103.純潔の代償、それは…
大都市“フレイムサンドロス”へ向かう道の中継点として栄えた“アレスティ”。
この町には多くの宿屋があり、その規模や質は千差万別である。
底辺ランクで言えば馬小屋のような粗末なもの、最上級のランクで言えば貴族の豪邸を思わせる豪華絢爛なものまで多岐にわたる。言わずもがな、最上級の宿屋に泊まることができるのは、ごく限られた者たちだけだ。
そして、“アレスティ”随一の一角を担うある宿屋の一室。
貧相すぎず優雅すぎず、ほどよい上品さが心地のいい空間を作り出すこの部屋に4人の人物が正座をさせられていた。
一人は金色のロングヘアにルビーのような赤く輝く瞳を持つ少女アストリア・ナルトリフ、一人は幼さがまだ残っている黒髪の少女サヤ・ハイストロ、一人は着崩したスーツの上にロング丈の白衣を羽織った大人びた少女イリイナ・ルーリール、もう一人が黄金色の尻尾と犬の耳が特徴的な獣人族の少女シュナ・アルペルトである。
彼女たちはある一人の女性の指示により、2時間近く姿勢を崩すことを許されなかった。
鮮やかな青の修道服を身にまとい、エメラルド色の瞳と長い髪が幻想的な雰囲気を醸し出すエルフ族の少女メイリス・トロイアス。
世界規模の宗教“ヒーリスト聖教”の助祭である彼女は、アストリアたちの前で分厚い本を片手に何度も左右を往来しながら説教を続けている。
「確かに、君たちのあの子に対する想いはわかる。誰かを愛し、愛されたいという感情は人として当たり前のものだ。それは僕たち亜人族にも言えることだよ。けどね、それであの子をあんなに追い詰めるのはやはり間違っている。いいかい?『神聖創始記』3章28節において、シリスト神の父親にあたるメイア神がこうおっしゃっている。『愛を与える者を私は愛する。しかし、愛を求める者を求める者を私は蔑む』と。これは昔存在していた“グル”という国の宰相をしていたトルー・ナントという男がアインズ・タマという半神半人の少女に恋をしたときのお言葉なんだけどね……」
メイリスは信徒へ説法をするかのように、ヒーリスト聖教の神話や故事を引用し言葉を紡いでいく。心なしか活き活きとしているようにも見える。
しかし、ヒーリスト聖教に全く馴染みのなかったアストリアたちにとって、その独特な世界観や初めて聞く言葉についていくことができなかった。サヤや至っては頭から湯気をのぼらせて、今すぐにでも気絶してしまいそうだ。
なぜメイリスが説教をしているか。
それは後ろで伸びている黒髪の少女ミユウ・ハイストロを巡っての騒動にメイリスが巻き込まれたからである。
“ミユウからのキス”を巡り早朝からあらゆる手段で襲いかかるアストリアたち。
身の危険を感じたミユウは宿屋を脱出し、その先でメイリスと再会した。
この部屋でメイリスと話をしていた途中でミユウの中の性的本能が爆発、抑えきれなくなったミユウは連れ戻しに来たアストリアたちの前でメイリスへ強引にキスをしたのだった。
ことの経緯、そして自分たちの行動の目的をメイリスに伝えた途端、メイリスの怒髪天をつき、現在に至る。
「トルー宰相は心を入れ替え、本当の愛とは何かを悟った。そして、変わった彼に心惹かれたアインズはトルーと一緒になったんだ。しかし、それを認めなかった神様がいて……」
「あの、メイリスさん?」
アストリアが申し訳なさそうに手を上げる。
それに気づいたメイリスは動きを止め、アストリアに目線を向ける。
「どうしたんだい?これから盛り上がるところだから、止めないでくれるかな?」
「それは大変申し訳ございません。もう少しお話を聞きたいとは思うのですが、もうそろそろ私たち限界で……」
そういいながら、自分の足をさする。
堅い床の上で、しかも正座で座る習慣のないアストリアたちにとって、長時間の正座は苦行以外の何物でもなかった。
他の3人の姿を順番に目視していく。どうやら全員アストリアと同じで、限界にきているようだ。
メイリスは大きなため息をつく。
「すまない。つい気が立って、周りが見えなくなっていた。これだけ言えば君たちも分かってくれただろう」
「はい。私たちがミユウさんに無理強いをしてしまったのだと分かりました」
「にぃにが好きな余りに酷いことをしちゃったよ」
「結局は自分たちのことしか見とらんかったという訳や」
「恥ずかしい限りじゃ」
「分かってくれたならいいんだ。うん、じゃあ脚を崩してもよし!」
メイリスの許可が下りた途端、全員が姿勢を崩し、悶絶した表情でシビれた脚を伸ばしたり、マッサージしたりする。
「しかし、分からないなぁ」
「ん?何がや?」
「君たちのミユウに対する執着だよ。いや、別に否定しているわけではないんだよ?けど、言っちゃなんだが、どれだけ彼女を愛しても、彼女から愛されても結ばれることなんて……」
「何を言いよるんじゃ?結ばれんのじゃったら、ここまで執着せんじゃろ」
「いや、だって彼女は女の子だ。ずっと一緒にいることはできるだろうけど、婚姻を結ぶのはさすがに……」
「おや?もしかして、知らないのですか?ミユウさんは男性ですよ」
「………………は?」
“ミユウは男性”
アストリアのその言葉を聞いて、メイリスの脳内は完全に停止し、約30秒沈黙した。
「メイリスさん?大丈夫ですか?」
「…………いやいやいやいや!おかしいよ!はどう見たって女の子だろ!ここに連れてくるときにおんぶをしたが、背中や腰に当たっていたあの柔らかい感触は間違いなく女の子のそれだ。第一、男の胸にあんなものがついているか?あんな口調で話すか?」
「確かに今のミユウさんの体は間違いなく女の子です。しかし、それは私がミユウさんの左の足の裏に刻んだ魔術印の効果で変わってしまったもの。口調もその効果の一つです。しかし、中身は間違いなく男性そのものです」
「そう、だったのか……」
メイリスは全身の力が抜け、床にドサッと尻餅をついた。
「というか、あたし前から“にぃに”って呼んでたよね?それで気づかなかったの?」
「いや、それは君がミユウを兄と思い込んでいる痛い子なのかなと思って……」
「酷くないっ!」
「しかし、そうか。そう考えれば、君たちの言動にも納得がいく。彼女の、いや彼に魔術印があった時点で想像するべきだったのかもしれない」
「けど、まさかにぃにからのキスをメイリスさんにとられちゃうなんて夢にもみてなかった。こうなるんだったら、アスねぇより早くにぃにの部屋に行って、ポーションを飲ませればよかったよ」
「君、まだ懲りていないようだね。どうやらまだお説教が必要……ん?」
ミユウが男だと理解できようとしたところで、メイリスはあることを思い出す。
(あれ?じゃあ僕は男に胸を揉まれたり、首筋を舐められたり、キスをされたりしたということなのか?あまつさえ一瞬でもそれに快感を覚え、甘んじて受け入れようと。というか、ミユウはどうして自分が男だということを教えてくれなかったんだ。それって、僕に下心があって、僕が油断して隙を作るのを待つために黙ってた?じゃあ、今回のことは以前から……)
その時、メイリスの中で溶岩のような熱く、ドロドロとした感情がわき上がってくるのを自分自身で感じた。
「では、メイリスさん。私たちはこれで失礼いたします」
「にぃにはあたしがおぶって行くよ。そして、目を冷ます前にベッドに拘束して全身こちょこちょの刑にする!」
「……ちょっと待ってくれ」
伸びているミユウを立ち上がらせようとするサヤの左肩にメイリスがポンと手を添える。
「ひぃっ!ご、ごめんなさい!冗談です!ちゃんと反省してるから、もうお説教は勘弁して!」
「違うから。君たちは帰っていいよ」
「ふぅ。よかった……」
「でも、ミユウはここに置いていってもらうよ」
「え?」
サヤが振り返ると、メイリスはニコッと笑っていた。
「なんでにぃにを?」
「ちょっとミユウと話したいことがあるからね。大丈夫。用が済んだら、君たちの宿屋に責任を持って連れて行くから」
「わ、わかった……」
サヤは本能で理解した。
彼女の笑顔の奥に底知れない恐怖が渦巻いていることを……。
ーーー
「ここ、どこ?なんでこんなところにいるんだろう?うぅ、思い出せない……」
目を覚ましたミユウは目の前に広がる見覚えのない部屋の風景に頭を傾げていた。
正確に言えば、全く記憶がないというのではなく、自分が眠りにつく前の記憶が霧がかかったようにぼんやりとしているのだ。
「確か、宿屋から逃げ出して、通りでメイリスに会って、彼女の部屋に連れてきてもらって…………そうか。ここはメイリスの部屋だ。けど、メイリスと話をしていた途中あたりからどうしても思い出せない。むしろ思い出したらダメな気もする」
記憶が蘇るのを拒否するように、激しい頭痛が襲う。
そんな時、あることに気がつく。
自分の胸下あたりを何かゴツゴツとしたものが巻かれている。そして、その違和感がある場所が不自然に煌々と光っている。
その原因を確認するため、目線を落とした。
「光の、鎖?」
ミユウの上半身を何重にもぐるぐる巻きにしていたのは太い鎖だった。しかも、普通の鎖とは思えないほど強く光っている。
いや、それは鉄製の鎖ではなく、光そのもので作られた鎖だった。
「なんで縛られてるの?というか、これなんなの?」
「なんでだろうね?」
より自分の置かれている状況が分からなくなったその時、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
目線を左側に向けると、ソファーに青い修道服を着たエメラルド色の瞳のエルフが脚を組んで腰かけていた。
それは紛れもなくミユウの記憶が曖昧になる前に話をしていたメイリスその人だった。
「やっとお目覚めだね。随分とぐっすりと眠っていたけど、いい夢でもみていたのかな?」
「メイリス、この鎖は何?めっちゃ光ってるんだけど」
「何って、僕の力で形成した鎖さ。君も以前同じようなものを見ただろ?まあ、封魔鎖を使ってもよかったんだけど、生憎手持ちになくてね」
「ねぇ、なんでこんなことするの?」
「なんで、か……」
メイリスはソファから立ち上がり、身動きのとれないミユウとの距離を縮める。そして、ミユウの目の前でしゃがんだ。
「君、自分が何をしたのか覚えていないのかな?」
「え?あたし、何かしたの?」
「覚えてないか。じゃあ、教えてあげよう。君はね……」
メイリスは細い人差し指の先をミユウの胸にむにゅっと押しつける。
「僕のここに顔を埋めて……」
続けて、指先をミユウの首元に向けて、すぅっとなぞるように移動させる。
「僕のここを舐め回して、そして……」
指先でミユウの唇をポンと押さえる。
「僕のここを君のここで奪ったんだ」
メイリスはニコニコと微笑んではいたが、その瞳は氷のように冷たく感じた。一瞬、静かに怒りを燃え上がらせるアストリアを思い出した。
その瞳を見るだけで全身から冷や汗が噴き出してきそうだ。
「う、うそ……」
「嘘じゃないさ。今でも君の唇の柔らかさが僕の唇に残っている。なんたって、これが初めてだったからね。世間ではこれを“ファーストキス”といって、一生に一度の忘れられない思い出にするそうじゃないか。まあ、君は忘れてしまったんだろうけど」
「ち、違うの!それはあたしの意思じゃなくて……」
「君がどう思っていようが、君が僕のはじめてを奪った事実は変わらない。そうじゃないかな?」
「うっ……」
メイリスに言い返すことができない。
まったくもってその通りだからだ。記憶がなかったとしても、メイリスにキスをした、しかも、ファーストキスを無理やり奪ったことは許されることではない。
何も言わないミユウ。
そんな彼女の顔をメイリスはじーっと見つめている。
「ねえ、ミユウ?君、僕に何か隠し事をしていないかい?」
「隠してるって、別に何も……」
「へぇ~。本当かなぁ~」
メイリスは両手の人差し指を立てると、指先をミユウの脇の下に差し込み、その窪みをくすぐり始めた。
「あははははははははは!ちょ、だ、だめ、いやははははははは!」
「君が夢を見ている間にアストリアたちから君のことはいろいろ聞いた。だから、僕は既に知っている。けど、君の口からちゃんと聞きたいんだ。さあ、君の秘密を洗いざらい白状しなさい」
「する!白状するから、や、やめて、やあはははははははははは!」
「最初っからそうすれば良かったんだ」
メイリスは指の動きを止め、人差し指を抜く。
「はあ、はあ、ひ、秘密って、あたしが、不殺族だってこと?でも、それは下手に明かせば大変なことに……」
「まあ、それに関しては驚かされた。けど、僕が聞きたいのはそこじゃない」
「けど、他に思い当たることは……」
「おや?まだ笑い足りないのかな?今度は左の足の裏がいいかい?それとも背筋を……」
「ひぃっ!そ、それだけは許して!」
「じゃあ教えるんだ。往生際が悪いだなんて、男らしくないよ」
「だから他に秘密なんてな……いや待って。もしかして、あたしが男だってこと?」
「ピンポーン!よく言えましたね~」
メイリスは子どもを褒めるようにミユウの頭をよしよしと撫でる。ただ、心なしか力が強いように感じる。
「メイリス、誤解だって!別にこれは隠してたわけでも、だましてたわけでもなくて、タイミングが合わなかっただけで……」
「へぇ~。そうなんだぁ~」
メイリスの手の力がより増していき、ミユウの頭がぐりぐりと回る。
「絶対に信じてないよね!」
「確かに、君が自分の正体を隠していたことは大問題だ」
「だから、隠して、?!」
ミユウの言い訳を止めるように彼女の額を鷲掴みするメイリス。今にも頭蓋骨を砕かれてしまいそうだ。
「でもね、僕が許せないのはね、君が自分が男であるということを隠して、僕の純潔を奪ったことだ。
僕はシリスト様にお仕えするこの身を穢すまいと情事には一切触れてこなかった。だから、教会にいた時も男性修道士と一定の距離を置いていたほどにね。
しかし、そんな信条を信念を男である君はいとも簡単に穢したんだ。
ねぇ、それがどれほど罪深いものか、君には理解できるかな?ミユウ・ハイストロ」
「ご、ごめんなしゃい……」
「そんな安っぽい謝罪で済まされるほど、軽いものじゃないんだ」
メイリスはミユウの額から手を離す。
「本来なら死に値する大罪だ。しかし、今回は君には酌量の余地がある。それに完全に気を緩めてしまった僕にも落ち度がある。だから今回はこれで罪を贖ってもらおうじゃないか」
メイリスは胸元に吊るされた銀のペンダントを両手で持ち、祈りを捧げるように目をつぶった。
『請う。眼前に侍る哀れなる魂を堅固なる微笑にて愛撫せよ』
詠唱を唱えると、光の粒子が集まり、巨大な鉄の彫刻に姿を形成していく。
祈りを捧げる微笑みの聖女の彫刻。
その姿はミユウの中の恐怖体験を鮮やかに蘇らせた。
「ラ、“ラフィング・メイデン”!」
「名前を覚えていてくれてたようだね。嬉しいよ。そう、罪深い者の魂を浄化してくれる聖なる乙女さ。この子なら君の悪しき心を正しい道へ導いてくれるだろう」
“ラフィング・メイデン”は重厚な音を鳴らしながら、ゆっくりと開かれる。
そして、中から無数の手が現れ、ミユウの全身を掴み始める。
「やだ!許して!謝るから!」
「ふふふ。謝るがいい。聖女の愛撫を受けながらね」
抵抗するミユウであったが、虚しくも無数の手によって“ラフィング・メイデン”の中に引きずり込まれた。
『ぎゃあああああああははははははは!いひひひひひひ!や、だ、あ、あはははははははははは!』
その後、“ラフィング・メイデン”は2時間に渡り、笑い続けるのであった。




