24.狂乱のバトルロイヤルと、妹の絶対領域
連休二日目、夜。
月島家のリビングは、四人のヒロインたちの愛と殺意と独占欲が交錯する、完全なる戦場と化していた。
「朔ちゃんから離れなさい、この泥棒猫! 今すぐそのオレンジの髪を、特製ニンニク油で唐揚げにしてあげるから!」
出刃包丁を構えた幼なじみ・桃瀬 雫乃が、鬼神のような形相で踏み込む。
対する腹黒後輩・巳波は、先ほどまでの極上の甘い声を完全に捨て去り、ソファを蹴って軽やかに包丁を躱した。
「あははっ! のろまですねぇ、桃瀬先輩! そんな大振りじゃ、あたしにカスりもしませんよぉ! 先輩の愛は重いだけで、全然朔先輩に届いてないんじゃないですかぁ?」
「……挑発。……敵対行動とみなす。……排除」
銀髪のクール騎士・三栗屋 翡翠が、タクティカル・シールドを構えたまま、重戦車のような突進で巳波の着地点を完璧に塞ぐ。
「ちょっと、私のリビング(昨日勝手に改装した)で暴れないでちょうだい! SP、彼女たちを拘束しなさい! 朔は私の保護下よ!」
絶対女王・若桜 葵依が扇子で指示を飛ばすが、SPたちは超人レベルの身体能力を持つヒロインたちの戦いに割って入ることができず、オロオロと周囲を取り囲むことしかできない。
(……やばい。このままじゃ、マジで家が倒壊する!)
俺、月島 朔は、粉砕されたドアの残骸の陰で、ホコリまみれになりながら頭を抱えていた。
空中を舞うクッション。破壊される大理石のテーブル。壁紙に突き刺さる何かの破片。
四人が完全に互いを牽制し合い、三つ巴ならぬ四つ巴のデッドロック状態に陥っている。
……だが、待てよ?
(四人のヘイトが完全に互いに向いている……。つまり、今、俺への『監視の目』が完全に外れているということか!?)
ラブコメにおける修羅場。それは主人公にとって最大のピンチであると同時に、ヒロインたちが同士討ちを始める「唯一の死角」でもあった。
俺は、モブとしての生存本能を極限まで研ぎ澄ませた。
息を殺し、気配を絶ち、床に這いつくばったまま、ミリ単位で後退する。
視界の端で、翡翠のシールドと雫乃の包丁が激突し、バチッと火花が散った。
その轟音に紛れ、俺はリビングの敷居を越え、暗い廊下へと無事に脱出することに成功したのだ。
(よし、脱出成功だ……! だが、どこへ逃げる? 玄関から外へ出るか?)
いや、ダメだ。翡翠が「一階の全出入口にセンサーを仕掛けた」と言っていたのを思い出した。外に出ようとすれば警報が鳴り、四匹の猛獣が即座に追いかけてくるだろう。自室の四畳半も、カジノとテントで完全に占拠されている。
ならば、家の中で最も安全な場所――『セーフティルーム』へ逃げ込むしかない。
俺は音を立てずに階段を駆け上がり、二階の奥にある部屋のドアを激しくノックした。
「結! 結、頼む開けてくれ! お兄ちゃんだ! 命の危機なんだ!」
中からは、軽快なゲームの電子音が聞こえるだけで、一向に返事がない。
「結! 起きてるんだろ! 頼む、このままだと月島家がお前を残して滅亡してしまう! 一晩だけ、お前の部屋に匿ってくれ!」
数秒の沈黙の後、ガチャリとチェーンロックが外れる音がした。
ドアが数センチだけ開き、隙間から結のジト目が覗く。
「……お兄ちゃん。あたしの部屋はスイス永世中立国みたいなものなの。難民を受け入れたら、下の猛獣たちがこっちまで攻め込んでくるかもしれないでしょ?」
「そこをなんとか! 兄の命がかかってるんだ! お前、血の繋がった兄を修羅場に突き返す気か!」
結はドアの隙間から、スッ……と右手を差し出した。
親指と人差し指をこすり合わせる、全世界共通のジェスチャーである。
「……一晩一万円。前払いで」
(この守銭奴妹!! 完全に足元を見やがって!!)
俺は涙目で財布を取り出し、必死で集めたギザ10を1000枚結の手に握らせた。
「毎度あり。さあ、早く入って。後ろから殺気が迫ってきてるよ」
結がドアを開け、俺は弾かれるように妹の部屋へと転がり込んだ。
急いでドアを閉め、鍵をかけ、さらに学習机をドアの前に引きずって即席のバリケードを構築する。
(……助かった。これで一息つける……)
俺は床にへたり込み、荒い息を吐きながら結の部屋を見渡した。
そして、絶句した。
「結……お前、この部屋、どうなってるんだ?」
「ん? えーとね、若桜先輩が『快適な引きこもり環境』としてプレゼントしてくれた最新のゲーミングPC一式と、最高級の防音壁だよ。あと、巳波ちゃんが差し入れしてくれた大量の高級スイーツね」
結の部屋は、プロのeスポーツ選手も真っ青の超ハイテク・ゲーミングルームへと変貌を遂げていた。壁にはLEDライトが怪しく光り、ミニサイズの専用冷蔵庫まで完備されている。
(完全に買収されきってるじゃないか! 俺の部屋はカジノとテントで地獄なのに、なんでこいつだけ連休を大満喫してるんだ!)
俺が理不尽さに涙を流していると。
ドスッ、ドスッ、という足音が、階段を上がってくるのが聞こえた。
一階の戦闘が、終わった(あるいは一時休戦した)のだ。
「……朔ちゃん? どこにいるの? もう大丈夫だよ?出ておいで?」
廊下のすぐ外から、雫乃の底冷えするような声が響いた。
俺と結は息を呑み、ドアの方を見つめた。
「……朔。……この二階にいるのは、わかっている。……センサーに、熱源反応がある」
翡翠の、淡々としているがゆえに恐ろしい声が続く。
「……まったく、世話の焼ける王様ね。結さんの部屋に逃げ込んだのかしら。SP、ドアを開けなさい」
葵依の命令が下り、ドアノブがガチャガチャと乱暴に回される。
だが、鍵とバリケードのおかげで、ドアは開かない。
「あははっ、朔先輩。結ちゃんの部屋にいるんですよねぇ? あたしも一緒に、中に入れてくださいよぉ」
巳波の甘い声が、ドアの隙間から粘着質に染み込んでくる。
ヒロイン四人が、結の部屋の前に集結してしまったのだ。
「……結ちゃん。お兄ちゃん、そこにいるんでしょ? 開けてくれるかな?」
雫乃が、少しだけトーンを落として妹に話しかけてきた。
結は俺をチラリと見てから、ドア越しに答えた。
「あー、お兄ちゃんなら、窓から飛び降りてコンビニに行くって言って出かけましたよー。あたし、今ゲームで大事なところなんで、開けられませーん」
「……嘘。……二階の窓からの落下検知センサーは、作動していない」
翡翠の身も蓋もない論理的指摘が、結の言い訳を瞬殺した。
「結さん。お小遣いが欲しいのかしら? このドアを開けてくれたら、あなたの口座に百万円振り込んであげるわよ」
葵依の圧倒的な財力による、直接的な買収工作が始まった。
(ひゃ、百万円!? まずい、一万円しか払っていない俺は完全に競り負ける! 結のやつ、絶対に裏切るに決まってる!)
俺は絶望的な思いで妹を見た。
だが、結は首を横に振った。
「若桜先輩、魅力的ですけど、あたしも一応『スイス永世中立国』のプライドがあるんで。それに、百万円もらっても、お兄ちゃんが外で殺されたら後味が悪いし。今日はこのまま、お引き取りくださーい」
(結……! お前、見直したぞ! 実の兄の命を、金より重く見てくれたんだな!)
俺は感動のあまり、結の背中を拝んだ。
「……ちっ。使えない妹ですねぇ。それなら、強行突破するまでですぅ」
巳波のドス黒い声が聞こえたかと思うと、ガチャガチャ!と、ドアの鍵穴に何か金属の棒(ピッキングツール!?)を突っ込むような嫌な音が響いた。
「ちょ、巳波ちゃん! ピッキングは犯罪だよ!」
「……ピッキングより、破壊の方が早い。……シールドバッシュで、ドアを吹き飛ばす」
翡翠が、ドアの向こうで助走をつける気配がする。
「待ちなさい、家をこれ以上壊すのは美しくないわ。SP、マスターキーを手配しなさい」
「あたしがチェーンソーでドアごと斬り開く!! 朔ちゃん、待っててね!!」
(全員、手段が犯罪者のそれだ!! なんでドアを開けるだけでそんなにバリエーション豊かなんだよ!)
ドゴォォン!! ガリガリガリッ!!
結の部屋のドアが、四人の物理的・技術的な猛攻を受けて悲鳴を上げ始めた。
防音壁のおかげで外には漏れていないだろうが、このままでは数分でドアが突破され、俺は四人のヒロインの群れに引きずり出されてしまう。
「お兄ちゃん。スイスもそろそろ陥落しそうなんだけど。追加料金で、窓からの脱出ルート、案内しようか?」
結が、冷静に避難用ロープの束を取り出しながら言った。
(窓から脱出!? いや、しかし俺は『連休中は絶対に家から一歩も出ない』と誓ったはずだ。ここで外に出れば、モブとしての俺の敗北を完全に認めることになる……!)
だが、背に腹は代えられない。
ドアの蝶番が、ついにメキョリと嫌な音を立てて歪み始めた。
「……わかった! 結、そのロープを貸してくれ! 俺は、この家を捨てる!!」
俺はモブのプライドをかなぐり捨て、夜の闇に紛れて実家からの脱出を決意した。
連休二日目の深夜。
月島朔の戦場は、ついに狂乱のマイホームから、予測不能の「深夜の市街地逃走劇」へと舞台を移していくのであった。




