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『残照のインタチェンジ』  作者: 臥亜


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第3章:黄金のロード

時計の針は加速するように進んでいく。

舞台は大学、そして就職活動へ。

時代は2000年代初頭。インターネットが普及し始め、世界が急激に変化していく激動の時代だ。

だが、未来を知っている俺にとって、時代の波に乗ることは造作もないことだった。

伸びる業界、沈む業界。どのスキルが将来重宝され、どの企業が天下を取るか、俺の頭の中にはすべての「答え」が入っているのだから。

俺は語学とプログラミング、そしてファイナンスの知識を徹底的に叩き込み、就職氷河期をあざ笑うかのように、元の人生では名前を書くことすら許されなかった外資系の一流コンサルティングファームから内定を勝ち取った。

「乾杯」

二十八歳の秋。

都内の高級ホテルの最上階。夜景を見下ろすレストランで、俺は葵とグラスを合わせた。

「おめでとう、智也。史上最年少でのマネージャー昇進なんて、本当に誇らしいわ」

美しいドレスに身を包んだ葵が、優雅に微笑む。

彼女自身も、大手法律事務所で弁護士としてバリバリ働くキャリアウーマンになっていた。

「葵の支えがあったからさ。……ところで、今日は昇進の祝いだけじゃなくて、もう一つ、君に渡したいものがあるんだ」

俺はポケットから、小さなベルベットの箱を取り出した。

パカッと開けると、そこには給料の数ヶ月分は下らない、最高級のダイヤモンドリングが輝いている。

「葵。俺と、結婚してほしい」

「……ええ。喜んで」

彼女の目に、計算されたような美しい涙が浮かぶ。

プロポーズは大成功だった。

俺たちは都心の一等地に立つタワーマンションの高層階に部屋を買い、誰もが憧れるような洗練された結婚生活をスタートさせた。

朝は淹れたてのオーガニックコーヒーの香りで目覚め、休日は輸入車でドライブに出かけ、会員制のレストランでディナーを楽しむ。

SNS(この時代には普及し始めていた)に写真を上げれば、数え切れないほどの「いいね」と嫉妬混じりの賞賛が飛んでくる。

すべてが、完璧だった。

オセロの盤面は、一枚の黒も残さず、純白に染まり上がった。

俺は勝ったのだ。

あの惨めで、後悔だらけだった四十歳の人生に。

――だが。

三十代の半ばに差し掛かった頃からだろうか。

俺の心の中に、ぽっかりと「小さな穴」が開き始めたのは。

「智也。来週の土曜日だけど、私のクライアントとのゴルフ接待が入っちゃって。悪いけど、予定キャンセルしてもいいかしら?」

広々とした大理石のダイニングテーブル。

タブレット端末から目を離さずに、葵が冷たい声で言った。

「ああ、別にいいよ。仕事優先で」

「ありがとう。あなたなら分かってくれると思ってたわ。お互い、プロフェッショナルだものね」

葵は完璧な妻だった。

家事の分担も合理的。感情的になって怒鳴ることもない。だが、そこには「隙」が一切なかった。俺が仕事で大きなミスをして落ち込んで帰った日も、彼女は「なぜそんなミスをしたのか、次はどう防ぐべきか」を理路整然と分析し、同情や慰めの言葉は一切かけなかった。

『私たちは、人生というプロジェクトを成功させるための優秀な共同経営者ね』

いつだったか、葵が誇らしげに語った言葉が、冷たい氷のように俺の胸に突き刺さっていた。

ある夜更け。

俺は一人、タワーマンションのベランダに出て、眼下に広がる東京の夜景を見下ろしていた。

手には、高級なシングルモルトのグラス。

だが、どんなに高価な酒を飲んでも、心はちっとも温まらなかった。

『美味しいね、智也くん』

ふと。

脳裏に、あの記憶が蘇った。

元の人生で、俺が二十代後半の時。ボロアパートの狭いこたつで、向かい合って座っていた女。

安売りのスーパーで買ってきた百円のカップラーメン。給料日前でそれしか食べるものがなかったのに、彼女はそれを、まるで三ツ星レストランのフルコースみたいに、目を細めて美味しそうに食べていた。

美咲。

元の人生の妻の名前だ。

今の人生では、俺は彼女と出会うはずだった大学のサークルに入らなかったため、一度も顔を合わせていない。今頃、彼女がどこで何をしているのかも知らない。

「……なんで、今更」

俺はグラスの氷を揺らした。

あんな貧乏くさい記憶、思い出す必要なんてない。あの後、俺たちはすれ違い、冷え切り、口も利かない仮面夫婦になったのだから。

それなのに。

俺の胸の奥で、強烈な飢餓感が口を開けていた。

効率。合理性。損得。成功。

後悔を徹底的に排除して組み上げたこの「完璧な人生」には、泥臭くて、不器用で、どうしようもなく愛おしい『魂の熱』のようなものが、決定的に欠けていたのだ。

傷つくことを避けて生きてきた俺は、心から誰かを愛し、誰かにすがりつくような経験を、この人生で一度もしていなかった。

「……俺は、本当にこれで良かったのか?」

夜風に溶けたその呟きは、誰の耳にも届くことなく消えていった。

そして、運命の「四十歳」の誕生日は、静かに、だが確実に近づいていた。

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