11.開かずの屋上と、夕陽のトライアングル・デッドエンド
放課後の教室で勃発した【強制部活動勧誘・大戦】。
俺、月島 朔は、西日を利用した決死の目眩まし技『太○拳』によって三人のヒロインの視力を一時的に奪い、その隙に教室を脱出することに成功した。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」
俺は心臓を早鐘のように打ち鳴らしながら、誰も来ないはずの旧校舎の階段を駆け上がっていた。
目指すは最上階、「開かずの屋上」だ。学園の出口が絶対女王のSPによって封鎖されている以上、下へ逃げるのは得策ではない。高所へ逃げ込み、ほとぼりが冷めるまで息を潜めるしかないのだ。
「……ここまで来れば、さすがの連中も追ってこないだろう」
開かずの屋上のサビついた重い鉄扉を物理的に押し開け、俺は屋上へと転がり出た。
茜色に染まった空。吹き抜ける生温かい夕風。フェンスの向こうには、平穏な住宅街の景色が広がっている。
俺の両親は親に借金など一円もない善良な会社員だ。今頃、母さんはスーパーで特売の豚肉を買い、妹の結はリビングでテレビを見ていることだろう。
なぜ、同じ家族である俺だけが、こんな某スパイ映画ばりの逃走劇を強いられているのか。
「……終わった。俺は…生き延びたんだ!!」
俺はコンクリートの床に大の字に寝転がり、勝利の息を吐き出した。
これで今日のフラグ乱立イベントは全て終了。あとは日が暮れるのを待って、ひっそりと帰宅するだけ――。
ズガァァァァァァンッ!!!!
「(……ッ!?)」
突如、俺がたった今くぐり抜けてきたばかりの「重い鉄扉」が、普通に開いているにも関わらず爆薬でも仕掛けられたかのような凄まじい轟音と共に、蝶番ごと吹き飛んだ。
「見つけたよ、朔ちゃん!!」
土煙の中から現れたのは、ピンク色のエプロンを身につけ、片手に「愛情たっぷり致死量ニンニク入りハンバーグ」のタッパーを持った幼なじみ・桃瀬 雫乃だった。
「なっ……!? なんでここが分かったんだ!」
「フフッ、幼なじみの愛を舐めないでよね! 朔ちゃんの靴の裏に、朝のうちにGPS付きの超小型発信機を仕込んでおいたんだから!」
「(それを愛とは呼ばない! ただのストーカー規制法違反だ!)」
「……ええ。桃瀬さんのその『犯罪スレスレの執念』には、今回ばかりは感謝してあげるわ」
雫乃の後ろから、レッドカーペットを踏みしめるようにして、絶対女王・若桜 葵依が優雅に歩み出てきた。
彼女の背後には、扉を物理的に破壊したであろう、破城槌のような丸太を抱えた甲冑姿のSPたちが控えている。
「朔。私に目眩ましをしてまで逃げるなんて、本当に手のかかる男……。でも、そんな抵抗もここまでよ。さあ、大人しく私の『特務制圧部隊』の入部届にサインをしなさい」
「断る! なんで高校の部活に破城槌が出てくるんだよ!」
「……チェックメイト、私の騎士様」
そして、頭上。
屋上の貯水タンクの上から、図書委員の腕章をつけた銀髪の美少女・三栗屋 翡翠が、音もなくふわりと飛び降りてきた。
エメラルドグリーンの瞳が、夕陽を反射して真っ直ぐに俺を射抜く。
「……図書室から、一番遠い場所。……朔は、私に『追ってこい』って、合図を送ってたんでしょ? ……不器用な、人」
「(送ってねえよ! ただ逃げ場がなかっただけだ! なんでお前は全てをロマンチックな隠語として脳内変換するんだ!)」
終わった。
開かずの屋上は、瞬く間に三人のヒロインによる完全包囲網へと変貌した。
逃げ場はない。背後は高いフェンス。前方は致死量のフラグを持った三頭のドラゴン。
俺はジリジリと後退し、背中が冷たい金網に触れた。
火曜日の夜にやっているサスペンスドラマの、断崖絶壁に追い詰められた犯人のBGMが流れ始める。
「来ないでくれ! これ以上近づいたら……俺は、俺は……っ!」
「朔ちゃん!? ダメだよ、フェンスを越えちゃ!」
「早まらないで朔! あなたの身体はもう、私だけのものじゃないのよ!」
「……朔。やめて。……私を置いて、空に行かないで」
三人が一斉に顔を青ざめさせ、手を伸ばしてくる。
違う、俺は飛び降りる気なんて毛頭ない! ただ「これ以上近づいたら大声で叫ぶぞ」と脅そうとしただけだ!
だが、俺の言葉は、この狂った世界では全く別の意味に翻訳されてしまう。
「(ダメだ、ここで引いたら俺の負けだ。モブとしての平穏を取り戻すためには、この巨大すぎるフラグの源を、根本から絶ち切るしかない!)」
俺は金網を背にしたまま、フェンスを強く握りしめ、悲壮な決意を込めて叫んだ。
「俺は……俺はただ、平穏に生きたいだけなんだ! 放課後はまっすぐ家に帰り、普通の晩飯を食い、普通の時間に寝る! お前たちみたいなキラキラした連中に関わる気は一切ない! 部活にも入らないし、お前たちの特別にもならない!! 俺の望みはいつも一つ! ただの『モブ』だ!!」
静寂。
夕陽が沈みかける屋上に、俺の魂からの叫びが響き渡った。
よし。完全に拒絶した。ヒロインたちに対して「お前たちに関わる気はない」と真っ向から叩きつけたのだ。普通のラブコメなら、ここで好感度が急降下し、彼女たちは傷ついて去っていくはず――。
「……朔ちゃん」
最初に沈黙を破ったのは、雫乃だった。彼女の目には、なぜか大粒の涙が浮かんでいる。
「あたしたちが、朔ちゃんを巡って争いすぎたから……。朔ちゃんは、自分の身を引いて、誰も傷つけない道を選んだんだね……! 自分が『モブ』になることで、この争いを終わらせようとしてるんだ……っ!」
「……そういうことだったのね」
葵依が、深紅の瞳を震わせ、胸元を強く握りしめた。
「私の巨大すぎる権力が、彼を縛り付けていた。だから彼は、私を『普通の女の子』として扱うために、あえて冷たく突き放した……。なんて、なんて優しくて、残酷な男……っ!!」
「……朔」
翡翠が、萌え袖で自分の目元を拭い、儚く微笑んだ。
「……私たちの日常を守るために、自分から『背景』に溶け込もうとするなんて。……やっぱりあなたは、どこまでも自己犠牲の塊でできた、私の不器用な騎士様……」
ピコピコピコピコピコピコピコピコーン!!!!!!!!
学園全体を揺るがすほどの、すさまじい電子音の爆発。
俺の目の前で、三人のヒロインの頭上にあった巨大なフラグが、夕陽の光を吸収してますます巨大化し、複雑に絡み合い始めた。
『自らをモブと蔑み、全ての好意を拒絶することでヒロインたちを争いから解放しようとする自己犠牲。その不器用すぎる優しさに触れ、三人の乙女の心が「彼を絶対に独りにしない」という強固な決意で一つになる【永遠のトライアングル・聖戦勃発フラグ】!』
「(だからちがああああああああああああうッ!!!!)」
俺は空に向かって、血の涙を流さんばかりの咆哮を上げた。
拒絶が「究極の優しさ」に変換され、逃走が「自己犠牲」に変換される。
俺がフラグを折ろうとしてとった行動は、ことごとく裏目に出て、もはや鋼鉄のワイヤーよりも太い「絶対切れないフラグ」へと強化されてしまっているのだ。
「朔ちゃん! もう一人で抱え込まなくていいよ! あたしが一生そばにいるから!」
「朔! あなたのその高潔な魂、若桜財閥の全資産を懸けて守り抜いてみせるわ!」
「……朔。もう、逃がさない。……ずっと、一緒」
三人が同時にフェンス際へと駆け寄り、俺の腕、腰、そしてネクタイをガッチリとホールドした。
「や、やめろ! HA!NA!SE! 胃が! ハバネロの傷跡が痛む!!」
夕陽に染まる開かずの屋上。
月島朔は、三人のヒロインの「重すぎる愛の四の字固め」を食らいながら、モブとしての人生が完全に詰んだことを悟り、静かに白目を剥いて気絶した。
恋愛フラグが見える俺の、絶望のスクールライフ2日目。
俺が手に入れたのは平穏ではなく、学園中を巻き込んだ「前代未聞のヒロイン争奪戦のど真ん中」という、最悪の主人公ポジションだった。
そしてこのカオスは、明日以降も果てしなく続いていくのである。




