20.四分割の絶対ルール、幼なじみの暗殺級マッサージ
連休二日目。朝。
昨夜の「深夜のキッチン防衛戦(水道管破裂の危機)」により、月島家のリビングは重苦しい、まるで爆発寸前の火薬庫のような空気に包まれていた。
俺、月島 朔は、完全に寝不足でガンガンと痛む頭を抱えながら、ソファの端で石のように丸くなっていた。
俺の両親は親に借金のない堅実な会社員だが、今は若桜財閥の力で太平洋の豪華クルーズ船に放逐(ご招待)されている。頼みの綱である妹の結は「あたし、命の危険を感じるから連休明けまで二階から降りないね」と、非常食のカップ麺を抱え込んで完全に自室へと引きこもってしまった。
現在、リビングの四隅には、四人のヒロインたちが陣取っている。
怒気のオーラを纏いながら、無言でマイ包丁を研ぎ続ける幼なじみ・桃瀬 雫乃。
優雅に特注のハーブティーを飲みながら、冷ややかな視線を送る絶対女王・若桜 葵依。
無表情のまま、タクティカルナイフの刃こぼれを確認している銀髪のクール騎士・三栗屋 翡翠。
そして、外面の「完璧な天使スマイル」を顔に貼り付けながら、俺をジッと見つめる一年の腹黒潜伏後輩・小日向 巳波。
「……このままでは、埒が明かないわね」
沈黙を破ったのは、女王・葵依だった。彼女はティーカップをソーサーに置き、扇子をパチンと閉じてテーブルを軽く叩いた。
「朔を巡って私たちが二十四時間体制で牽制し合えば、いずれこの家ごと物理的に崩壊するわ。昨日のような夜襲も、お互いのリソースと睡眠時間を無駄に削るだけよ」
「……夜襲? 誰かさんが、夜中に抜け駆けして朔ちゃんに手を出そうとしたってこと?」
雫乃が、研ぎ終えた出刃包丁をチャキッと構え、巳波の方をジロリと睨みつけた。
「あははっ、何のことですかぁ? あたしは昨日の夜、ずぅっと結ちゃんと一緒に寝てましたよぉ?」
巳波は一切の動揺を見せず、小首を傾げて無実を主張する。息を吐くように放たれるその嘘の完璧さに、俺は背筋が凍る思いだった。
「……嘘。……オレンジの髪から、水道水のカルキの匂いが、通常より強く検出されている。……それに、朔のシャツの匂いも混ざっている」
翡翠が、クールな無表情のまま的確な推理という名の恐るべき嗅覚で巳波を追い詰める。
「まあいいわ。今は犯人探しをしている暇はないの」
一触即発の空気を、葵依が扇子を広げて強引に制圧した。
「ここで争っても朔が疲弊するだけよ。提案があるわ。この連休中、私たちで『時間割』を作るのよ。午前、午後、夕方、夜。一日の時間を四つのブロックに分けて、順番に朔と『二人きりの時間』を過ごす権利を得る。自分の担当時間以外は、絶対に二人の邪魔をしてはいけない。この絶対ルールを破った者は、その瞬間にこの家から退場してもらうわ。……どうかしら?」
「(ちょっと待て! なんで俺の意思が完全に無視されて、所有権の分割協議が始まってるんだ! 俺はただの非力なモブだぞ!)」
俺の真っ当な抗議は、当然のように黙殺された。
「……なるほど。極めて公平なルール。……主君への忠誠を示すため、従う」
「ふふっ、いいわよ。あたしの圧倒的な『幼なじみ力』を見せつけて、朔ちゃんの胃袋と心を完全に掴んであげるんだから!」
「あはは、先輩たちがそれでいいなら、あたしも賛成ですぅ」
「(お前ら、誰も俺の意見を聞いてないな!?)」
俺の心からの叫びも虚しく、厳正なるあみだくじの結果、最初の時間帯である「午前中の部」の担当は、幼なじみの雫乃に決定した。
午前十時。
葵依、翡翠、巳波の三人が監視カメラや盗聴器を仕掛けつつそれぞれの待機場所へと散り、リビングには俺と雫乃の二人が残された。
「ふふっ……二人きりだね、朔ちゃん」
雫乃は、いつもの制服や私服ではなく、なぜか『新妻風の真っ白なフリルエプロンに下はショートパンツ』という、破壊力抜群の格好に着替えていた。
「(マズい……! 幼なじみというアドバンテージを最大限に活かした、王道の新婚ごっこイベントを仕掛けてくる気だ!)」
「ねえ、朔ちゃん。お休みの日くらい、あたしがいーっぱい甘やかしてあげる。ご飯にする? お風呂にする? それとも……あ・た・し?」
出た! ラブコメにおける絶対領域の三択!
だが、俺は知っている。この選択肢のどれを選んでも、最終的には俺の貞操が危機に瀕するか、致死量のニンニクを摂取させられるかのデスゲームだということを!
「俺は『読書』にする! ずっと積ん読していた小説を消化したいんだ!」
俺はテーブルの上の適当な本を手に取り、鉄壁のモブ防御の構えをとった。
「もう、朔ちゃんったら照れ屋さんなんだから。……じゃあ、日頃の疲れを取るために、あたしが『マッサージ』をしてあげる!」
「マッサージ? いや、俺は全然疲れてな……ぐはっ!?」
俺が断るより早く、背後に回り込んだ雫乃のしなやかな腕が、俺の肩をガッチリとホールドした。
「いいからいいから! あたし、朔ちゃんのために『人体構造学』と『東洋の秘孔術』の本を読み込んで、完璧なマッサージの勉強をしてきたんだから!」
「(なんで秘孔術を混ぜた!? 某世紀末のアクション漫画みたいなこと言うな!!)」
「ここが凝ってるねぇ……えいっ!」
「アビャァァァァッ!!?」
雫乃の親指が、俺の肩のツボ(おそらく人体における急所)に、万力のような凄まじい力で突き刺さった。
ゴリッ、という鈍い音が俺の頭蓋骨に響き、視界がチカチカと明滅する。
「どう? 効くでしょ? あたしの愛、骨の髄まで叩き込んであげるからね……。朔ちゃんはもう、癒やされている」
「し、雫乃……! 痛い! それはマッサージじゃなくて物理的な破壊だ! 俺の肩甲骨が粉砕され……っ!」
「だーめ。朔ちゃんはいつも一人で全部背負い込んじゃうんだから。あたしがこうやって、朔ちゃんの身体も心も、全部ほぐして、あたしなしじゃ生きられない身体に作り変えてあげるんだから……」
ピコーン!!!!
俺の悲鳴をかき消すように、網膜に爆音のフラグ成立音が鳴り響いた。
雫乃の頭上に、【幼なじみの愛の力(物理)で彼の身も心も完全掌握・世紀末新婚同棲フラグ】が、強烈なピンク色のオーラを纏ってそびえ立つ。
「(アカン!! このままじゃ俺の身体が物理的にラブコメ仕様(不死身)に強制改造されてしまう!!)」
「次は首の裏の『記憶を飛ばすツボ』を押すね。これで、あたし以外の泥棒猫たちのことなんて、全部忘れられ……」
「(させるかぁぁぁっ!!)」
俺はモブの生存本能(火事場の馬鹿力)を限界まで発揮し、肩をホールドする雫乃の腕を「合気道」の要領でスルリと抜け出した。
「あっ、朔ちゃん!?」
「わ、悪い雫乃! 俺はやっぱり急にトイレに行きたくなった!」
俺は悲鳴を上げる肩を押さえながら、リビングから脱出しようと廊下へ飛び出したのだった。




