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13.腹黒天使降臨

武器ラックを一人で運び去り、無駄な畏怖を集めてしまった翌日。


俺、月島つきしま さくは、朝から学園の裏庭――旧体育館の裏手にある、雑草が生い茂る完全な死角へと身を潜めていた。


「(今日こそは、徹底的に気配を消す。俺は石だ。いや、光合成をするシダ植物だ……)」


俺の両親は、親に借金などない極めて真っ当な会社員だ。俺もまた、真っ当で目立たないモブとしての平穏を取り戻さなければならない。

そう思いながら、コンクリートの犬走りに腰を下ろそうとした、その時だった。


「――あー、ダルい。マジでダルい。なんで毎朝毎朝、爽やかなウブ系後輩スマイルなんて振り撒かなきゃなんないのよ。顔の筋肉つりそう……」


「……ん?」


旧体育館の壁の裏側から、ひどくドス黒く、そして気怠げな声が聞こえてきた。

そっと顔を覗かせると、そこには一人の女子生徒がいた。

1年の【小日向こひなた 巳波みなみ】。

入学して間もないが、「太陽のような笑顔」「誰にでも優しい天使」として、すでに学園中の男子からアイドル的な人気を集めている超絶美少女だ。

だが、現在の彼女は、地べたにヤンキー座りをし、制服のスカートがシワになるのも気にせず、片手でスマホのソシャゲを連打しながら、もう片方の手でパックのイチゴオレをズズズッと音を立てて啜っていた。


「あーあ。どっかに、あたしに都合よく貢いでくれて、面倒な人間関係の盾になってくれる『都合のいいモブ』でも落ちてないかなー。……あ、ガチャ爆死した。クソ運営が」


「(……見てはいけないものを見てしまった)」


俺は踵を返し、音もなくその場を立ち去ろうとした。

美少女の「裏の顔」を知ってしまうイベント。それはラブコメにおいて、二人だけの秘密を共有する【特大フラグ】のトリガーに他ならない!

カサッ。

焦るあまり、足元の枯れ葉を踏んでしまった。


「……誰?」


巳波の冷たい声が響く。

振り返ると、彼女はすでにスマホを隠し、背筋をピンと伸ばして、いつもの「完璧な天使のスマイル」を顔に貼り付けていた。


「あっ、先輩! おはようございまーす! こんなところで奇遇ですねっ。あたし、朝の空気が好きで――」


「いや、いい。全部聞いていたし、見ていた。だが俺の記憶回路はたった今フォーマットされた。俺は何も見ていないし、誰にも言わない。じゃあな」


俺が一切の関心を示さずに去ろうとすると、巳波の顔から天使のスマイルがスッと消え落ちた。


「……あんた、昨日『自分はモブだ』って豪語して逆に目立ってた、2年の月島朔先輩っしょ」


「(なぜ1年にまで名前が轟いているんだ……!)」


巳波はスタスタと歩み寄り、俺の退路を塞いだ。

その瞳には、先ほどの天使の面影はなく、まるで獲物を値踏みするような冷徹な光が宿っている。

頭脳戦ノート漫画の主人公が『(計画通り)』と邪悪に笑う顔が浮かんでいるのが見えた。


「好都合かも。ねえ、月島先輩。先輩、『モブ』になりたいんでしょ? だったら、あたしと【偽装カップル】にならない?」


「は?」


「あたし、毎日毎日、色んな男から告白されてウンザリしてるの。だから、先輩みたいな『絶対に私に手を出してこなさそうで、無害で、影が薄い男』をダミーにしたいのよ。先輩も、あたしの彼氏ってことになれば、他の面倒な女子から寄り付かれなくなるっしょ? Win-Winじゃない」


計算高く、打算に満ちた提案。

確かに、彼女の頭上には、ラブコメ的な恋愛フラグは一本も立っていない。あるのは純粋な「この男を利用してやろう」という黒い野心だけだ。

だが、俺は断固として首を横に振った。


「断る。お前みたいな学園のアイドルと組めば、俺は全男子の敵になる。俺の目指すモブライフは『誰の記憶にも残らないこと』だ」


「ちっ……使えない先輩ね。いい? もしあたしの誘いを断るなら、今ここで『月島先輩に襲われそうになりましたぁっ!』って泣き叫ぶわよ。どっちの言葉が信じられるかしら?」


巳波が自らのブラウスの胸元を少し広げ、悪女の笑みを浮かべた。


「(こいつ……! 清楚な顔してやってることが完全な悪役ヒールじゃないか!)」


俺が舌打ちをした、まさにその瞬間だった。


「ファァァァァァァァッ!! 危ないッ!!」


遠くのグラウンドから、野球部の叫び声が聞こえた。

見ると、防球ネットを越えた『硬球』が、凄まじいスピードで飛んできている。

そしてその軌道は、俺を脅迫して得意げになっている巳波の顔面(後頭部)へと一直線に向かっていた。


「え?」


巳波が振り返る暇もなかった。


「(マズい!! ここで美少女が顔面にボールを受けて倒れれば、一緒にいた俺は『第一発見者』として彼女をお姫様抱っこで保健室まで運ぶ【大イベント】に強制参加させられる!!)」


俺は、巳波の身の安全よりも、自分のイベント回避を最優先に考えた。

バシィィィィッ!!!

俺は無意識のうちに腕を伸ばし、巳波の顔面からわずか数ミリの距離で、飛来した硬球を【素手の二本指(人差し指と中指)】でガッチリと挟み止めた。


「……えっ?」


風圧で巳波の髪が激しく揺れる。

ボールが放つ強烈な運動エネルギーを、俺はただの「無表情」で完全に殺していた。

脳内で、某有名な暗殺一家の長男が、念能力の弾丸を指先で止めるシーンがフラッシュバックする。


「……あ、危なかった。イベントが発生するところだった」


俺は安堵の息を吐き、挟んでいた硬球を足元にポイッと捨てた。


「…………へ?」


巳波は、目の前で起きた物理法則を無視した光景に、完全にフリーズしていた。


「おい、大丈夫か。怪我がないなら俺は行く。脅迫の件は忘れてやるから、もう俺に関わるなよ」


俺は背を向け、旧体育館の裏手から立ち去ろうとした。


「ま、待っ……!」


巳波の声が、震えていた。

彼女は自分の胸を強く押さえ、顔を真っ赤にして、その場にへたり込んでしまったのだ。


「(な、なに今の……っ! あたしを利用しようとする男なんていっぱいいたけど……あんな、圧倒的なオスの力で、しかも無表情のまま、あたしのピンチを当たり前みたいに救ってくれる男なんて……! ズルい、ズルすぎる……ッ!!)」


ピコーンピコピコピン!!!!

俺の網膜に、もはや爆発音に近い電子音が響き渡った。

巳波の頭上に、彼女の計算高さも腹黒さも全て焼き尽くすような、【ビビッドピンクの特大フラグ】がズドンと突き刺さる。


『都合のいい手駒として利用するつもりが、自分の浅はかな計算を全て吹き飛ばすほどの「圧倒的な強さと無機質な優しさ」を見せつけられ、腹黒の仮面が粉々に砕け散る【チョロイン陥落・ガチ恋爆走フラグ】!』


「(だからなんでそうなるんだよおおおおおおおっ!!?)」


俺は心の中で絶叫した。ただ保健室イベントを回避したかっただけなのに! 俺の無意識のモブ防御が、今度は「計算高い腹黒後輩」の心のファイアウォールを完全に破壊してしまった!


「せ、先輩……っ!」


巳波が、涙目で、顔を真っ赤にしながら俺のジャージの裾をギュッと掴んだ。

さっきまでの悪女の面影はゼロ。完全に恋に落ちた乙女のチョロインだ。


「あたし……っ! 先輩のこと、もっと知りたい……! 偽装じゃなくて、ホントの、ホントの――」


その時だった。


「あーっ! 朔ちゃん、絶対あっちの旧体育館の方だよ!」


「急ぎなさい! 若桜のSPたち、包囲網を敷くのよ!」


「……朔。私の匂い……こっちから、する……」


遠くの渡り廊下から、俺の胃袋を破壊する三人の死神ヒロインたちの声が近づいてくるのが聞こえた。


「(ゲェェェッ!? メインヒロインの追跡部隊が来やがった! ここで1年と一緒にいるところを見られたら、俺の命が物理的かつ社会的に終わる!)」


俺は慌てて巳波の手を強引に振り解いた。


「悪いが、俺は忙しいんだ! さっきのことは全部忘れろ! 俺もお前の腹黒なんて最初から聞いてないからな!」


俺は脳内で、残像を生み出すような暗殺者のステップ(※ただの全力疾走)を踏み、旧体育館の裏から脱兎のごとく逃走した。


「あ……待って、先輩……!」


虚空を掴んだ巳波は、一人その場に取り残された。

足元には、彼が指二本で止めた硬球が転がっている。

彼女はそれを両手で拾い上げ、胸にギュッと抱きしめた。


「忘れるわけ……ないじゃん。……あんなかっこいいところ、見せられちゃったら……」


トクトクと、自分の心臓がこれまでにない異常な速度で警鐘を鳴らしている。

遠くから、2年の先輩ヒロインたちが月島朔を探す声が聞こえる。


「……先輩たち、月島先輩を狙ってるみたいだけど。……絶対、渡さない。あたしだけの、先輩にするんだから……」


巳波の瞳に、再び計算高い光が宿った。

だがその「計算」は、もはや己の保身のためではない。

腹黒で要領のいい彼女の頭脳は、今この瞬間から「いかにして月島朔を他のヒロインたちにバレずに独占し、外堀を埋めるか」という、極秘裏のガチ恋ミッションへと完全にシフトチェンジしたのだ。


俺、月島朔の平穏は、本人の与り知らぬところで、これまた厄介な「潜伏型のチョロイン後輩」という4人目の時限爆弾を抱え込むことになったのである。


新ヒロイン登場です☆

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