101.聖女の救済、なのに…
旅人で人混みが増してきた昼前の“アレスティ”の大通り。
この通りを一人の少女が駆け抜けていた。
腰まで伸びた黒髪をなびかせる少女は、砂埃で汚れた白いガウンのみをまとっていた。めくれ上がる度に紺色のショーツが見え隠れする。
通常時ならこのような醜態を公衆の面前に晒すなど、死にたくなるところだ。
しかし、そのようなことを言っている場合ではない。
今、彼女“ミユウ・ハイストロ”は貞操の危機にあったのだった。
アストリアにマッサージと称して性感帯を異常なまでに刺激されたのを発端に、サヤには強力な滋養強壮効果のあるポーションを無理矢理飲まされ、シュナにはミユウの内側にある野生本能を執拗にかき立てられた。
危うく本能のままにシュナを襲いそうになったミユウであったが、イリイナの強襲騒動の隙を狙い、窓から外に逃げ出した。
2階から飛び降りたこともあり、多少の負傷はしたが、不殺族特有の治癒能力で数秒で完治し、そのまま大通りへと出てきたのである。
(今日のみんなはおかしいよ。いや、おかしな行動はいっぱいあったけど。今日は特におかしい!)
そう今回のアストリアたちの言動には奇妙な点があった。
ものの数時間で4人全員がミユウに何かを仕掛けてくるのは初めてのことだし、それに全員が連携しているのではなく、互いに競い合うように見えた。いつも仲のいい4人とはとても思えない光景だ。
その原因も、彼女たちの目的もミユウには見当がつかない。
しかし、あのまま宿屋に滞在すれば、自分の中の大事な何かを失ってしまうということは確かだ。
「どこに行けばいいかわからないけど、とにかく身を隠さないと、ひにゃっ!」
ミユウは石畳の段差に足を引っかけ、そのまま転けてしまった。
「う、うぅ~」
地面に体を激突させた痛みと、自分の泥だらけの姿を想像して湧き出た情けなさにミユウは思わず小さく唸ってしまった。
擦り傷はすぐに治った。
しかし、心の傷は塞がることはなかった。むしろ広がってく一方である。
周囲の視線を肌で感じ、あまりにも恥ずかし過ぎたので、顔を地面から上げず、その場で涙を流した。
「君、大丈夫かい?」
頭上から声をかけられた。
ミユウは涙で濡れた顔を見られないように、両手で顔を隠しながら体を起こし、ガウンの袖で顔を擦りつけ、声の主に目線を向けた。
「え?」
すると、目の前には見覚えのある人影があった。
青を基調とした修道服、胸元に十字架と月と太陽を重ねたペンダント、ベールの隙間から見える長く尖った耳、そして、エメラルド色の瞳と髪が特徴的な端正な顔立ち。
その姿を目にした者はその神聖な姿を忘れることはないだろう。
「メ、メイリス……」
ミユウは聖女の名を呟いた。
「ミユウ!君は何をやってるんだ。ガウンはボロボロだし、その下は裸だし。まともな女の子のする格好じゃないよ」
「うぅ~~」
「え?どうしたんだ。いきなり涙ぐんだりして……」
「うえ~~~ん!メイリスぅ~~~~!」
メイリスの胸元に飛びかかり、号泣するミユウ。
いきなりのことにメイリスは困惑する。
「ちょ、え、え~?いや、本当にどうしたんだ?」
「こ、怖かったよ~~~~!」
「いや、ちょ、い、一回落ち着くんだ。ね?」
「たじゅけて~~~~!」
「うん!わかった!本当はわかってはないけど、わかった!とにかく場所を変えよう。ここは人目につくから。ね?」
「ぐすっ、ぐすっ。う、うん……」
「やっと泣き止んでくれた。じゃあ、一緒に行こう、って裸足じゃないか」
「無我夢中で逃げてきたから……」
「よほど切羽詰まってたんだね……よし!」
メイリスはミユウに背を向けて、膝をついた。
「僕の背中に乗りなさい」
「だ、ダメだよ!あたし、泥まみれだからメイリスの服を汚しちゃう!」
「何言ってるんだ。さっきの君のタックルで既に泥まみれだ。それに裸足の少女を隣に侍らせて歩いては、聖職者として外聞が悪いからね」
「でも……」
「遠慮するな。ここからそんなに距離もないから大丈夫だよ。さあ、乗った乗った」
「……じゃあ、失礼します」
ミユウはガウンの裾を軽く整え直すと、メイリスの背中に身を委ねた。
ミユウの重さを背で受け止め、メイリスはゆっくりと立ち上がると、姿勢を直すために「よいしょ」とミユウの体を浮かせた。
「ひゃいっ!」
その時、ミユウの股間がメイリスの腰にぶつかり、思わず声を上げてしまった。
いつもなら何でもないことなのだが、感覚が過敏になっている今のミユウの体には耐えがたい刺激であった。
「ごめん!傷が痛むのかな?」
「う、ううん!何でもない!」
「そうかい?もし痛かったら言うんだよ」
自分の泊まっている宿屋へ足を進めた。
上下左右に揺れるとミユウとメイリスの体がこすれ合う。そして、メイリスの背中の温かさや石けんの香りがより気持ちを高まらせる。
「ん、あ、んん……」
その度にミユウは必死に声が出そうになるのを堪えていた。
ーーー
メイリスに背負われて30分後、ミユウはメイリスが宿泊する宿屋にたどり着いた。
部屋に入った途端、ミユウはその光景に唖然とした。
そこは5人が泊まってもまだ余裕があるぐらい広い空間だった。
広さだけではなく、部屋に置かれている家具や調度品も誰の目から見ても分かるほどに高価そうなものばかりで、とても一介の旅人が容易く泊まれるようなところではない。
一瞬、“シュターナリクス”でシュミルーク家が用意した宿を思い出した。
豪華さではあの部屋と同格とまではいかないが、それに次ぐ規模であると言えるだろう。
「メイリス、部屋間違えてない?」
「間違えてないよ。ベッドの上に僕の荷物がちゃんとあるか」
メイリスが指さす先にはヘッドボードや脚に細工を凝らしたキングサイズのベッドがあり、それに不釣り合いの薄汚れた荷物袋が純白のシーツの上に無造作に置かれていた。
メイリスはミユウを背中から降ろすと、腰に手を当てて背伸びをする。
「メイリスって、実はお金持ちだったりする?」
「あはは。そんなことないよ。第一大金を持っているなら、食料を探すために森の中を彷徨うことなんてしないだろ」
「それもそうだね。じゃあ、なんでこんな凄い部屋に泊まっているの?」
「ヒーリスト聖教を信仰する人の中には貴族や豪商も少なからずいてね。彼らが強い影響を与えている町に入ると、好待遇で迎えてくれるんだよ。この町もその一つってことだ。ほら、僕って一応“助祭”だからね」
「すごいね。正直、メイリスがこんなに地位がある人だなんて思わなかった」
「まあ、出会ったときに森の中で生き倒れていたんだからね。それに僕は立派な者じゃないよ。“助祭”という地位がなければ、僕は一介のエルフ族に過ぎない。こんな豪華な部屋は僕に不釣り合いだ。野宿したり、小さな宿の一室で寝泊まりするぐらいが性に合っているよ。本当はこんな待遇、断ってやりたいところだが、立場上それもできないんだが」
「思ったより大変なんだね、助祭って」
「そんな大したものじゃないって。まあそんなことより、宿の人に君の靴を借りにいくから、ゆっくりくつろいでいてくれ」
そう言い残すと、メイリスはそのまま部屋を出て行った。
「くつろげと言われてもな……」
ミユウは部屋を一通り見渡し、腰を下ろすものを探す。
部屋の真ん中で巨大なソファーが存在感を放っている。
メイリスは暗にあのソファーに座って待っていろと言っていたのだろう。
しかし、土汚れでまみれたガウンでソファーを汚すのは忍びない。ベッドなど論外だ。
かといって、ミユウたちが宿泊している宿屋に置いてあるような木組みの椅子なんてあるはずがない。
部屋中をうろちょろ歩き回りながら悩んだ挙げ句、ミユウはソファーの隣の床にちょこんと座った。
「そんなところで何をやっているんだ?」
革靴を片手に部屋に入ってきたメイリスの第一声がこれだ。
「あれかな?君の中で“くつろぐ”とは床に座り込むことを言うのかな?」
「いや、この体勢が一番くつろげるというか、和むというか、落ち着くというか」
「僕は女の子が床に黙って座っていると落ち着かないよ。くつろいでいるところ申し訳ないが、そこのソファーに座ってくれないかな?」
「でも、あたし汚れているし……」
「あーなるほど。そういうことか。僕はそんなこと気にしないし、宿の人たちだって汚れること前提で部屋を貸してくれているんだから、遠慮なんてすることないよ」
「……わかった」
ミユウは立ち上がり、隣のソファに腰かけた。
その時、ミユウの体は沈んでいき、クッションが彼女の臀部を包み込んでいく。
思った以上の柔らかさに、ミユウは「うわぁ」と声を上げてしまった。
そして、メイリスも向かいのソファに腰かけた。
「君はソファーに座るのは初めてなのかな?」
「そんなことはないよ。数えるほどだけど、何回か座ったことがある。けど、こんなに柔らかいのは初めてな気がする」
「そうか。よかった、よかった」
メイリスは頬杖をつき、ニタッと口角を上げた。
「ど、どうしたの?何か変だった?」
「いいや。君の反応を見て、昔のことを思い出しただけだ」
「昔のこと?」
「うん。8年前だったかな?アストリアを当時僕が任されていた教会に招いたときだ。あの子、初めてソファに座ったらしくてね。さっきの君みたいに驚いていたんだ。その姿が今思い出しただけでもおかしくて」
「へぇ。今のアストリアからは考えられないよ」
「そうなのかい?」
「今だったら、『そんな反応をしていたら、田舎者に思われてしまいますよ』って説教されると思う」
「あはは。僕からしてみれば、当時の彼女の方がよっぽど田舎娘って感じだがね。でも、それだけあの子も成長したということか……」
もの寂しげに呟くメイリス。
そんな彼女にミユウは疑問をぶつけてみた。
「……メイリスってさ、本当はアストリアのこと、どう思っているの?」
「…………はぁ?!ななななな、何言い出すんだ、君は!」
「だって、毛嫌いしてる人との思い出をそんな楽しそうに話すわけないし。“魔女”とか“仲間の仇”とか言っているけど、本当は仲直りしたいんじゃないの?」
「そんなわけないだろ!彼女が魔術族であり、同胞を殺した事実がある限り、僕はアストリアを許す気はない!変なことを言うな!」
「動揺してるのが怪しい。絶対アストリアのことがす、うう゛っ!」
ミユウが何かを言うのを止めるように、メイリスは身を乗り出してミユウの口を両手で塞いだ。
「はいはいはーい!僕の話はこれで終了ー!今度は君の番だ!」
「んんっ!んっ!」
「え?あ、ごめん。つい気が動転して手を出しちゃった……」
メイリスが両手を離すと、ミユウは大きく呼吸をして酸素を補給する。
「もう勘弁してよね」
「ごめんごめん。ところでさ、君はなんであんなところで半裸状態で走っていたのかな?それにアストリアたちの姿が見えなかったけど、一緒じゃないのかい?」
「実は、そのアストリアたちに朝から襲われていて、隙を見つけて逃げ出してきたんだ」
「襲われている?これはまた物騒な話だな。何か怒らせることでもしたのかい?」
「怒らせるようなことは…………」
「覚えがあるんだ」
「違うよ!確かに前日の晩にみんなに冷たくあたってしまったけど」
「ほら見ろ。きっとそれが原因だ。君にとってはたいしたことじゃないかもしれないが、相手にとっては大いに気を損ねることだってあるんだよ?」
「だから、違うんだって。みんな、怒っているとは違う気がする。とにかくなんだか変なんだよ」
「変、か。彼女たちは具体的に君に何をしてくるんだい?」
「やらしいマッサージをしたり、変なポーションを飲ませたり、添い寝をしてきたり、自分の部屋に連れ込もうとしたり……」
「ちょっと待った!少し整理する時間がほしい」
メイリスはミユウの言葉を中断させる。
そして、右手を額に当て、少し考え込んだ。
「ごめん。僕の考えていた“襲われた”とかなりイメージが違ったから。確認するけど、それって本当に襲われているのかい?その、じゃれ合ってるんじゃないのかな?」
「そんなかわいいもんじゃないよ!あたしは命からがら逃げ出してきたんだから!」
「ごめんごめん。あの、前から気になってはいたんだが、やっぱり君たちって、そういう関係なのかな?」
「そういう関係って?」
「僕がいた教会の中でもそういう子たちがいたのだけど。女の子同士が心惹かれ合う?というか、身を交わらせる?みたいな……」
「え?女の子同士?」
「いや、僕はそれを否定するつもりはないんだ。世の中にはいろんな愛の形がある。それらを受け入れなければならないというのはシリスト様の教えの中にもあることだからね。でも、さすがにそんなボロボロになるまで愛し合うというのは容認しがたいものであって……」
「あれ?まだ言ってなかったっけ?実はあたし……うっ!」
ミユウが言葉を続けようとした途端、ミユウの心臓がドクンと大きく鼓動した。そして、忘れかけていた欲情が勢いを取り戻してきた。
(まさか、こんなところで、こんなタイミングで……)
ミユウはその感情を抑えるため、自分の胸を力強く鷲づかみにする。
その姿に心配になったメイリスは立ち上がり、ミユウの隣に駆け寄った。
「大丈夫か?!体調が悪くなったのかい?」
「心配、しないで……」
「そういうわけにはいかないだろ。さあ、ベッドで横になるんだ」
「大丈夫だ、よ?!」
メイリスがミユウを立ち上がらせようと肩に手を回したとき、メイリスの胸がミユウの腕に押しつけられた。同時に、修道服のスリットからメイリスの白い太ももが姿を現し、ミユウの目線はそこに釘付けになった。
その瞬間、ミユウの心臓の鼓動が更に強く、速くなっていく。
「一人で、行けるから……」
「さっきもいっただろ?僕に気を遣わなくてもいいって」
「いや、そう言う意味じゃ、なくて……」
「さあ、こっちだ」
ミユウはメイリスに支えられながらベッドに一歩づつ近づいていく。
一歩を踏み出すと、床を踏みしめた振動が全身に伝わり、メイリスの柔らかい体が右半身とぶつかる。
その度にミユウの心臓の鼓動は強くなり、欲情が勢いを増してくる。
(メイリス!お願いだからあたしから離れて!じゃないと、あたし、何をするか分からないよ……)




