表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/16

第十三章 雨の夜

降りしきる雨の中、晴人は尚人と対峙する。

積み重なった怒りと痛みの果てに、ついに取り返しのつかない一線を越える。

尚人を呼び出したのは、四月の終わりの雨の夜だった。


昼から降っていた雨は、夜になってもやまなかった。

街灯の下では白く、暗い道では黒く見える雨だった。


「話がある」


それだけ送ると、尚人は意外なほどすぐに来た。


待ち合わせたのは、駅から少し離れた古い立体駐車場の脇だった。

人通りは少なく、車の出入りもほとんどない。

雨音がコンクリートに跳ね返り、会話を周りから切り離してくれるような場所だった。


尚人はフードを被ったまま近づいてきた。


「何だよ、こんな時間に」


「少し歩こう」


「雨なんだけど」


「いいから」


尚人は面倒くさそうに肩をすくめたが、ついてきた。


駐車場の裏手、街灯の光が届ききらない場所で、僕は立ち止まった。


「紬のこと、どう思ってる」


尚人は目を細めた。


「またその話?」


「答えろ」


「悪かったと思ってるよ」


「それだけか」


「じゃあ何て言えば満足なわけ?」


尚人の声に、苛立ちが混じった。


「俺だって、あんなことになるとは思ってなかった。兄貴、ずっとその顔で俺を見るけどさ、全部俺だけのせいみたいに言うなよ」


「違うのか」


「紬だって俺に頼ってきたし、俺だけが一方的だったわけじゃない」


その言葉で、胸の奥に溜め続けていたものが、一気に煮え立った。


「頼る?」


僕は笑ってしまった。

自分でも知らない、冷たい笑いだった。


「十七の子が、父親が欲しくて手を伸ばしただけだろ」


尚人の顔色が変わる。


「兄貴にはわかんないよ」


「何が」


「兄貴はいつも正しい側にいる。責任感があって、ちゃんとしてて、だからそういう目でしか見れないんだろ」


尚人は一歩近づいた。


「でも俺は違う。俺は、あの子が普通に俺に笑って、普通に頼ってきたから、そういうもんだと思った。何がそんなに悪いんだよ」


僕は、その瞬間、何かが切れる音を確かに聞いた。


工具袋の中には、会社帰りに車載用品店で買ったレンチが入っていた。

「もしものために」と自分に言い訳しながら買ったものだ。


その“もしも”が、今ここに来た。


尚人はまだ何か言っていた。

でも、もう耳に入っていなかった。


気づけば、僕はレンチを握っていた。


「兄貴?」


一度目は、肩に当たった。

尚人がバランスを崩し、滑った足元で尻もちをつく。


「ちょっと待て、何して——」


二度目は、頭だった。


鈍い音がした。

雨音が一瞬遠ざかる。


尚人が倒れた。

でもまだ、かすかに動いていた。


僕は立ち尽くした。

やめるなら今だった。

警察を呼ぶなら今だった。


でも、その時の僕の頭の中には、紬の手紙と、知佳の濡れた目しかなかった。


三度目を振り下ろした時、もう何も聞こえなかった。


雨が降っていた。


尚人の顔に、血と雨が混じって流れていた。

目は開いたままだった。

僕はその目を見て、ふと思った。


紬も、最後にこんなふうに、誰かの返事を待っていたのだろうか。


その考えが、遅れて僕を貫いた。


何をしてしまったのか。

それでも同時に、どこかで奇妙な静けさがあった。


終わった。


そう思った。

でも、終わりなんて始まってもいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ