機一つ、アスファルトの道路すら存在しない。文字通りの『陸の孤島』じゃないか……!)


俺、月島つきしま さくは、助手席でゴクリと唾を呑み込んだ。


「さあ、降りて朔君。荷物を運ぶの手伝ってくれる?」


志乃さんに促され、俺は恐る恐る車を降りた。

ひんやりとした山の空気が肌を刺す。見上げれば、街では絶対に見られないほどの満天の星空が広がっていたが、今の俺にはそれが、巨大な鳥籠の天井のようにしか見えなかった。


志乃さんがSUVの後部座席とトランクを開ける。


(……なっ!? なんだ、この異常な量の荷物は!?)


俺は絶句した。

トランクには、スーパーのレジ袋が優に十個以上、さらにミネラルウォーターの箱、大量の缶ビール、レトルト食品、日用品の数々が、テトリスのようにギッシリと詰め込まれていたのだ。


「夕方、買い出しに行った時ね。……君をあんな危険な外の世界に出さなくて済むように、二週間は一歩も外に出なくても生きていけるだけの物資を買い占めておいたの」


志乃さんは、俺の驚愕の表情を見て、妖しく口角を上げた。


「君は私が守ってあげるって、言ったでしょ? ……さあ、中に入りましょう」


俺は震える手で荷物を持ち、志乃さんの後に続いて別荘の玄関へと向かった。


ガチャリ、と重い金属音が響く。

志乃さんが鍵を開け、分厚いドアを押し開いた。


長年使われていなかったのか、カビと埃の匂いがツンと鼻を突く。ブレーカーを上げると、オレンジ色の暖かみのある電球が、だだっ広いリビングを照らし出した。


大きな暖炉、革張りのソファ、そして奥には寝室へと続く重厚な扉。


「あー、やっぱり埃だらけね。……ねえ、朔君。悪いけど、この部屋も綺麗にお掃除してくれる? 君の魔法みたいな家事スキルで」


志乃さんは、持っていた荷物を床にドサリと置くと、そのまま埃を被ったソファにダイブし、ゴロゴロと身をよじった。


(……この人は、どこまで行っても『怠惰な大人』なんだな。……だが、その怠惰さこそが、今となっては一番恐ろしい!)


俺は荷物をキッチンに運びながら、ポケットから自分のスマホを取り出した。


画面を見て、血の気が引く。


(……圏外。アンテナのマークが一つも立ってない。完全に電波が死んでる……!)


「無駄よ、朔君」


ソファに寝転がったままの志乃さんが、俺の行動を背中で見透かしたように言った。


「ここはテレビも映らないし、Wi-Fiなんて当然飛んでないわ。固定電話の回線も、何年も前に切ってある。……もう、誰とも連絡は取れないの。あの子たちのハッキングも、GPSの追跡も、ここまでは絶対に届かないわ」


志乃さんがゆっくりと身を起こし、俺の方へ歩み寄ってくる。

その足取りは、先ほどまでの荒々しいカーチェイスを繰り広げたドライバーのものとは思えないほど、優雅で、そして獲物を追い詰める肉食獣のように滑らかだった。


「……どう? 朔君。これでやっと、完全に邪魔者が消えたわ。……君の平穏な日常は、私が保証してあげる。だから……」


スッ、と。

志乃さんの白い腕が、俺の首に絡みついた。


大人の女性特有の、少し高価な香水の匂いと、アルコールの甘い香りが俺の理性をクラクラと揺さぶる。


「……これからは、私のためだけに、ご飯を作って。私のためだけに、部屋を綺麗にして。……私だけを見て、私の中だけで生きていけばいいの」


ピコーン!!!


俺の視界を、完全な紫色が覆い尽くした。


志乃さんの背後に、巨大な鉄格子のような形をした【絶対軟禁・合法飼育フラグ】が、もはや物理的な質量を持って俺を押し潰そうとしている。


(アカン!! これが『モブの死』だ!! 暴力で殺されるんじゃない! 大人の財力と甘やかしによって、自立する意志を完全にへし折られ、社会から抹殺される『飼い殺し』のバッドエンドだ!!)


俺は必死に抵抗を試みた。


「み、御影さん! 気持ちはありがたいですが、俺は高校生です! 連休が終われば、学校に行かなきゃいけないんです! ずっとここに引きこもっているわけには……」


俺の真っ当な主張に対し。


志乃さんは、フフッ、と余裕の笑みを浮かべ、俺の耳元で恐ろしい事実を囁いた。


「……大丈夫よ。君の学校のことなら、私が『特別な権限』で、いくらでも誤魔化してあげるから」


「え……? 特別な権限……?」


「ふふっ、今はまだ内緒。……でもね、大人には、子供の社会を合法的に操作する力があるのよ。君のご両親だって、私が説得すれば、君をこの別荘で療養させることに納得するわ。……君はもう、何も心配しなくていいの」


(なんだって!? この人、ただのズボラなOLじゃないのか!? 学校や親にまで干渉できる力があるっていうのか!?)


志乃さんの言葉は、俺の最後の希望(社会との繋がり)を完全に断ち切るものだった。


逃げ場はない。


俺は今、この真っ暗な山奥で、一人の大人の女性の『永遠のペット』として、首輪を嵌められようとしているのだ。


「さあ、朔君。……とりあえず、お風呂でも沸かしてこようかしら。君も、汗かいたでしょ? 一緒に……」


志乃さんが、俺の唇を奪おうと、その艶やかな顔を近づけてきた。


万事休す。


俺のモブとしての青春が、紫色の猛毒に完全に溶かされようとした、まさにその瞬間だった。


ドドドドドドドドドドッ……!!!!


別荘の床が、微かに、しかし確実に振動し始めた。


それは地震ではない。何かが、空気を切り裂きながら、この山奥の孤島へと向かってくる『重低音』だった。


「……え? なに、この音」


志乃さんが動きを止め、不審そうに窓の外を見た。


振動は次第に大きくなり、やがて、別荘を囲む木々が強風に煽られて激しく揺れ始めた。


バババババババッ!! という、空気を叩き割るような爆音。


俺と志乃さんは、別荘の窓ガラスに顔を近づけ、真っ暗な夜空を見上げた。


(……ウソだろ。あいつら、本当に……!)


「……見つけたわよ、泥棒猫」


上空から、拡声器を通した、若桜わかさ 葵依あおいの絶対的な怒号が降ってきた。


窓の外。

星空を覆い隠すように現れたのは、サーチライトで別荘を煌々と照らし出す、二機の『軍用大型ヘリコプター』だった。


(ヘリ!? 女子高生が、ただの恋愛のいざこざで、軍用ヘリを飛ばしてきただとぉ!?)


俺は腰を抜かして床にへたり込んだ。


「ちょ、ちょっと! なによあれ! どうしてここがバレたのよ!」


志乃さんが、初めて余裕を失った顔で叫ぶ。


『あははっ! お姉さん、甘いですねぇ! あたしがハッキングしてもらったのはカーナビだけじゃありませんよぉ。お姉さんのスマホのGPSから、この別荘の登記簿データまで、全部特定済みですぅ!』


ヘリのスピーカーから、小日向こひなた 巳波みなみの狂った笑い声が響く。


「……主君の奪還。これより、強行突入を開始する」


サーチライトの光の中、ヘリのハッチからロープがスルスルと投下され、そこを伝って、タクティカル・ギアで完全武装した銀髪の騎士・三栗屋みくりや 翡翠ひすいが降下してくるのが見えた。


「朔ちゃあああああああん!! 待っててねええええええ!! 今、助けるからねええええ!!」


さらに、地上からは、幼なじみの桃瀬ももせ 雫乃しずくのが、出刃包丁を片手に山道を爆走してくる気配が迫っていた。


大人の権力セーフハウスを、常軌を逸した「財力」と「武力」と「ハッキング能力」が、物理的に包囲していく。


「……ッ! やらせないわ! 朔君は、絶対に渡さない!」


志乃さんは、キッチンの引き出しからなぜか護身用のスタンガンを取り出し、玄関のドアの前に立ちはだかった。


彼女の背中にも、もはや退くことのできない大人の狂気が張り付いている。



連休三日目の深夜。

誰も来ないはずの星降る別荘は、五人のヒロインたちの愛と殺意が激突する、文字通りの『最終決戦のラスト・バトルフィールド』へと変貌を遂げた。


空からは軍用ヘリ。

地上からは完全武装のヤンデレたち。

そして内側には、俺を一生逃がさないと決意した大人の女。


「(……神様。俺はただ、連休中、家でゆっくり本を読んで過ごしたかっただけなんです。……なぜ、どうしてこうなったあああああああッ!!)」


俺の魂からの絶叫は、ヘリコプターの爆音と、ヒロインたちの狂乱の雄叫びに完全に掻き消され、深い森の闇の中へと吸い込まれていくのであった。

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