薄暗い日に
次の日の朝、ティトが朝食を運んできました。
私は、朝食の準備をする彼の視線をつかまえて、
「ねえ、ティト。昨日のこと、怒ってる?」
そう聞きました。
「とんでもない! そんなことがあれば、わたくしはうちの婆さんに祟られてしまいます」
ティトは、そう答えてくれました。
「うん……だったら、いいの」
私は、昨日の夜のことを思い出して……。
こんなとき、お母様はどうしてたんだろう?
そう思って。
「ねえ、ティト……」
「はい?」
「お母様の話をして」
「もちろん、ようございますよ」
「ねえ……例えば、例えば、よ。……つらいことがあったとき、とか……お母様は、どうしてた……?」
「そうですな……。奥様は、どんなにつらいことがあっても、なんでもないように笑っているような……そんなお方でした」
「そ、そうなんだ……」
私はお母様似のはずなのに……。
性格はあまり似てないのかなって思って、少し寂しくなりました。
そんな私に、ティトは、
「しかし……わたくしどもにとっては、それがつらかった」
「えっ?」
「何もさせてはもらえませんでしたから。全てご自分の中で解決されていたようで……」
「……」
「頼られないというのも、さみしいものですよ」
そう言って、私の頭をなでて、
「ですから、リーゼロッテ様は、いまのままでよろしいのですよ」
「どっ、どういう意味、よ……。私、そんなに分かりやすくないよ?」
「や、これは……失礼いたしました」
……そうなのかな? 誰かに話せば楽になるのかな?
でも、あんなこと、誰にも話せない……。
恥ずかしいし……これ以上余計な心配をかけたくないし……でも……。
いろんな考えが頭の中をぐるぐるまわって、答えは出ませんでした。
その日は、お昼になっても、カーテンの隙間が鈍く光るだけで、部屋の中は薄暗いままでした。
窓際に立ってカーテンを開けて、鉛色の空を見上げていると、ドアをノックする音がしました。
「姉さん、入るよ」
ハルの声がして、私はいつものようにおふとんにもぐりました。
ハルの足音が近づいてきます……。
ハルは、ベッドの脇にかがんで、ベッドの端にそっと手を置いたみたいでした。
そうして、そのまま何の物音も聞こえなくなりました。
どうしたんだろう、って思って。
「……? ハル?」
「……うん」
「どうしたの?」
一瞬、言葉にするのを迷うような気配のあとで、
「姉さん、僕になにかできること、ない?」
ハルは、そう言いました。
「なんでも言って。なんでもするよ」
その声を聞いて、胸にズキッって痛みが走りました。
ずっと思っていたことを、やっと口にしたような切実で誠実な声音。
ハルに全部、話してしまおうか。
そうしたら、少しは心が軽くなるのかな?
暗い部屋の中で、ひとりぼっちなのは、もういや……。
流されそうになりました。
でも、「ハルにあんなものを背負わせていいの?」って声が聞こえて。
「姉さん……」
そんなことできない、って思って。
「姉さんってば……」
「出てって」
「あ……」
「出てって……!」
「……うん。ごめんね、姉さん」
そういってハルは、部屋を出て行ったようでした。
また胸がズキッって痛んで、私は自分の言ってしまった言葉が怖くなりました。
それでも……。
私は間違ってない、これもハルのためなんだから、私がちゃんと立ち直ったらハルにうんと優しくして、それからまたふたりで遊ぼう……って考えて。
私は、自分のしたことから、目を背けようとしました。
その日の午後になると、空に厚い雲が立ち込めて、部屋の中はまた少し暗くなりました。
私は、風に当たりたいなって思って、ベランダに出てみました。
手すりに手をかけて、ベランダの下に広がる裏庭を見ました。
裏庭には、芝生が敷き詰められていて、その左右には背の高い木が植えられていました。
遠くを見ると、あの森が見えました。
目を離すことができなくなって、ずっと見ていました。
風が私の気を散らして、庭に誰かが出てきたのに気付きました。
庭に出てきたのは、クルでした。
屋敷から少し離れた大きな木の下まで行って、うつむいて手元で何かしています。
巻き煙草を作ってるのかな?
すぐに、煙草を口にくわえた横顔が見えて、クルはマッチをすって火をつけていました。
いきおいよく煙を吐き出したり、ただ口を開けて煙が出て行くのにまかせたり、のんびり煙草を吸っていました。
むかし、クルが火をつけた煙草を横から奪って、口にくわえたことがあります。
涙が出るくらい、咳き込んでしまいました。
「どうしてこんなもの吸うの?」ってクルに聞いたら、「いや……人によってはおいしく感じるものでして……」って言っていたけれど。
私は、煙がおいしいなんて、信じられませんでした。
今でもそうです。
でも、傍から見ている分には、おいしそうに見えるんですから、不思議ですね。
私はそのまま、クルが煙草を吸っているのを、なんとなく見ていました。
クルは、その木陰から空を見上げて、ぼんやりしているようでした。
そのとき、向こうのほうから、茶色のマントを羽織った男の人が近づいてくるのが見えました。
その男の人は、すっきりした陽気そうな顔をしていて、遠目からでも髪に白髪が交じっているのが分かりました。
そして、マントの隙間からは、帯びている剣が見えていました。
その人は、クルに近づいていって、クルも彼に気付いて片手をあげて挨拶していました。
クルが煙草を勧めると、その男の人は嬉しそうにそれを受け取って、そのまま二人は煙草を吸いながら、話し込んでいるみたいでした。
私の知らない世界があるんだなぁ……。
そう思って、私はその光景を眺めていました。
そのとき、男の人が何気なく周りを見回して、ベランダにいる私を見つけました。
私は、きまりが悪くなって、ぎこちなく彼に会釈しました。
彼は、なんだかとても驚いたみたいで、クルに何か聞いていました。
彼は、煙草を握りつぶして、その手を後ろ手にして、私にお辞儀をして。
クルもそれに倣いました。
あんまり丁寧なお辞儀に、私はびっくりしてしまって、すぐに部屋に入ってしまいました。
なんだったんだろう、って思ったけれど、でも、考えはすぐ今朝のことへと移っていって、夕方には裏庭でのことを忘れかれていました。
だから、夕方ごろ、馬車で誰かが出かける音を聞いたときも、あまり気に留めませんでした。




