12.狂気の体育倉庫と、強すぎるモブの物理法則
夕陽の屋上での「重すぎる愛の四の字固め」により気絶した俺、月島 朔は、気がつけば実家のベッドの上で朝を迎えていた。
どうやら、若桜財閥のSPたちが気を利かせて(あるいは葵依の命令で)、俺を家まで搬送してくれたらしい。
俺の両親は、親に借金など一円もない、至極真っ当で善良な会社員である。
そんな平和な家庭の食卓で、いつも通りの普通のトーストと目玉焼きを胃に流し込みながら、俺は深い絶望を抱えていた。
「……おはよう、お兄ちゃん。なんか今日、顔つきが『歴戦の傭兵』みたいになってるよ?」
「結……。人間はな、三頭のドラゴンに囲まれる夢を見ると、一晩で老けるんだ」
学園に行きたくない。しかし、欠席すれば【看病イベント】という名目で、三人が束になって実家を強襲してくるのは目に見えている。
俺は重い足取りで家を出て、フラグの地雷原である学園へと向かった。
奇跡的なことに、朝の登校から午前中の授業までは、嵐の前の静けさのように平穏だった。
幼なじみの雫乃は家庭科部の買い出しで不在、葵依は生徒会の緊急会議、翡翠は図書室の蔵書点検。三人のヒロインがそれぞれの用事で動けないこの数時間だけが、俺に残された唯一のオアシスだった。
そして迎えた、午後の体育の授業。
男子のみの合同体育。俺は体操着に着替え、体育館の隅で完璧な「背景同化」の構えをとっていた。
『あー、あー。迷える子羊の男子生徒たち、ごきげんよう!』
体育館のスピーカーから、またしてもあの女理事長の悪趣味な声が響き渡った。
『本日の男子体育の裏テーマは、【己の肉体で愛する女を守るための白兵戦・基礎訓練】といたしますわ! 体育倉庫から訓練用の機材を出して、男の汗と筋肉をアピールなさい! おーっほっほっほっ!』
「(文科省仕事しろ!! なんで日本の高校の体育で白兵戦の訓練が始まるんだよ!)」
俺のツッコミも虚しく、体育教師(※理事長に逆らえない)が笛を吹き、生徒たちに機材の搬出を命じた。
「おい、お前ら! 体育倉庫の奥にある『武器ラック』を持ってこい!」
男子生徒たちが数人がかりで体育倉庫に入っていく。
そして数分後、彼らは絶望的な顔をして戻ってきた。
「せ、先生! ダメです! あの武器ラック、重すぎてビクともしません!」
「なんだと?」
俺も遠巻きに様子を伺う。
体育倉庫の奥に鎮座していたのは、木刀、竹刀、さらにはなぜか鋼鉄製のモーニングスターやハルバード(※訓練用とは名ばかりのガチ重量)がこれでもかと詰め込まれた、超巨大な特注スチール製『武器ラック』だった。
どう見ても総重量は数百キロを超えている。どこぞの主人公が背負っている大剣も真っ青の重量感だ。
「おい、柔道部とラグビー部! 全員で引っ張れ!」
ガタイの良い男子生徒たちが十人がかりで武器ラックに群がり、「パワーーーーーーー!」と声を上げるが、ラックは床に根を張ったようにピクリとも動かない。
「(……バカな連中だ。あんな目立つイベントアイテム、モブの俺には一切関係ない。俺はここで、飛んできたホコリでも数えて時間を潰そう)」
俺が体育館の壁際で座禅を組もうとした、その時だった。
「キャーッ! なにあれ、すごい迫力ー!」
「男子たちが筋トレしてるわ!」
体育館のギャラリー(2階の観覧席)が、急に騒がしくなった。
見上げると、そこには家庭科部の買い出しから戻った雫乃、生徒会会議を抜け出してきた葵依、そして本を抱えた翡翠の三人が、揃ってこちらを見下ろしているではないか!
「(ゲェェェェッ!? なんでお前ら三人が揃いも揃ってギャラリーにいるんだよ!)」
ピコーン!
ギャラリーから、フラグの発生を予感させる不穏な電子音が微かに響く。
ヒロインたちは、「誰が一番重い機材を運べるか」という男子たちの無駄なアピール合戦を、品定めするような目で見つめている。
「……マズい。ここでモタモタして体育の授業が長引けば、あいつらの視界に俺が入る確率が上がってしまう!」
とにかく、とっととあのバカでかい武器ラックを所定の位置に移動させて、この目立つ「白兵戦イベント」を終わらせなければ。
俺はため息をつき、柔道部員たちが汗だくで苦戦している武器ラックへと、ツカツカと歩み寄った。
「どいてくれ。いつまでもやってると授業が終わらない」
「あ? なんだ月島。モブのお前にこの鉄の塊が動かせるわけ――」
「よいしょっと」
俺は武器ラックの両端のパイプを掴み、腰を落とすこともなく、ごく自然な動作で、まるでコンビニのレジ袋でも持ち上げるかのように、それを「ひょいっ」と持ち上げた。
「「「………………は?」」」
体育館にいた数十人の男子生徒、さらに体育教師、そしてギャラリーの女子たちから、一斉に間抜けな声が漏れた。
総重量数百キロの、鋼鉄の武器ラック。
それを、俺は一人で、しかも顔色一つ変えずに胸の高さまで持ち上げ、スタスタと体育館の中央へと歩いていったのだ。
ガチャン! と、指定された位置に武器ラックを置く。
「……よし、これでいいだろ。さあ、早く授業を始めて終わらせてくれ」
俺がジャージの袖で軽くホコリを払うと、体育館は水を打ったような静寂に包まれていた。
全員の視線が、俺と武器ラックを交互に往復している。
「お、おい月島……!!」
柔道部の主将が、震える指で俺を指差した。
「お前、なんでそんなバカ重い武器ラックを、一人で……しかもそんな普通の顔して持ってあげれるんだよ!? お前、実は化け物か!?」
真っ当な疑問だ。
だが、俺はモブだ。ここで「実は筋トレが趣味で」とか「古武術の極意が」とか、ドラマチックな設定を付け加えたら最後、俺のモブ人生は終わる。
だから俺は、自分の中にある最も「当たり前」で、最も「つまらない」真実を答えることにした。
俺は振り返り、一切の感情を排した真顔で言い放った。
「なぜって? ……モブだからさ」
「「「…………ッ!!!」」」
俺の脳内で、物語を裏で支える名もなき背景キャラクターたちの誇りが鳴り響いた。
物語の主役たちが派手な立ち回りを演じる裏で、セットを組み、小道具を運び、世界観を維持する……。
それがモブの役割。重いものを運ぶなんて、背景を作る者としては当然の義務に過ぎない。
だが、この「モブとしての矜持」は、体育館にいた全員の脳内で、とてつもない誤変換を引き起こした。
「モ……モブだから……だと……!?」
柔道部の主将が、膝から崩れ落ちた。
「俺たちが十人がかりで動かせなかった絶望を……こいつは『名もなき者』としての日常業務に過ぎないと言い切ったのか……! どれだけ圧倒的な力を手に入れれば、そこまで傲慢にならず、自分をモブと称せるんだ……!!」
「つ……強すぎる……!! 自らをモブと呼ぶことで、己の強さを誇示することすら放棄している……! 本物の怪物だ!!」
「(違う! 俺はただセット運びのスタッフ気分でいただけだ! なんで勝手に『悟りを開いた武の極致』みたいに解釈してるんだよお前ら!)」
男子たちの畏怖の眼差しが、物理的な圧力となって俺に刺さる。
そして、恐れていた「音」が、頭上から降ってきた。
「あっ、あっ! 朔ちゃん、かっこいいい!!」
雫乃が、ギャラリーのフェンスを壊さんばかりの勢いで身を乗り出した。
「『モブだから』なんて……! あたしたちが平和に暮らせるように、朔ちゃんが裏で全部重荷を背負ってくれてるんだね……! あたしの騎士様は、世界を裏から支えるアトラスだったんだ……っ!!」
ピコーン!
雫乃の頭上に、【世界を支える孤独なヒーローへの献身フラグ】が突き刺さる!
「……フフッ。あははははっ!」
葵依が、扇子を投げ捨てて高らかに笑う。
「素晴らしいわ、朔! 『モブ』……すなわち、誰にも縛られず、誰にも知られず、ただ純粋な力のみを振るう影の支配者! 私の隣で、この学園という箱庭を裏から操る『影の王』に相応しい言葉だわ!」
ピコーン!
葵依の頭上に、【影の王を愛する・絶対的パートナーフラグ】が燃え盛る!
「……朔」
翡翠が、本を抱きしめたまま、うっとりと目を細めた。
「……名声も、賞賛も、何も求めない。……ただ、なすべきことをなす、名もなき勇者。……私の騎士様は、やっぱり……世界で一番、不器用で、尊い人……」
ピコピコピコーン!
翡翠の頭上に、【名もなき守護者への永遠の忠誠フラグ】が神々しく輝く!
「(だからちがああああああああああああうッ!!!!)」
俺は武器ラックの前で、絶望に身を震わせた。
目立たないために「自分は背景の一部だ」と宣言したはずなのに、それが「自分の強さを隠して世界を支える孤高のヒーロー」という、全ラブコメ主人公が憧れる最強の属性として三人のヒロインの脳内で完璧にアップグレードされてしまった。
親に借金もない、ただの平凡な家庭で育った月島朔。
俺が望んだ「モブ」という言葉は、いまやこの学園で最も熱く、最も愛され、そして最もフラグを乱立させる「禁忌の称号」へと成り果てていた。
俺の平穏な日常は、数百キロの武器ラックと共に、二度と持ち上がらないほど深く、ラブコメの泥沼へと沈んでいくのだった。




