前世の影響
本当にほんの微かな頬の紅潮だった。
少なくとも昨日までの俺であれば、絶対に気がつかなかったと断言できるレベルには軽微な赤らみ。
そして、ふと思ったことをそのまま口にする。
「もしかして……熱、あるのか?」
俺の問いかけに望月は、目を丸くして息を呑んだ。
何度も目を瞬かせた後、ぽつりと声を漏らす。
「……なんで、分かるの?」
「当てずっぽうだよ。何となくそうじゃないかって思っただけだ。まあ、強いて言うなら……前世パワーってところになるか」
俺と望月の立場をあの兄妹に置き換えた場合、朝陽ならきっとこう考えただろう、という直感に従ったまで。
だから凄いのは、妹の些細な変化すらも見逃さない兄貴の観察力であって、決して俺なんかではない。
——まあ、それはさておくとして。
「それよりも動いて大丈夫なのか?」
「うん、平気。熱があるっていっても、ちょっと微熱っぽいなってくらいだから。この程度なら休むほどでもないよ」
「……そうか。それなら良いんだ」
また伸びそうになった右腕を抑えながら、俺は望月から一歩距離を取る。
昨日のこともあるから未だ心配は拭えないが、本人が大丈夫だって言うのであれば、これ以上の追及は不要だ。
さっきから俺の中で込み上げてくる不安は、朝陽の月詠に対する感情由来だろうから。
「でも、くれぐれも無理はするなよ。一応、病み上がりなんだから」
「はーい、分かってまーす」
にこにこ笑いながら答える望月。
(本当に分かっているのか……?)
これまでの彼女からは絶対に想像のつかない軽い返事に胡乱に思いつつも、俺は学校に向かって歩き出す。
まだHRが始まるまで時間に余裕はあるが、いつまでもここで立ち話をしているわけにもいかない。
念の為、スマホで現在の時刻を確かめながら、
「じゃあ、また教室で——」
言い切るよりも先に望月が俺の隣にぴったりとついてきた。
あまりに流れるような動きだったので、俺は一瞬反応が遅れてしまう。
「……あの、望月さん?」
訊ねれば、望月は僅かな沈黙を挟んでからおずおずと、
「もうちょっとだけ、きみの傍にいさせて」
切実な声だった。
「分かった」
俺は短く頷いた。
半ば反射的に返事をしてしまったが、特に拒否する理由がなかったので良しとしよう。
——いや、拒みたくなかった、という方が正しいのかもしれない。
間違いなく朝陽の影響だ。
妹の頼み事なら大抵引き受けてしまう兄バカな一面が俺にまで引き継がれている。
……それに抗えない俺自身もどうかと思うけど。
胸中で自嘲していれば、
「へへ、やった!」
望月は上機嫌に声を弾ませ、こちらに体を傾け——すぐさま慌てて姿勢を正した。
「ん、どうした?」
「へっ!? あっ、ううん、何でもないよ! 気にしないでっ!」
「……あ、ああ」
返事をした時には、既に望月は顔を俯かせてしまっていた。
……なんなんだ?
体調が悪化してバランスを崩しかけた……って、わけではなさそうだな。
顔が熟れたりんごみたいに真っ赤になっているけど、足取りは至って普通だし、だとしたら朝陽の記憶が何かしら反応しているはずだ。
なので、今の謎行動は無かったものとして頭の片隅に追いやることにした。
それから俺と望月は、無言のまま通学路を隣り合って歩く。
会話はないものの、ほぼ密着しているレベルでくっついており、望月が俺から離れる気配は微塵も感じられない。
もし学校の人間に見られようものなら、まず確実に変な誤解を生むだろう。
ただまあ、幸いにも俺ら以外にこの通学路を使っている生徒はいない。
学校近くの道に出るまでは、誰かに見られる可能性は低いはずだ。
——とはいっても、もう少しで学校前の道に出るんだけど。
望月はこれからどうするつもりなのだろうか。
なんて思いつつ、彼女を一瞥すれば——、
「「……あ」」
互いの目と目が合った。
長い睫毛に覆われた二重の大きな瞳と白さを取り戻した新雪のような肌が視界いっぱいに飛び込む。
「——っ、」
つい見惚れて、一瞬思考が止まりかけるも、
「ねえ、滝澤くん」
望月に名前を呼ばれ、すぐに我に返る。
「あ、あのね……一つお願いがあるんだけど」
両手の指先を合わせ、遠慮がちに言う望月。
さっきまであったはずの月詠の面影は、すっかり鳴りを潜めていた。
「お願い……?」
「……ううん、やっぱりなんでもない。わたしのわがまま聞いてくれて、ありがとね!」
どこかぎこちなく微笑んで、小走りで先に行ってしまった。
「あっ、おい——」
呼び止めようとしたが、声を発した時にはもう距離が離れてしまっていた。
「あいつ、何を言おうとしてたんだ……」
一人残されてから立ち止まって色々と考えてみたものの、それらしき予想すら立てられなかったので、諦めて学校に向かうことにした。




