83. メスのゴブリン
「ゴブリンだ」
「え?」
リックがそう口にすると、エリナは驚いて反射的に杖を構えた。
ゴブリンなのだが、リックは目の前の存在に疑問を抱いていた。
確かにゴブリンの気配をリックは感じていたが、索敵スキルが反応していないのだ。反応していないというより、『?』と、敵と判断していいものか、と迷っている。
だからか、人類種として判断している。
スキルだけでなく、リックの経験や勘もそう判断している。
初めての体験にリックは戸惑った。ゴブリンの中には雌がまれに出現すると聞いていたが、初めて遭遇した雌ゴブリンに受けた印象は、ゴブリン色の小柄な女の子だった。
淡い灰緑色の肌。淡い灰色の長髪。年端もいかない小柄な女性。ゴブリンの顔には程遠く、むしろ限りになく人間の顔をしていた。身体つきも人間の子供に近い。
進化。強化種。とゴブリンの情報を記憶から引っ張り出した。雌ゴブリンは突然変異で生まれてくるらしいが、明らかにリックの知っているゴブリンとは程遠い存在だった。
確かに目の前にいるのは〝こちら側の存在〟だった。
リックはナイフを取り出して、何重にも硬く縛られた縄を切った。痕がつくほど、堅く、きつく縛られていた事実に心を痛め、ゴブリンの彼女を抱き上げる。
「連れて帰ろう」
「えっ、なぜですか。それは魔物ですよ?」
エリナは警戒したままゴブリンの娘に杖を向けていた。いつでも得意な〈ホーリーセイバー〉を射出できるように、術式の構築が完了していた。
その様子にリックは不思議そうに思い、ああ、とその理由を理解した。
「ああ、そっか。エリナはザルツブルグの索敵スキルを取得していないんだっけか」
「それがなんですか?」
ザルツブルグで提供されている
「まあ、取得すればわかるさ。ここは収めてはくれないか? 無理を承知で言っているのはわかってる。だけど、俺にはこの娘が人間のように見えるんだ」
「……。わかりました。リックさんの言葉を信じます」
「すまんな」
エリナの説得に成功したリックは、馬車に残っていた物をすべてかき集め、起きる様子のない雌ゴブリンを連れて、エリナのことも考えながら少し早めにザルツブルグへ戻った。
ザルツブルグに着いたのは、太陽が九割ほど沈んだ薄暗い時間帯だった。
「やあ、リックさん。ミガル王国にいったって聞いてましたが、早いお帰りですね」
ザルツブルグの入り口。畑を簡易的な策で覆った外側にいる門番がリックに声をかけた。
「門前払いを喰らってな。なくなく帰ってきたところだ」
「それは災難で。それで道草して誰か連れ帰ってきたんですか?」
「そんなところだ」
門番の問いにリックは答えながらギルドカードを見せた。エリナもそれに続いた。
「それで? シスターの次はいったいどんな子を連れ帰ってきたんですか?」
「ゴブリンだ」
「へっ?」
リックが躊躇なく答えると門番が目を見開いた。すると、誤魔化すと思っていたらしいエリナは「リックさん?」と焦った様子を見せた。
以前、連れ帰ってきたのはエリナ、シスターで、人間だからなにも言われなかったが、今度は魔物を連れ帰ってきたとなれば話はべつだ。大事になるのは確実だ。
だが、相手は優秀なザルツブルグの門番。であれば、リックと同様の索敵スキルを持っているのは当然だ。たとえ魔物であっても敵意がないかぎり、武器は抜かない。
その証拠に、門番は難しい顔を浮かべて首を傾げ、リックの背中で寝ているゴブリンをまじまじと見ていた。そして、寄ったしわがほどいて口を開く。
「……大丈夫じゃないですかね?」
「え?」
門番の答えにエリナは驚いたように声を漏らした。
「ならよかった。この子のギルドカードは当然ないが、通して大丈夫か?」
「リックさんのお連れさんなら大丈夫ですよ」
「無理を言ってすまんな」
「いいですよ。どうせギルドには話を通すのでしょうし」
「まあな。今度なにか差し入れにくるよ。もう一人の門番にもよろしく」
「いつもすみません。よろしく伝えておきますね」
会話も程々にして、周囲の反応に戸惑うエリナを連れてエレベーターに乗った。
都市に入り、まっすぐギルドへと向かった。
「あ、おかえり。リック。エリナ。けっこう早い到着ね」
さっそく出迎えてくれたのは受付嬢のアメリアだった。リックはそれに「ただいま」と返し、エリナも「ただいま戻りました」と返した。
「今日は災難だったわね。話はもうギルド長が直々につけたから、とくに手続きはいらないわ。そのまままっすぐ帰ってもらっても構わないわよ」
「それはありがたいが、別件でギルドには用事があってだな」
「へえ。それってもしかして、うしろにおぶってるその娘のこと?」
アメリアはそう言ってリックが背負っている子の横顔を覗いた。
「鬼人の娘かしら。緑色の肌をしてるなんて珍しいわね。どこの地域だろう」
「ゴブリンだ」
「――へ?」
リックが躊躇なくそう答えると、アメリアは間の抜けた声を出した。それと同時に、毎日のように賑わっているはずのギルドが静まり返った。
食事や談笑をしていた冒険者たちが、それらをやめてリックたちに視線が集まった。
様子を伺うような視線だが、向けられたことのないエリナは戸惑っていた。
「リック……」
訝しげな表情を浮かべたアメリアが口を開いた。一瞬、出遅れたエリナが「あ――」となにか言いかけるよりも先にアメリアから言葉が出た。
「……あんた。いつから人間至上主義者になったのよ。ミガルがうつった?」
「王国を病気みたいに言うな。あと、ゴブリンであるのは確かだぞ」
呆れた様子でそう言うアメリアに、リックはそう返した。そして、静まり返っていたギルド内が、まるで嘘だったかのようにまた賑わい始めた。
「ふーん。まっ、大丈夫じゃないの?」
アメリアは雌のゴブリンを一瞥してそう言った。彼女の反応は門番よりも薄かった。
「苦労をかけてすまんな」
「魔物と言われても冒険者やってるのがいるからね。そんなに驚かないわよ」
「スライムだっけか」
「そっ。今なら来客用の部屋が空いてるから、目覚めるまで寝かせておきなさい」
「助かる。それと、今からギルド長に会えないか?」
「大丈夫よ。伝えておくから先にその子を休ませてきなさい」
「わかった」
リックはギルドの奥の戻っていくアメリアにそう答え、雌ゴブリンを背負い直した。彼女が戻ってくる前に済ませないとな、とリックは思いながらエリナに目を向ける。
「エリナ。いこう」
「……、」
エリナは胸を抑えながら苦しそうにしていた。
「どうした? なんだか顔色が悪いぞ?」
「いえ、先程から胸が、キュ、となる瞬間が多くて……」
体調不良を訴えるエリナ。長距離移動で疲れてしまったのかもしれないが、胸を抑えるほどに苦しいとしたらそれは肺か心臓の病気だ。そう思ったリックは焦った。
「なにかの病気か? とにかく、すぐに医者に診てもらおう」
「お前のせいだよ」
一番近いテーブルで食事をしていた冒険者にツッコまれたリックだった。
ザルツブルグの冒険者。それもベテランともなれば、索敵スキルの判定と状況次第で判断するため、人類種か、魔物か、外見だけでは判断しない。
ましてや、十人十色の種族が暮らす地域では慎重に判断する傾向が見られる。もしも魔物であっても、友好関係を結べるのならおっかなびっくり歓迎される。
だが、それが常識の地域でも、エリナにはまだ非常識なのだった。
「大丈夫なので、着替えとお湯をもらってきます。汚れたままではよくありませんから」
そりゃ、心臓の負担にもなる。




