表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/46

19.狂気のスパ・リゾート、真夜中の給水塔防衛戦

連休初日、午後七時。

俺の両親が太平洋の豪華客船でキャビアを貪っている頃、月島家の平穏な日常は完全に崩壊し、跡形もなくなっていた。

俺、月島つきしま さくは、一階のリビングで体育座りをしながら、変わり果てた我が家の姿を虚無の瞳で見つめていた。

壁紙はヨーロッパの古城のような重厚なものに張り替えられ、蛍光灯はシャンデリアに。そして何より、廊下の奥から聞こえてくる「ゴォォォォ……」という滝のような水音が、俺のモブとしての精神をゴリゴリと削り取っていた。


「さあ、朔。お待ちかねのバスタイムよ」


白いバスローブ姿の絶対女王・若桜わかさ 葵依あおいが、優雅に髪を掻き上げながらリビングに現れた。


「月島家の狭いユニットバスでは、あなたの疲れた肉体を癒やすことは不可能と判断したわ。だから、今日の午後を使って、浴室を『古代ローマ風・天然温泉スパ』にフルリフォームしておいたの」


「半日でどうやって天然温泉を引いたんだ! うちの家の下から温泉なんて湧かないぞ!」


「あら、簡単なことよ。若桜財閥のボーリング部隊に、地下三千メートルまで掘削させただけ。湧かなかったら地球の裏側まで掘るつもりだったけれど、運良く素晴らしい泉質の温泉脈に当たったわ。さあ、私と一緒に一番風呂を楽しみましょう」


「地球の裏側まで掘るな! ブラジル人に怒られるだろ! そしてなんで俺がお前と一緒にお風呂に入らなきゃいけないんだ!」


俺が全力でツッコミを入れていると、キッチンから凄まじい勢いで幼なじみの桃瀬ももせ 雫乃しずくのが飛び出してきた。彼女もまた、なぜかピンク色のフリル付きタオル一枚という、目に毒すぎる格好だ。


「ちょっと若桜さん! 朔ちゃんの背中を流すのは、幼なじみであるあたしの特権なんだからね! 朔ちゃん、昔みたいにあたしが隅々までゴシゴシ洗ってあげる! スタミナ回復効果のある『特製ニンニク・ボディソープ』でね!」


「お前のそのボディソープ、絶対肌が荒れるやつだろ! 匂いが三日は取れなくなる! 俺は一人でシャワーだけでいい!」


「……朔。……浴室は、暗殺者が最も潜みやすい危険地帯。……私が、先に入って安全を確保する」


いつの間にか、銀髪のクール騎士・三栗屋みくりや 翡翠ひすいが、完全防水仕様のタクティカル・ダイビングスーツ(シュノーケル付き)を装着して廊下に立っていた。


「……湯船の底に、刺客が潜んでいるかもしれない。……私が、潜水して朔の足元を護衛する」


「お風呂に刺客なんて潜んでない! お前が一番の不審者だ! そのダイビングスーツで古代ローマ風呂に潜るな!」


三者三様の「一緒にお風呂に入る理由(という名の理不尽)」が飛び交い、リビングはまたしても修羅場と化した。

俺は助けを求めて、ソファでゲームをしている妹のゆいの方を見たが、彼女は「お兄ちゃん、今良いところだから話しかけないで」と完全に現実逃避をキメていた。

そして、その結の隣には。


「あはは、先輩たち、本当に行動が派手ですねぇ。……朔先輩、あたしは先輩が一人でゆっくりお風呂に入れるように、外で見張っててあげますからねぇ」


一年の腹黒後輩・小日向こひなた 巳波みなみが、俺にだけ聞こえるような甘い声で囁いてきた。

だが、その言葉を信じるほど俺も馬鹿ではない。彼女の目は「先輩が脱いだ服、あとでこっそり回収しますねぇ」とドス黒く語っている。


ピコーン! ピコピコピコーン!!!!

『連休のお泊まりイベント・第一関門! 誰が彼の裸(という名の無防備な姿)を共有するかで、ヒロインたちの独占欲が限界突破する【湯けむり・混浴デッドヒートフラグ】!!』


「(だから俺は! 一人で! 烏の行水で済ませるんだよ!!)」


俺は三人のヒロインたちの隙を突き、脱衣所へと猛ダッシュした。

ガチャリと鍵をかけ、さらに洗濯機をドアの前まで引きずって物理的なバリケードを構築する。


「……よし。これで誰も入ってこれない」


息を切らしながら浴室のドアを開けると、そこには本当に大理石で作られた古代ローマ風の巨大な浴槽があり、ライオンの口から懇々と天然温泉が湧き出していた。


「(……モブの俺には分不相応すぎる設備だが、背に腹は代えられない。さっさと汗を流して、自分の部屋に引きこもるんだ)」


俺は超特急で身体を洗い、五分で浴室を後にした。

ドアの外では「朔ちゃん開けてー!」「SP、扉を爆破しなさい!」「……ドアノブを、斬る」という恐ろしい会話が聞こえていたが、俺はなんとかその包囲網をすり抜け、二階の自室(四畳半)へと逃げ込んだ。



午後十一時。

就寝の時間。


「(……なんとか、一日目を生き延びた……)」


俺は四畳半の部屋の中心に、ペラペラの安い敷布団を敷き、天井を見上げていた。

だが、安眠などできるはずもない。

俺の枕元からわずか三十センチの距離には、翡翠が設営した迷彩テントがあり、「……異常なし。……朔、安心して眠れ」という定期報告が五分おきに聞こえてくる。

さらに、俺の部屋の右側の壁は、今日の午後に葵依の力で物理的にぶち抜かれている。

そこから広がるのは、買い取って更地にした隣家の敷地に増築された「六十畳の超高級寝室」。そこにはキングサイズのベッドがあり、葵依が「朔、いつでもこちらのベッドに来ていいのよ」と優雅にワイングラスを傾けている。

そして、俺の足元にあるクローゼットの扉は、わずかに数ミリだけ開いており。

暗闇の中から、巳波の爛々と光る瞳が、俺の寝顔をジッと監視している気配がするのだ。


「(……地獄か。ここは刑務所の独房よりプライバシーがないぞ……)」


極めつけに、一階のキッチンからは、雫乃が明日の朝食に向けて「ニンニク百個の皮むき」をしている包丁の音が、トントン、トントンと不気味なリズムで響き続けていた。

俺は布団を頭まで被り、無理やり意識を暗闇へと落とし込んだ。



午前二時。

「……喉が、渇いた」

俺は目を覚ました。

夕食に雫乃が作った「スタミナ超回復・塩分過多麻婆豆腐」のせいで、口の中が砂漠のようにカラカラだった。

俺はそっと布団を抜け出した。

テントの中の翡翠は、どうやら立ったまま(?)熟睡しているようで、規則正しい寝息が聞こえる。

隣の六十畳の部屋の葵依も、シルクのシーツに包まれて優雅な寝顔を晒していた。

クローゼットの中は……静かだ。巳波も寝ているのだろう。


「(よし、今のうちだ。一階に行って、冷蔵庫の麦茶を飲もう)」


俺は音を立てないように、抜き足差し足で階段を降りた。

一階は真っ暗だ。キッチンでの仕込みを終えた雫乃も、客間で寝ているらしい。

俺は安堵の息を吐きながら、キッチンの冷蔵庫を開けた。

庫内の淡い光が、暗いキッチンを照らす。俺は麦茶のピッチャーを取り出し、グラスに注ごうとした。


「――先輩。こんな夜中に、どうしたんですかぁ?」


「……ッ!?」


ドンッ!

突然、俺の背後から冷蔵庫の扉がバンッと乱暴に閉められた。

唯一の光源が絶たれ、キッチンは再び完全な暗闇に包まれる。

俺の背中に、柔らかく、しかし逃げ場を完全に塞ぐような形で、誰かの身体が密着していた。

暗闇の中でもはっきりと分かる、甘いシャンプーの匂い。

一年の腹黒後輩、小日向 巳波だ。


「こ、小日向……! お前、寝てたんじゃ……」


「あはは。あたしが先輩を差し置いて、のんきに寝るわけないじゃないですかぁ。……ずっと、先輩が隙を見せるのを、待ってたんですよぉ」


巳波は、俺の背中に顔を押し当てたまま、両腕を俺の腰にぐるりと回し、ギュッと抱きしめてきた。

彼女の陸上部で鍛えられた体幹と筋力が、俺をキッチンのシンクに完全に縫い付けている。


「先輩、喉が渇いたんですよねぇ? ……あたしが、特別なお水、飲ませてあげますねぇ」


カチャ、と暗闇でグラスの鳴る音がした。

巳波が片手でグラスを持ち、俺の口元へと近づけてくる。


「(ヤバい! 何が入ってるかわからない! こいつのことだから、睡眠薬か、あるいはもっと恐ろしい『惚れ薬』的な何かか!?)」


「ほぉら、先輩。……あーん、してくださぁい。一滴もこぼしちゃダメですよぉ?」


「い、いらない! 俺は水道水で十分だ!」


俺は必死に顔を背けた。

だが、巳波は俺の首筋に鼻を押し当て、深く、深く息を吸い込んだ。


「……すぅーーーっ。はぁーーー。……やっぱり、先輩の生の匂い、最高ですねぇ。……あの三人の先輩たち、馬鹿みたいですよねぇ。お金とか、料理とか、護衛とか……そんな派手なことばっかりして」


巳波の猫撫で声が、俺の耳元でねっとりと鼓膜を撫でる。


「あたしは、そんな面倒なことしませんよぉ。ただこうして、誰も見ていない夜の闇の中で、先輩の『一番無防備なところ』を、じっくりと、確実に、あたしのものにしていくだけですからぁ……」


ピコーン!!!!

暗闇のキッチンに、俺にしか見えない爆音の電子音が鳴り響いた。

巳波の頭上に、彼女のドス黒い独占欲を凝縮したような【漆黒のオレンジ色】のフラグが、巨大な鎌のように立ち上がる。


『騒がしい先輩ヒロインたちが出遅れている深夜の密室! 完璧なステルス行動で彼の退路を断ち、甘い猛毒で彼を骨の髄まで支配する【真夜中の絶対捕食・外堀完全陥落フラグ】!!』


「(アカンアカンアカン!! こいつが一番タチが悪い! 物理的な力じゃなくて、精神的な包囲網で俺の平穏を完全に殺しにきてる!!)」


「さあ、先輩。……もう逃げられませんよぉ。あたしのお水、飲んでくれますよねぇ……?」


巳波の唇が、俺の耳たぶを甘く噛む。

背筋にゾクゾクとした悪寒(フラグの気配)が走る。このまま流されれば、俺は確実にこの腹黒後輩の「所有物」にされてしまう!

俺は、モブとしての最後の生存本能を爆発させた。


「( モブ・ウォーター・スプラッシュ!!)」


俺は、シンクの蛇口のレバーを、手探りで全開に跳ね上げた。

ブシャァァァァァァッ!!!

深夜の静かなキッチンに、水道管から勢いよく噴き出した水柱が激突する音が響き渡る。

水しぶきが俺と巳波の顔に容赦なく降り注いだ。


「きゃあっ!? な、何ですかこれぇ!?」


冷たい水の奇襲に、さすがの巳波も驚いて俺の腰から腕を離した。


「悪い小日向! 俺は真夜中に水を飲む時は、蛇口から直接いく『ワイルド・モブ・スタイル』なんだ! グラスの水は自分で飲め!!」


俺は全身ずぶ濡れのまま、暗闇のキッチンを脱出し、二階へと続く階段を四つん這いで駆け上がった。


「ああっ! 朔先輩っ! 待ってくださいよぉ! まだ、あたしのお水……っ!」


下から巳波の猫撫で声(怒り度80%)が追いかけてくるが、俺は振り返らない。

だが。

二階の廊下にたどり着いた俺を待っていたのは、さらなる地獄だった。


「……朔。……こんな夜中に、ずぶ濡れで。……何かの罠にかかったのか」


暗視ゴーグルを光らせた翡翠が、廊下の真ん中でタクティカルナイフを構えて立っていた。


「……私の警護網を抜けて、水浴びをするなんて。……風邪を引く。……すぐに服を脱がせて、私が体温で温める」


「ち、違う翡翠! これはただの事故だ! 脱がせるな! 寄るなあああっ!」


「何事!? 朔、夜這いの刺客なの!? SP、全館の照明をつけなさい!」


隣の部屋から葵依が飛び出し。


「朔ちゃん!? 泥棒!? あたしの包丁の錆にしてあげる!」


一階からマイ包丁を構えた雫乃が駆け上がってくる。



深夜二時の月島家。

静寂に包まれるはずの連休の夜は、水道管の破裂音と、ヒロインたちの怒号と、俺の絶望の叫びが交差する、完全なる「戦場」と化していた。

四泊五日の耐久戦。

俺の胃と精神は、まだ一日目の夜すら越えられないまま、限界の底へと沈んでいくのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ