小雨の降る夜
ハルが狩りに出かけて、三日ほど経った日のこと。
その日は、朝から雨が降っていて、夕方になっても止む気配がありませんでした。
ティトが私の部屋に入ってきて、夕食の支度をはじめました。
群青色に染まる部屋の中で、ティトの影はなんだか寂しそうに見えました。
雨の音はずっと続いていて。
食器の音が鳴り止んで、ティトが私の一礼するのが見えて、私は、
「ねえ、ティト……」
「はい、はい」
ティトを枕元に呼びました。
「いかがなさいました?」
「ねえ、ティト……。私、もうどうすればいいのか、わからないの……」
悲しくて、悲しくて、もう涙も出てこなくて、私はティトに弱音を吐いていました。
「だいじょうぶ、だいじょうぶです……」
ティトは私の頭をなでながら、言いました。
私のような年寄りに言わせれば、けんかするというのも、よいことなのですよ。
お互い何も言わずに、気付いたら溝ができている、というのが一番いけません。
けんかしたあと、ひとりになって相手のことを考える……。
そうすると、また新しいものがお互いの間に生まれておるものです。
それはきっとよいものですよ。
リーゼロッテ様がそのように悩んでおられることが、一番よいことなのです。
ハル様もそしてミスティも、そんなにもリーゼロッテ様に想われていることを知ったら、どんなに嬉しいでしょう。
こうなると、あとは、ふとしたきっかけで、全てがよい方向へ転がっていくものです。
ハル様がお帰りになれば、それが分かりますよ。
ミスティも今頃、リーゼロッテ様とどうやって仲直りしようかと考えていることでございましょう。
待つことです、待つことです。もうすぐです。
暗くて、ティトの表情はよく分からなかったけれど、なにかを確信したようなその声が私の耳に残りました。
夜になっても、雨は降り止みませんでした。
暗い部屋の中で、ただ雨の音だけが聞こえていました。
私は、なんとなくじっとしていられなくて、部屋の中を歩き回っていました。
ふと思いついて窓のところへ行って、カーテンを開けて、外を見てみました。
本当に真っ暗で何も見えなくて、ただ、しとしと雨の降る音が聞こえました。
指先に触れたガラスは、とても冷たくて。
この暗闇のどこかにハルがいるのかな……?
そういえば……あの夜も、こんな夜だった……。
そう考えたとき、耳にあの男の人たちの笑い声を聞いた気がしました。
どうしてあのとき……あの人たちは笑ったんだろう?
あのときは、たしか……。
一人が私を抱きかかえて、そのまま私を……私は自分の体を支えようとして……その人の首に腕を……まわし……て……。
「ちがう……」
そんなの、ちがうよ……。
「ちがう……ちがう……」
その場に座り込んで、ずっとそうつぶやいていました。
声が詰まって、泣きそうでした。
自分の中の大切なものが笑われてしまった気がして、長い間、その場から立ち上がることができなくて。
そのとき……。
「もう好きになってしまえばいいじゃない」
そう言う声がはっきりと聞こえました。
私は、自分の体がこわばるのを感じました。
「こんなにも毎日、あの男の人たちのことを考えてる。これはもう、好きってことだと思うの」
どうして……そんなこというの……?
「ねえ、いつか読んだ本に書いてあったじゃない。『愛と憎悪は紙一重』だって。あなたは憎悪だと思ってるのかもしれないけど、本当は愛なんだと思うの」
もうやめて! そんなこと言わないで!
「ねえ、苦しいんでしょ? いつまでも苦しいのはいやでしょ? これは憎しみじゃなくて、好きって気持ちだってことを認めれば……そうしたら、きっと楽になれると思う……」
そんなことない……あるわけない。そう思うのに。
でも、その声は、間違いなく私の声でした。
自分の中にそんな気持ちがあることが、とても怖かったです。
もうどこにも逃げ場がない気がして、床にひたいを押し付けるようにして耳をふさぎました。
そのあと、意識が遠のいて……私は気を失ったんだと思います。
気が付いたときには、窓の外がうっすらと明るくなっていました。
私は立ち上がって、ベランダに出てみました。
雨はもう止んでいて、灰色の雲が、はるか東、朝焼けに染まりはじめた空を、山のほうへ流されていきました。
私はそれを見ていました。
頭の中はシンとして、ぼんやりしていて……。
私は、いったい何をやってるんだろう?
分からなくなるほど長い時間、同じ場所にとどまっていた気がしました。




