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第2話「優しさの形見1」

 新しく生まれ変わったこの街で過ごし、ざっと10年の年月が経過した。

 

 10年前に引き起こされた“戦い”により生じた爆発で、世界は電磁パルスを含んだ高濃度かつ強大なエネルギー波「クォンタムサージ」に晒され、ほぼ壊滅に近い状態にまで追い込まれていた。この事件は「失われた記憶」と名付けられた。名前の理由は、あの時なにがあったのか詳細な記録が極僅かにしか残されていないこと。「クォンタムサージ」を浴びてしまった人類は脳に損傷を負って当時の記憶を消失したことが理由である。


 この街の住人がそうであるように、俺自身も当時の記憶は未だ完全に戻らない。あの時あの場所で、あの究極AIとの戦争に知恵で負けた。家族の記憶も友人の記憶も、なにもかもが途切れ途切れの継ぎ接ぎの記憶によって自分は構成されているのだ。様々な困難があったが、それでもなんとか、俺はこの街で探偵事務所を営んでいる。否、正確には先代所長、御門御守不在の中、二代目所長と共に切り盛りしている状態ではあるが…。


 この街では街では人々の意識とAIが日常的にリンクしている。

 美しさと醜さが表裏一体となる、水と電子の大都市「水環都市」。街の基幹は“アクアネット”と呼ばれる水流型データ回線によって繋がり、空に光る広告ホログラムと、運河を流れる青白い光が都市を照らし、街には3つの顔がある。


 セントラル・リバー区と呼ばれる地域は、探偵事務所やカフェがある中心街で、

常に雨が降っているのが特徴。


 アッパーフロート地域の特徴は上層都市であり、AI富裕層が住んでいる。


 サブドック街と呼ばれる地域の特徴は、地下水路の貧民街であり、非合法AI取引が横行している。


 だが今ではシステムの老朽化が進み、AIインフラの一部は「更新されず、壊れていないだけ」の状態。つまり、街は“古いAIの幽霊”が棲む街”になっている。人々はそれを知りながら、便利さのために目を逸らしている。



*****


 先入観という言葉がある。


 ―ある事柄について、実際に見たり聞いたりする前に、あらかじめ頭の中にできている考えや固定的な見方のことです。これは個人の経験、教育、社会的な情報などによって形成され、客観的な判断を妨げる要因となる―


 例えばの話である。行方不明になった婚約者を探してほしいと言われ、それと同時に人が映った写真を差し出されるとどうだろうか?


 一言も“写真に写る人物が生きた婚約者だ”と言ってもいないのに、その写真に写る人物が“今も生きている婚約者”であり、行方不明になっている、と。そう認識し、傍から見たら誰もがそう思い込んでしまう。


 今回来た依頼は、依頼した本人すら真実から目を背けて忘れてしまい、依頼を受けた自分たちも生きていると思い込まされたうえで調査に向かった話しだ。


 だが、これらの出来事に、図らずもAIが示した優しさが絡んでいたことを忘れてはならない。


*****


 朝から香しい匂いが鼻腔をくすぐる。そう、魅惑の飲み物コーヒーだ。奥のキッチンからぼさぼさのロングヘアを適当にまとめ、コーヒーを注ぎ済みのカップが複数置かれたお盆を持った少女マチルダが出てくる。そして肩には猫のもこおが乗っている。


「おはよう、つかむ、すうぇん。きょうはいいあさだね。もこおもうれしそうだよ」


 そういってマチルダは嬉しそうに肩に乗っかる猫「もこお」に頬擦りする。もこおも嬉しそうにふんにゃあ~と鳴き声を上げる。


「おはようマチルダ、もこお」

『おはよう。マチェちゃんの言う通り、今朝は絶好の日向ぼっこ日和だぞもこお、ほら見てみな』


 スウェンが笑顔を表す表情を浮かべて、窓の外の朝日を眺めながら体全体で示し、もこおに話しかける。それに対しもこおも返事するかのように、一声ふんにゃ~と鳴き声をあげる。会話が成り立っているのかはわからない。


 マチルダが置いたお盆の上のコーヒーカップを、他の職員と同じように手に取り、焙煎の効いた香りで鼻を満たすと、そのまま喉に流す。その美味さに思わず声が唸る。


「う~ん…本日は苦みと酸味が合わさって美味しいなマチルダ、ここに来てから増々入れ方が上手くなっている」

「そりゃああれからまいにちいれてたらうまくなるよ~。さいしょはにがいだけかとおもったけど、あじにもいろいろあるんだもん」


 そう言いながら、彼女もほころんだ笑顔でコーヒーをすすっている。職員たちもゆったりとその味に舌鼓を打っている。


「お~い、それで依頼は来てんのか相棒?」

『ああ、それなら丁度いい』

「丁度いい?」

『今玄関に向かって人の生体反応が1人――』


 言い終える前に玄関のインターホンの音が部屋に響く。


『ほら来た』

「了解」


*****


「はじめまして、みかどたんていじむしょのにだいめしょちょう、マチルダ・マチェ=エールだよ。そしてこっちが…」

「この事務所の探偵を務めております、夢緒掴(ゆめお つかむ)です」


 この御門探偵事務所の二代目所長マチルダ・マチェ=エールに促され、軽く自己紹介を済ませ、長机の上に“座っている”スウェンに視線を移す。


『そして私は彼の相棒、スウェンです。見ての通り手足の生えた携帯電話、つまりスマホですが、どうぞ、よろしくお願いします。ちなみにホログラムの姿も表示できます』

「…は、はい…」


 依頼人の女性は当然のように戸惑った様子を見せている。それがうちの所長についてか、このスマホことスウェンについてか、まあ両方であろうが、うちの相棒に関してはこんなに電子機器やAIが進んでいる世界でそんなに珍しいだろうかと毎回疑問が浮かぶ。


「朝から突然の訪問、丁寧にありがとうございます。私は行先明那(ゆくさき あきな)と申します。現在はセントラル・リバー区の医療器具メーカー勤務しております…」


 肩甲骨辺りまで伸びた黒髪に、化粧は軽めでほんのりリップ。抱えている依頼からきているのか不安そうな表情を浮かべつつも、その佇まいは物腰柔らかそうな女性だ。


「あの…失礼なことをお伺いしますが、そちらのお嬢さんがここの所長で…えっとおいくつ…失礼、そして貴方が探偵で…それから、携帯が相棒…?」

「いろいろじじょうがあるんだよゆくさきさん? あとわたしは16だよぉ」


 彼女がここにきて先ず戸惑い抱えたであろう疑問と今目の前の光景で芽生える疑問をうちの所長がバッサリ切り捨てた。要するに気にするなということだ。


「あちらの猫ちゃんは…」

「すこてぃっしゅふぉーるどのもこおだよ」

「あら、かわいい…」


 どうやらもこおを見て少し緊張が和らいだようだ。こういう時にもこおがいて良かった。もこおは一瞬だけ丸まった両耳を立てこちらを見つめたが、直ぐに気にせずマチルダの肩の上でリラックスしている。


「うしろにいるこたちは、ざつよう、けいり、りょうりのおしごとをするからきにしないで。うちはこういうたいせいでうごいてるから」


 マチルダは待機しているうちのスタッフ達を軽く紹介する。


 雑用係でちょい悪系男子のザム・ザッツウェル。


 「よろしくっす!」


 経理係でパンク系女子のケイリー・ケリーティア。


 「よろしくお願いっす!」


 ギャルな料理係のクツキ・チョリー。


 「しくよろよろ~でございます。お見知りおきを…」


 皆マチルダと同年代の子達だ。彼らがまだストリートチルドレンだった頃、腕っぷしの強かったマチルダのことをヘッドだとか頭(かしら)と呼んでいた仲である。とは言っても、マチルダからしたら勝手に喧嘩を売ってきて勝手に慕ってきただけらしいが…な。


「あ、はい。すいませんいきなり戸惑っちゃって、こういう探偵事務所にくるのは初めてなもので、えっと、それでは早速お話しなんですが…行方不明になった婚約者を、先崎育英(さきざき いくえい)さんを探してほしいんです」


 薄い黄色いコートの内ポケットからスマホを取り出し、画面を操作して机の上に差し出す。映っていたのは、カメラに向けて笑顔を向けている男性。直接会ってはいないが、写真の第一印象は彼女と似たような、物腰柔らかそうな優しいものを感じる。


「やさしそうなひとだね」

「彼はいつから行方不明に?」

「一週間前の9月6日から突然連絡がつかなくなって、電話をしてもメールをしても、なにも反応が返ってこないんです。私の家族や彼の家族、友人に会社の上司、同僚にも連絡を取ってもらったんですが、全部駄目で…もちろん家にも行きましたけど、鍵は開けっ放しでいなかったんです…育英さんが色々放ったまま連絡がつかなくなるなんて今まで無かったから、私も含めて皆、もう、心配で心配で…」


 話している途中で思いつめた表情で下を向いた彼女の両手が、強く強く握りしめたまま小刻みに震えている。今にも泣きだしそうなその様子に、彼女の真剣さと必死さが伝わってくる。


「婚約者はおろか、あらゆる人からの連絡に返事も返さず突如失踪。古典的な行方不明ですね…警察には言いましたか?」

「もちろん捜索願は出しました。成人男性がたかが一週間連絡を寄こさずにいなくなったぐらいと思われてもかまいませんでした。でも、やっぱりすぐには見つからないから…」

「悪い方に考えてはいけません。警察だけでは不安になって、たまらず藁にも縋る思いで我々のところに来たのでしょう? 希望を持ちましょう行先さん」

「けいさつにもいって、わたしたちのところにもきたんだから、みつかるかくりつはあがるよ。だからだいじょうぶ、あんしんしてまかせて」

「はい、ありがとうございます…」

「では行先さん。婚約者のことを詳しく聞かせてください。先ずはそこから何かヒントを掴み取りましょう」

「はい。育英さんは私の勤める医療器具メーカーの取引先の研究機関会社に勤めています。私たちは仕事のやりとりで出会い、1年の交際を経て婚約しました。式は今年上げる予定なんですが、さっきも話した通り、一週間前から私を含めて色んな人との連絡を取ってくれなくなり、何処にいて何をしているのかわからない状態です」

「突然連絡が取れなくなったことに何か心当たりはありませんか?どんな些細なことでも構いません」

「いえそれが、なにも心当たりはなくて、私自身もなにか彼の気を悪くさせてしまうことをしてしまったんじゃないかと悩んだんですが、考えてもわからないんです。お互いの両親と一緒に何度も一緒に食事していますし、家族間でなにか険悪になって揉めたこともないんです」


 基本的な家族間で問題があった線は一先ず無い。預かり知れないところで何かあったのではないかという可能性も探りたいが、彼女の躊躇と迷いの見られない話しぶりから、とりあえずこちらは今のところないとしておこう。


「ご近所付き合いでなにか心当たりは」

「ご近所ですか…そこまで詳しい所まで知っているわけではありませんが、私の知っている限りでは、彼はご近所とトラブルがあったとか、なにか悩んでいたという話は聞いてません。勿論私も無いです」

「ご近所路線は無しと…仕事関係はどうです?」

「それこそありえません。私と出会ったのだって、彼との仕事のやり取りで出会ったのがきっかけですし、なにより彼は自分の仕事熱心で熱意があって、私に何度も自社の製品のことを詳しくわかりやすく説明してくれました。だからこそ信頼できる人だと、公私ともに思えたんですから。仕事に熱が入り過ぎてパワハラやトラブルなんてこともありません。良識を弁えた人です。」

「熱意と仕事ぶりからの公私共に信頼できるというのは素晴らしいじゃないですか」


 仕事上も問題なし。段々と判断材料が無くなってきたが、問題がない人というのは良いのだが、こういう時にはとっかかりが何もないと逆に困ってしまう。それでも何かないか、質問を続けるしかない。


「私の知る限り、金銭関係やネットトラブルなども一切無いです。怪しい集団に関わったということもありません」

「そうですか…人としては良いことなんですが、捜査する上でヒントが無いですね…失礼ですが、なにか先崎さん、もしくは貴方に私怨を抱くような人物に心当たりはありませんか? 例え当人達に問題はなくとも、身勝手な理由や理不尽な理由で恨みを抱いて攻撃することはざらにあります」

「申し訳ないのですが、そちらも思い浮かぶ者はいません。無自覚に反感を買うようなことをしたのなら別ですが、でもそれは流石にわからないので…」


 行先さんはそこから数分考えこんだが、やはり思い当たることも人物もなく、申し訳ないと再び会釈する。お気になさらずと声をかけつつ、手掛かりが一つもない状態になってしまったので内心は気分が沈む。初手から何も掴めずに行き詰まってしまったか…。これ以上長居させると彼女も心労などで気疲れしてしまうかもしれない。今日は一旦しめることにする。


「本日はご依頼いただきありがとうございました。何とか全力で調査いたします。なにかわかったらこちらからご連絡いたしますので。行先さんの方でも気付いたことや何かありましたらご連絡ください」

「はい、ありがとうございます。それでは…」


 玄関扉前まで彼女を見送る。扉を開けると、もう冷たさを帯びた風が吹きすさんでいる。小さな枯れ葉がいくつか落ちているが、溜まってきたら掃除しないといけないな。遠くなっていく行先さんの背中を見ていると、寒い時期の景色も相まって哀愁が漂っている。


「おつかれさまぁつかむ。はなしたけど、なにもじょうほうがなかったね」

「ああ、それでもやるしかない」

『議事録は録っておいた。今まとめている。終わったら直ぐに詳しく調査を始めようか』


 もこおを抱いたマチルダが何か言いたげに俺の顔を覗き込んだ。否、瞳を、瞳の奥を見据えている。


「ぶすいだけど“フォース”をつかったらなにかわかったんじゃないのぉ?」

「いや出来れば“フォース”は使いたくない、ちゃんと言葉として話せる分、心を読むよりは相互理解がしやすいが……っていうかマチルダ、“俺達のあれは”スターウォーズのようなフォースじゃねえぞ?」


 そう、出来ればフォースと揶揄する“アレ”には頼りたくない。まだ世の中に浸透する程普及と理解が及んでいないし、使ったときに彼女が受け入れてもらえるかが心配なのだ。下手したら恐怖を与えるか拒絶される恐れすらある。


 ギリギリまで踏ん張って頑張ってどうにもならない時にしか使わない。

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