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18.リビングの独裁者たち、世界一胃に悪い朝食

連休初日、午前八時。

本来であれば、小鳥のさえずりと共に挽きたてのコーヒーの香りを楽しみ、読書に耽るはずだった俺の聖域マイホームは、今や異界の軍勢による占領下にあった。


「さあ朔ちゃん! 出来たよ! 特製『朔ちゃん専用・超回復スタミナ朝食プレート』!」


俺の目の前に、ドスンという地響きと共に置かれたのは、もはや「プレート」という概念を物理的に超越した何かだった。

白米は漫画のような山盛り。その上に鎮座するのは、ニンニクの芽と豚レバーを致死量の黒胡椒で炒めたもの。さらにサイドを固めるのは、プロテイン粉末を練り込んだという怪しげな色のオムレツと、馬の餌かと思うほどの生キャベツの山だ。


「……雫乃。これ、朝から食べる量じゃないだろ。というか、ニンニクの匂いで俺の五感が麻痺し始めているんだが」


「何言ってるの! 連休は体力をつける絶好のチャンスなんだから! ほら、あたしが『あーん』してあげるから、口を開けて!」


「……待ちなさい、桃瀬雫乃。そんな前時代的な『餌』を朔に与えるなんて、愛の虐待だわ」


リビングの反対側から、氷のような冷徹な声が響く。

若桜わかさ 葵依あおいだ。彼女は自分のために搬入された特注のベルベット製チェアに深く腰掛け、指をパチンと鳴らした。


「朔、そのような泥臭い料理は捨てなさい。私の専属シェフが、庭の仮設キッチンで最高級の白トリュフとフォアグラを用いたエッグベネディクトを完成させたわ。さらには、一房十万円するルビーロマンを贅沢に絞ったフレッシュジュースも用意させてある。さあ、こちらへ」


「庭で何を焼いてるんだ若桜! ここは住宅街だぞ! それに朝からフォアグラなんて食ったら、俺の肝臓が悲鳴を上げてモブから病人になってしまう!」


俺が二人の「極端すぎる朝食攻勢」に頭を抱えていると、足元からスルスルと冷たい気配が這い上がってきた。


「……朔。栄養、偏っている。……私が、バランスを整える」


いつの間にか俺の足元に跪いていた三栗屋みくりや 翡翠ひすいが、無表情のまま、一本の銀色のチューブを差し出してきた。


「……これは、私が騎士団の保存食をベースに調合した、特製『栄養濃縮ペースト』。……これ一本で、三日間は不眠不休で戦える。……朔の身体を、内側から鋼に変える」


「翡翠、俺はこれから戦地に行く予定はないし、不眠不休で過ごしたくもない! そもそもそのチューブ、色が軍用車両の塗装と同じなんだが!」


三者三様の「愛(という名の暴力)」が俺の胃袋を包囲する。

俺は助けを求めて、ソファでテレビを見ている妹のゆいと、その隣でニコニコと微笑んでいる小日向こひなた 巳波みなみに視線を送った。


「あはは、先輩たち、すっごく賑やかですねぇ。……あ、朔先輩。もしよければ、あたしが作ったお味噌汁、飲んでくれませんかぁ?」


巳波が、猫撫で声でトレイを差し出してきた。

そこには、地味だが丁寧に作られた、至極真っ当な豆腐とわかめのお味噌汁があった。


「(……お、おおお! これだ! これこそが俺の求めていた『普通の朝食』だ!)」


俺は救いを見出した思いで、巳波のお味噌汁を手に取ろうとした。

だが、その瞬間。

巳波が俺にだけ見える角度で、口角を吊り上げ、瞳の奥にドス黒い闇を宿してニヤリと笑ったのを、俺は見逃さなかった。


「……先輩ぃ。あたし、先輩のために、今朝四時に起きて作ったんですよぉ? ……この中には、あたしの『隠し味』がたっぷり入ってるんですからぁ。……一滴残らず、飲み干してくださいねぇ?」


「(隠し味!? 何を入れたんだお前は!! さっきの三人の料理より、心理的な恐怖が一番デカいんだよ!!)」


ピコーン! ピコーン! ピコピコピコーン!!!!

俺の視界の中で、四人のヒロインたちのフラグが猛烈に発光し、もはやリビングはサイケデリックなダンスホールと化していた。


『四者四様の愛の形! 誰の料理を最初に口にするかで、この連休中の「正妻メインヒロイン」の座が決まる、胃袋破壊のデッドヒートフラグ!』


「(だから俺は自分の淹れたコーヒーだけでいいって言ってるだろぉぉぉっ!!)」


結局、俺は雫乃のニンニクを葵依のトリュフで和え、翡翠のペーストを隠し味に、巳波の「隠し味入り味噌汁」で流し込むという、人類史上で最も贅沢かつ最も冒涜的な朝食を摂取させられた。

脳内では、とあるグルメ漫画の審査員が「宇宙が……宇宙が見えるぞぉー!」と叫びながら爆発するような錯覚が起きていたが、現実はただただ胃もたれがすごかった。



午前十時。

朝食という名の拷問セレモニーを終えた俺は、重い胃袋を引きずりながら、せめて自分の部屋で休もうと二階へと向かった。

だが、階段を一段登るごとに、我が家の「内装」が劇的に変化していることに気づき、俺は足を止めた。


「……おい。これ、俺の家だよな?」


廊下の壁には、なぜかルネサンス期の宗教画のような巨大な絵画が飾られ、床には毛足の長いペルシャ絨毯が敷き詰められている。

角を曲がれば、そこにあるはずのトイレのドアが、自動センサー付きの金装飾を施したマホガニー製の重厚な扉に変わっていた。


「あら、朔。やっと食後の散歩かしら?」


廊下の突き当たりから、白いドレスに着替えた葵依が現れた。彼女の後ろでは、SPたちがドリルや金槌を使い、俺の部屋の隣の空き部屋を「最高級のスパ・ルーム」へと改造中だった。


「若桜! 何勝手にリフォームしてるんだ! 親が帰ってきたら、別の家になってて腰を抜かすぞ!」


「いいじゃない、資産価値が数億円上がってご両親も喜ぶわ。それより、朔の部屋の四畳半問題だけど……。先ほど隣の家を買い取って取り壊したから、午後には壁をぶち抜いて、朔の部屋を六十畳のシアタールーム兼寝室に拡張できるわよ」


「隣の家を買い取るな! お隣の磯野さんはどうしたんだ!」


「磯野さん一家には、ハワイの永住権と農園をプレゼントしておいたわ。今頃、向こうでパパイヤを収穫しているはずよ」


「(磯野さぁぁぁん!! 財力の暴力に屈するスピードが親より速いよ!!)」


俺の家が、若桜財閥の経済力によって「浸食」されていく。

逃げ場を失った俺は、まだ辛うじて「四畳半」を保っている自室のドアを開けた。

だが、そこもすでに安住の地ではなかった。


「……朔。おかえり。……室温、二十二度に固定。……湿度は、五十パーセント。……快適な睡眠を、提供する」


部屋の隅に、迷彩柄のテントを設営した翡翠が、暗視ゴーグルを装着して立っていた。

彼女は俺のベッドの横に、何やら高周波を放つ怪しげな機械(おそらく盗聴器発見器とジャマーの複合体)を設置し、俺の枕を丁寧に消毒していた。


「……私の騎士様。……この部屋は、現在、世界で最も安全。……安心して、私の上で寝ていい」


「お前のテントの中で寝ろと言ってるのか!? それに俺の枕、消毒しすぎてアルコールの匂いで目が痛いんだが!」


俺が翡翠の「重すぎる警護」に絶叫していると。


「あははっ、先輩、三栗屋先輩にばっかり構っちゃダメですよぉ」


クローゼットの中から、ぬるりと巳波が現れた。

彼女は俺の学校指定の予備のブレザーを羽織り、クローゼットの奥に自分の私物を勝手に整列させていた。


「(クローゼットの中から出てくるな! 怖いんだよお前は!!)」


「あたし、先輩のクローゼットの中、すっごく居心地が良くて気に入っちゃいましたぁ。……先輩が寝てる間、あたしはここで、先輩の寝息をBGMに宿題を頑張ることにしますねぇ」


巳波はそう言って、俺の耳元でフゥ、と熱い吐息を吹きかけた。

その瞳は、獲物をじっくりと観察する捕食者のそれであり、同時に計算高い恋の策士の光を宿している。


「……逃がしませんからねぇ、朔先輩。この四日間で、先輩の『初めて』を、全部あたしが予約しちゃうんですからぁ……」


「(予約するな! 俺の人生の空き状況は常に『準備中モブ』なんだよ!!)」


俺の自室は、クールな騎士の野営地と、腹黒後輩の秘密基地へと変貌していた。





午後三時。

連休初日の午後のティータイム。

俺は一階のリビングで、せめてもの抵抗として自分でコーヒーを淹れようとした。

だが、キッチンはすでに雫乃によって「スタミナ料理の研究室」と化し、煙と匂いが充満している。


「朔ちゃん! おやつに特製『スタミナ・マカロン(ニンニクチップ入り)』作ったよ!」


「おやつにまでニンニクを入れるな! 砂糖の甘みとニンニクの辛味で、俺の脳がバグる!」


「……朔。……お茶なら、私が。……これは、高山病に効く秘境の茶葉。……飲めば、血流が通常の三倍に加速する」


「だから、俺は平地で平穏に過ごしたいんだよ! 血流を加速させて何をさせるつもりだ!」


俺が四人のヒロインたちの過剰な奉仕(という名の精神攻撃)に晒されていると、二階から結が降りてきた。

彼女はリビングの惨状を一瞥し、俺の淹れたコーヒーの残りを一口飲むと、無情な一言を放った。


「お兄ちゃん、なんか家の中にヒロインが四人もいるのに、お兄ちゃんの顔が一番『死相』が出てるよ。もしかして、お兄ちゃんって幸せになっちゃいけない呪いでもかかってるの?」


「結……。俺の呪いの名前は『ラブコメ』っていうんだ。そしてその呪いは、俺がモブであればあるほど、強力に発動しやがるんだよ……」


俺は震える手で、冷めきったコーヒーを啜った。

かつてこれほどまでに「一人になりたい」と切望した五月があっただろうか。

親は太平洋。隣家はハワイ。そして我が家は、四人の少女たちによる「朔の総取り戦」の戦火に包まれている。

連休初日の夜はまだ始まったばかりだ。

お風呂の順番、寝る場所の確保、そして深夜の「お泊まり会」という名の拷問……。

月島朔の平穏なモブライフは、実家という逃げ場のない閉鎖空間の中で、さらなる混乱と修羅場の底へと、真っ逆さまに落ちていくのであった。


「(あと四日……。俺の胃と心臓は、連休明けまで耐えられるのか……!?)」


俺の心の叫びは、またしても誰に届くこともなく、葵依が持ち込んだ超高級スピーカーから流れる「勝利の賛歌」の重低音にかき消されるのだった。


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