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3.主人公席の攻防と、銀髪美少女の盛大な勘違い

学園の絶対女王・若桜葵依わかさあおいによる、廊下での「四つん這い足首ホールド&覇王色フラグ爆発」という、人類には早すぎる致死量のイベントから、俺はどうにか生還を果たした。


「……今日、まだ1時間目すら始まってないんだぜ。俺、なにか悪いことしたか?」


俺、月島朔つきしまさくは、もはや歩く死体ゾンビのような足取りで2年B組の教室へとたどり着いた。


朝から占いのラッキー要素(純白)を回避するための真っ黒なカーディガンは、幼なじみの桃瀬雫乃ももせしずくのとの激突による砂埃で白くなり、下駄箱では前髪パッツン鈴木の小テストを足でリフティングして変なフラグを立て、トドメに絶対女王に目をつけられた。


俺の両親は、親に借金など一円もない、至極真っ当で平穏な会社員だ。そんな善良な一般家庭で育った、至ってノーマルな俺のHP(精神力)は、すでにマイナスを振り切り、裏返って謎のハイテンション状態に突入しつつあった。


教室の扉を開け、俺は自分の席へと向かう。

――そこで、本日四度目の絶望が俺を襲った。


「忘れてた……席替えしたんだった……!」


俺の席。それは教室の最後列、一番窓側。

アニメや漫画において、窓の外を眺めて黄昏れたり、遅刻してきたヒロインを窓から目撃したり、屋上への階段へ向かう最短ルートだったりする、いわゆる【主人公席】である。


昨日の席替えのくじ引きでここを引き当ててしまった己の右手を、俺は呪った。この席に座っているだけで、謎の「物語の中心人物感オーラ」が出てしまい、フラグの発生率が跳ね上がるのだ。


「ダメだ。こんな特等席に座っていたら、俺のモブライフが完全に崩壊する。誰かに代わってもらわなければ!」


俺は教室を見渡し、ターゲットを絞った。

前の方の席に座っている、図書委員長を務める真面目な女子生徒、工藤だか加藤だ。


工藤の席はエアコンの風が直撃する、いわゆる「アリーナ席」で、彼女は寒そうに肩をさすっている。よし、あの席なら「目立たない前列の端」だ。俺のモブライフにふさわしい。

俺は工藤の席へ歩み寄り、声をかけようとした。


「なぁ工藤さん。その席、エアコンの風が当たって寒いだろ。もしよかったら、俺の窓際の席と代わらな――」


ピコーン!

「…………ッ!!」


俺が言葉を言い終わる前に、工藤の頭上に【黄緑色のフラグ】が元気よく飛び出した。

『寒がっている自分に気づき、わざわざ人気の窓際席と代わってくれた朔のさりげない優しさに、「ただのクラスメイト」から「特別な男子」へと意識が切り替わる胸キュンフラグ』


「(いかん、フラグが立った! ここで引いてはモブとしての人生は終わる! だが……)」


俺は引くこともできず、進むこともできず、無意識に背骨の限界に挑むような奇妙な角度に上体を反らせ、工藤に向かってビシッと指を突きつける、どこかの血脈が紡ぐ奇妙な冒険に出そうなスタイリッシュなポーズをとっていた。


俺の脳内で、白髪でふくよかなバスケ部の監督の声が響く。


『(モブとしての人生……ここで諦めたら、そこで試合終了ですよ……いや、諦めたらそこで、ラブコメの試合開始ですよ!!)』


「え? 月島くん、今なにか……その、すごい関節の柔らかいポーズだね、あとわたしの名前は九十九里浜よ?」


「いや! なんでもない! 今日の黒板はいつもより緑色が鮮やかで目に優しいなって思っただけだ! 気にしないでくれ!」


俺は、…先ほどの女子、えーと、工藤の顔を指差したまま、奇妙な角度のポーズを維持してカニ歩きをし、自分の【主人公席】へと戻り、ドカッと腰を下ろした。


危なかった。もう少しで「気配りの出来るスタイリッシュな隠れイケメン」として、図書委員長との間にフラグを建築してしまうところだった。

ガラッ。

その時、教室の前のドアが開き、担任の教師が入ってきた。


「席につけー。今日はホームルームの前に、転校生を紹介する」


途端に、教室中がざわめいた。

それもそのはずだ。担任の後ろに続いて入ってきた女子生徒は、あまりにも目を引く容姿をしていたからだ。


光の加減で色を変える、美しい銀髪のショートボブ。

透き通るような翡翠色エメラルドグリーンの瞳は、まるで精巧なビスクドールのように無表情で、ミステリアスな雰囲気を漂わせている。学園の指定制服を少しルーズに着崩し、カーディガンの袖が手の甲まで隠れる「萌え袖」になっているのが、彼女のクールな外見に絶妙な隙(可愛げ)を生み出していた。


三栗屋みくりや 翡翠ひすい

黒板に美しいチョークの字で記されたその名前を見つめていた俺の網膜に、再びあの忌まわしい電子音が響いた。


ピコオオオオオオオオオン!!!

翡翠の頭上に、軽快なポップアップと共に【青色のフラグ】が突き刺さる。


『隣の席になり、教科書を忘れた彼女に見せてあげる。肩が触れ合う距離での無言のコミュニケーションから、クールな彼女の心がゆっくりと溶かされていくフラグ』


「…………ッ!!」


俺は机の下で、拳を強く握りしめ、ガタガタと震え始めた。

隣の席? 冗談じゃない。俺の【主人公席】の隣は、つい昨日まで空席だった。つまり、彼女が俺の隣に来る確率は100%だ。

そしてフラグの発生条件は「教科書を見せてあげる」こと。


(朝のテレビ占い……双子座のラッキーアクションは『勉強を教えること』……!)


朝の死神(女子アナ)のお告げが、ここに来て牙を剥いてきたのだ。

教科書を見せるということは、机をくっつけ、互いの距離が30センチ以内に接近するということだ。シャンプーの香りが漂い、ページをめくる指と指が偶然触れ合い、ふとした瞬間に視線が交差する。そんな致死量のラブコメイベントを、俺のこの貧弱なモブ精神が耐えられるはずがない!


「えー、三栗屋の席は……最後列、月島の隣が空いてるな。月島、手挙げて」


「……」


俺は死刑宣告を受けた囚人のような顔で、ゆっくりと右手を挙げた。

翡翠が静かな足取りでこちらへ向かってくる。クラス中の男子の羨望の眼差しが俺に突き刺さるが、代われるものなら今すぐこの席を10万で売り飛ばしてやりたい。


翡翠が俺の隣の席に座った瞬間、俺の脳内に、白いモビルスーツに乗った内向的な少年の声が響いた。


『(教科書……僕にはまだ……僕にはまだ帰れるモブがあるんだ! こんなに嬉しいことはない……!)』


猶予は数秒。彼女が席に着き、1時間目の授業が始まる前に、このフラグをへし折らなければならない。

俺が教科書を見せるからフラグが成立する。ならば、俺が教科書を持っていなければいいだけの話だ!

俺はカバンの中から、新品同様の国語の教科書を引っ張り出した。


両親よ、本当にごめん。借金ひとつ作らず俺に買い与えてくれたこの真っ当な教科書を、俺は俺の平穏を守るために、今から犠牲にする。

俺は躊躇なく横の窓を全開にすると、腰を深く落として両手首を腰の横で合わせ、教科書をその間に挟むポーズをとった。


俺の脳内で、光る雲を突き抜けそうな、ワクワクする格闘バトルアニメの主題歌が流れる。

「月島……? お前、何をして……」担任が不審そうに声をかけるが、もう止まらない。


「きょー…うー…かー…しょー……波ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


俺が気を練り上げるように両手を勢いよく突き出すと、挟まれていた教科書は、まるで気功波のごときスピードで窓から飛び出し、校庭の茂みの彼方へと消えていった。


「……えっ?」


「月島!? お前、今なに見事に気を練るポーズで教科書ブン投げた!?」


担任とクラスメイトたちがドン引きの表情で俺を見ている。

完全に頭のおかしい奇行種だ。だが、それでいい。モブは時に、背景の狂人となることで難を逃れることができるのだ。


「ふっ……先生、ご報告があります」


俺は爽やかな笑顔でそう言い放ち、ドカッと椅子に座り直した。


「俺は今日、教科書という物質的な情報に頼る時代は終わったのです。俺の心は今、大空のように自由です」


「保健室、行くか?」


「健康そのものです!」


完璧だ。これで俺の手元に教科書は存在しない。どれだけ翡翠が困っていようと、物理的に見せてあげることは不可能になった。フラグ粉砕完了。俺のモブとしての平穏は守られたのだ。


「……月島、朔」


隣の席に着いた翡翠が、俺をじっと見つめていた。

ミステリアスな翡翠色の瞳が、瞬きもせずに俺の顔を捉えている。


「あ、ああ。よろしく、三栗屋」


「……私のために、わざと教科書を捨ててくれたのね?」


……ん?

なんだ、今の斜め上の質問は。


「いや、違うぞ。俺はただ、教科書を大自然に還したくなって……」


「嘘をつかないで」


翡翠は自分のカバンのジッパーを開け、中をガサゴソと探った。そして、そこが空っぽであることを確認してから、小さく息を吐いた。


「私、転校初日なのに教科書を忘れてしまったの。……あなたは私が席に向かってくる数秒の間に、私のカバンが薄いことを見て、それにいち早く気づいた」


「(いや、全然見てないけど!? 視力2.0でも透視は無理だろ!)」


「このままだと、私だけが『初日から忘れ物をしたドジな転校生』として浮いてしまう。だからあなたは……自分も教科書を持たないという道を選ぶことで、私の気まずさを打ち消してくれたのね」


「(どんなアクロバティックな論理展開!?)」


翡翠のクールな表情が、ほんのわずかに崩れ、その白い頬がほんのりと桜色に染まった。

萌え袖の両手で、自分の口元をそっと覆い隠す。彼女の脳内では、今、盛大な祝福が始まっていた。


どこかの汎用人型決戦兵器が戦うアニメの最終話のように、青空をバックにして俺、雫乃、葵依、モブ、モブ、そしてクラスメイト全員が、彼女をぐるりと囲んで手を叩いている幻覚だ。


『不器用おめでとう』『騎士ナイトおめでとう』『勘違いおめでとう』『フラグおめでとう』

そして幻覚の中の俺が、一際大きな拍手と共に爽やかな笑顔で言う。

『教科書ぶん投げおめでとう』


「……不器用で、なんて優しい人。……よろしくね、朔。私、あなたの隣の席で本当によかった」


ピコーン!!!

翡翠の頭上に刺さっていたフラグが、けたたましいファンファーレと共に形を変えた。

青色の旗は一気に発光し、【深い理解者にして、私だけの不器用な騎士様ナイトフラグ】という、もはや意味不明な特大の文字を浮かび上がらせたのである。


「ちがあああああう!!!」


俺は頭を抱えて机に突っ伏した。

回避行動が、なぜか「自己犠牲による究極の優しさ」として変換され、彼女の脳内で謎の最終回ばりの祝福を受けている。クールで理知的そうな見た目をしておいて、こいつの脳内はポジティブな勘違いファンタジーで埋め尽くされているのか!


「ふふ……照れ隠しなのね。可愛いところもあるじゃない」


「(頼むから俺を騎士ナイトにしないでくれ! 俺はただの村人Aだ!)」


朝の幼なじみ・桃瀬雫乃による四次元的ラッキースケベ物理衝突。

登校時の絶対女王・若桜葵依による足首ホールド執着スライディング。

そして、転校生の美少女・三栗屋翡翠による、気功波ポーズ教科書ぶん投げ自己犠牲ポジティブ勘違い。


まだ1時間目のチャイムすら鳴っていないというのに、俺の周囲にはすでに3本もの致死量の恋愛フラグが乱立している。


主人公席に座る月島朔の胃粘膜は、果たして今日一日持つのだろうか。絶望のスクールライフは、底なし沼のように俺を飲み込んでいくのだった。


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