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25.決死の逃走と、真夜中の救世主

俺、月島つきしま さくは、実家の二階にある妹の部屋の窓枠に足をかけ、夜の闇に向かって避難用ロープを垂らしていた。

背後のドアからは、四人のヒロインたちによる凄まじい破壊音が響き続けている。

ドアはすでに限界を迎え、メキョリ、メキョリと断末魔の悲鳴を上げていた。


「お兄ちゃん、健闘を祈るよ。あと、追加のロープ代として五千円、お小遣いから引いとくからね」


ゆいが、ゲーミングチェアに座ったまま、無慈悲な取り立てを宣告する。


「お前という奴は……! だが、背に腹は代えられない。この恩と借金は、連休が明けて生き延びていたら必ず返す!」


俺は決死の覚悟で窓枠を蹴り、ロープ伝いに二階から庭へと滑り降りた。

軍手などしていないため、手のひらに摩擦熱が走るが、そんな痛みを気にしている余裕はない。

俺の足が、無事に庭の芝生に着地した、その直後だった。


ドゴォォォォォォォンッ!!!


二階の結の部屋のドアが、ついに完全に粉砕される凄まじい轟音が夜空に響き渡った。


「朔ちゃあん! どこに隠れてるのぉ!?」


「……ターゲットの姿、部屋に無し。……窓が開いている」


「逃げたのね。SP、すぐに屋敷の周囲を包囲しなさい!」


「あははっ、先輩ったら、鬼ごっこが好きなんですねぇ。……絶対に逃がしませんからぁ」


二階の窓から、怒りと独占欲に満ちた四つの影が、逃走する俺の姿を的確に捉えた気配がした。


「(アカン!! 見つかった!!)」


俺は一目散に実家の門を飛び出し、夜の住宅街へと全力疾走を開始した。

「連休中は絶対に家から一歩も出ない」という俺の固い決意は、己の命と貞操を守るため、わずか二日で完全に打ち砕かれたのである。


(だが、後悔はしていない! あのまま狭い家の中にいれば、俺は確実に四等分されて、ラブコメの生贄にされていた!)


初夏の生ぬるい夜風が、汗ばんだ頬を撫でていく。

時刻は夜の十時になろうとしている。普段なら静まり返っているはずの平和な住宅街が、今はまるで巨大なサバイバルゲームのフィールドのように感じられた。

俺は息を殺し、街灯の光を避けながら、入り組んだ路地裏を縫うように走った。

モブとしての『背景同化スキル』を全開にし、足音を消し、呼吸を整える。


(どこへ逃げる? コンビニやファミレスは明るすぎるし、葵依の財力なら監視カメラの映像すら即座に買い取られかねない。……なら、身を隠せる暗闇が必要だ)


俺の脳裏に、実家から数ブロック離れた場所にある『さくら公園』が浮かんだ。

そこには、子供向けの巨大なジャングルジムや、土管のようなトンネル型の遊具がある。深夜の公園なら誰もいないし、暗闇に身を潜めるには絶好のポイントだ。

俺は最後の体力を振り絞り、公園へと向かった。


公園は予想通り、完全な静寂に包まれていた。

周囲に人気はなく、ただ風に揺れる木々のざわめきだけが聞こえる。

俺は急いでトンネル型の遊具の中へと這い込み、膝を抱えて息を潜めた。


「はぁっ……はぁっ……。ここまで来れば、さすがの奴らも……」


俺は暗いトンネルの中で、ようやく安堵の息を吐いた。

狭くて硬いプラスチックの上だが、あの四人の猛毒から逃れられるなら、ここは五つ星ホテルのスイートルームよりも快適だ。


しかし、俺は彼女たちの『執念』というものを、まだ甘く見ていた。


『――こちらアルファ。ターゲットの熱源反応を、第三セクターにてロストしましたわ』


静まり返った公園の夜空から、突如として無機質な機械音声が響き渡った。


「(……なっ!? 今の、葵依の声!? しかも空から!?)」


俺がトンネルの隙間から夜空を見上げると、そこには数機の小型ドローンが、赤いランプを点滅させながら編隊を組んで飛んでいた。


『構わないわ、ローラー作戦に移行しなさい。……朔、あなたに私の包囲網から逃げられると思っているの?』


拡声器を通した葵依の冷徹な声が、街全体に響き渡る。

若桜財閥の私設部隊が、この住宅街を完全に封鎖し、俺の捜索を開始したのだ。


「(街一つを巻き込むな!! ここは戦場じゃない、ただのベッドタウンだぞ!!)」


俺がトンネルの中で震え上がっていると、今度は公園の入り口の茂みが、ガサリと大きく揺れた。


「……朔ちゃん。あたし、知ってるよ。朔ちゃんが小さい頃、かくれんぼでいつもこの公園のトンネルに隠れてたこと」


(ヒィィィィッ!?)


月明かりに照らされて現れたのは、出刃包丁を片手に提げた幼なじみ、雫乃だった。

彼女の目は完全に据わっており、幼い頃の記憶という『最強のプロファイリング』を武器に、俺の隠れ場所を一直線に当ててきたのだ。


「朔ちゃん、早く出ておいで。あたしの特製スタミナ夜食、まだ温かいよ? 一緒に食べよう……?」


雫乃の足音が、ザッ、ザッ、と砂利を踏みしめながら、俺の潜むトンネルへと近づいてくる。


「(ヤバい! 見つかる! 逃げ出したいが、外には葵依のドローンが飛んでいる! 完全に詰みじゃないか!)」


俺が絶望の淵に立たされた、まさにその瞬間。


「……そこまで。……その遊具の中の主君は、私が護衛する」


トンネルの上――遊具の屋根から、音もなく銀色の影が舞い降りた。

暗視ゴーグルとタクティカル・スーツを身に纏った騎士、翡翠だ。


「……私の嗅覚から、主君の気配(匂い)を隠し通せると思ったか。……甘い。……朔、あなたは今から、私の保護下に入る」


翡翠は、手にしたタクティカル・シールドを地面に突き立て、雫乃の進行ルートを完全に塞いだ。


「ちょっと、三栗屋さん! 邪魔しないでよ! 朔ちゃんはあたしのものなんだから!」


「……拒否する。……主君の身の安全は、私が絶対的に守り抜く」


雫乃と翡翠が、公園の中央で再び激しい火花を散らし始めた。

包丁とシールドが激突する音が、夜の公園に響き渡る。


(……よし! 今だ! 二人がやり合っている間に、トンネルの反対側から抜け出して、別の場所に逃げる!)


俺は這いつくばったまま、雫乃たちがいるのとは反対側の出口に向かって、音を立てずにジリジリと進んでいった。


あと少し。あと一メートルで、トンネルの外へ出られる。


そう思って、俺が出口に手をかけた、その時だった。


「……あはは。やっぱり、先輩はこっちから逃げようとすると思いましたぁ」


トンネルの出口を塞ぐように、オレンジ色の髪の悪魔が、這いつくばった姿勢で待ち構えていた。

一年の腹黒後輩、巳波だ。


(こ、小日向!? お前、いつからそこに!!)


「先輩の逃げそうなルートなんて、あたしには手に取るようにわかりますよぉ。……それに、あの二人の先輩が正面で騒いでくれれば、裏口は完全にノーマークになりますからねぇ」


巳波は、暗いトンネルの中に顔を突っ込み、俺の鼻先が触れるほどの至近距離まで距離を詰めてきた。


「さあ、先輩。あの馬鹿な先輩たちが争っている間に、あたしたちだけで、誰も知らない遠くへ行っちゃいましょうかぁ……?」


巳波のしなやかな腕が、俺の首元に絡みついてくる。


頭上にはドローンを操る絶対女王。

正面には包丁を構えたサイコパス幼なじみ。

それを阻む、重すぎる忠誠心を持った銀髪騎士。

そして、唯一の退路を塞ぎ、甘い猛毒で俺を絡め取る腹黒後輩。


(……終わりだ。俺のモブとしての平穏な人生、ここで完結か……)


俺が死を覚悟し、トンネルの中で目を閉じた、その時。


キィィィィィィィンッ!!!!


公園の入り口に、一台の黒いSUVが、タイヤを激しく鳴らしながら滑り込んできた。

パァァァン! と眩いハイビームが、対峙するヒロインたちの視界を容赦なく奪う。


「きゃあっ!?」


「何よその車! SP、排除しなさい!」


葵依の怒号が響くが、SUVの運転席から降りてきたのは、黒服の男たちですら思わず気圧されるような、独特の『気怠いオーラ』を纏った大人の女性だった。


薄いカーディガンを羽織り、髪は少し乱れたまとめ髪。口元には面倒くさそうな笑みを浮かべ、手にはコンビニのレジ袋を提げている。


「……あーあ。深夜の公園で、随分と賑やかなお遊戯会をやってるじゃない。……そこの君、大丈夫?」


その女性は、驚愕で固まる俺の方をチラリと見ると、あくびを噛み殺しながら言った。


「乗る? 事情は知らないけど、このままじゃ君、バラバラにされそうだよ?」


俺は、考えるよりも先に動いていた。


巳波の腕を振り解き、トンネルから転がり出る。雫乃の包丁が空を切り、翡翠のシールドが地面を叩く。その全てを潜り抜け、俺は開かれた助手席へと飛び込んだ。


「ちょ、待って朔ちゃん!!」


「……主君! 撤退は許可していない!」


ヒロインたちが叫びながら駆け寄ってくるより早く、SUVは猛烈な勢いでバックし、タイヤの焦げる匂いを残して夜の闇へと消え去った。



*****



車内には、微かに缶ビールの残り香と、少しだけ鼻を突く芳香剤の匂い、そして助手席の足元には整理されていない書類や衣類が散乱していた。


「……ふぅ。危なかったわね。あの子たち、目が本気だったわよ」


運転席でハンドルを握る女性が、バックミラー越しに俺を見てニヤリと笑う。


「あ、あの……助かりました。俺は月島朔です。……ええと、お名前は?」


御影みかげ 志乃しの。大人として当然のことをしたまでよ。助けたなんて大層なものじゃないわ」


彼女はそれ以上何も語らず、入り組んだ裏道を驚異的なドライビングテクニックで抜けていく。


やがて車は、街の喧騒から少し離れた管理の行き届いたマンションの地下駐車場へと滑り込んだ。


エレベーターに乗り、たどり着いたのは彼女の部屋。


「汚いけど、好きに使っていいわよ。あの子たちも、まさかここに君がいるとは思わないでしょうし」


ガチャリ、と鍵を開けて招き入れられたその瞬間。


俺の、モブとしての平穏を愛する心が、別の意味で悲鳴を上げた。


(……な、なんだここは。ゴミ屋敷の一歩手前じゃないか……!?)


リビングの床には脱ぎ捨てられた服、読みかけの雑誌、空の缶チューハイやビール缶が転がっている。

キッチンには、いつから放置されているのか分からない洗い物の山。

初夏の爽やかな風など一切通らない、大人の一人暮らし特有の『混沌とした生活感』がそこには広がっていた。


「ごめんねー、連休に入ってから一歩も動きたくなくて。適当に座ってて、そこ、服どかしていいから」


志乃さんはそう言うと、冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出し、ソファに深く沈み込んでプルタブを引いた。


プシュッ、という快音と共に、彼女は喉を鳴らしてビールを煽る。


(……美人なのに。外で見かけたら、誰もが振り返るような大人の色気があるのに、家ではこれか……)


俺は、自分の「いい人」気質が疼くのを感じた。


両親が不在、妹は引きこもり、ヒロインたちに実家を占拠された俺にとって、ここは間違いなく最強の避難所だ。だが、この惨状を見過ごすことは、俺の潔癖なモブ魂が許さない。


「……御影さん。居座らせてもらう代わりに、少し片付けてもいいですか?」


「え? いいわよ、好きにすれば。私は寝るから……」


志乃さんは、ソファに寝そべったまま、面倒くさそうに手を振った。


俺は袖をまくり、まずはキッチンの洗い物から着手した。



連休二日目の深夜。

絶望の鬼ごっこから生還した月島朔は、四人の猛毒ヒロインから隔離された「大人のゴミ溜め」にて、モブとしての新たな任務ハウスキーピングを開始するのであった。


読んでくださってありがとうございます。

本日は5話程投稿する予定なのでよければ

お付き合いください。


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