Epilogue.1 (with, illust)
挿絵提供、ばしこ氏
ゆらゆらと、たゆたっていた。
真っ白な、果てしない海の中を、どこまでも漂っていく感覚。上も下も、右も左も分からない。ただ自分だけがそこにいて、永遠の時を彷徨い続けるような孤独感だけがあった。
――私、死んだのかな――
あの一瞬、何が起きたのかはよく覚えていない。しかし、ルリネは自分がどうなったのかということは、おぼろげな感覚で分かっていた。
不思議と悲しみはなかった。どうすることもできない、抗うことのできない運命のようなものに、空しさを感じる。けれども、それ以上に、彼女は満ち足りていた。
――どこに向かっているんだろう――
もしこれが死だとしたら、ここは天国なのだろうか。それとも、その道中か、あるいは地獄だったりするのかもしれない。
それにしては、身体がとても温かい。いや、周りの真っ白な空間がそうなのだろうか。
ふと誰かが呼ぶ声が聞こえた。
その男の声は必死で、今にも泣き出してしまいそうな、答えてあげたい声で――
「冴島くん――?」
白に満たされた空間に、ユウトの姿が浮かび上がる。
「ルリネ……」
ユウトの顔は、安堵に満ちていた。ずっと昔に失くしてしまったものを探し続けて、ようやく見つけ出したような喜びに。
それよりも、ルリネはユウトの言葉に驚きと嬉しさを隠せなかった。
「初めてだね、名前で呼んでくれたの」
ユウトは顔を少しだけ伏せる。
「すまない、気に障ったのなら――」
「ううん、すごく嬉しい」
ルリネは、満面の笑みを送る。
ユウトは仄かな笑みを返す。
「ごめんね、みんなが私を守ってくれたのに……」
「俺たちは負けていない」
「え――?」
自信をもって、ユウトはそう言っていた。負けていないということは、敵の攻撃に耐え凌いだということ――しかし、自分は。
「ルリネが謝る必要なんかない。生きている――それだけでいいんだ」
どんなに理不尽で不条理な、逆らえない壁に突き当たったとしても、絶対に大丈夫だ。そうユウトの表情は物語っていた。
それが何を意味するのか、ルリネにはすぐに分かった。
「まって――」
手を伸ばす。すぐそこにユウトの姿はある。だけど、無限の距離があるかのように、手は届かない。
「どうして? どうしていつも私だけ――!」
どれだけ足を動かしても、距離は縮まらない。
「いつも私だけ助けられてっ……そんなのって……!」
視界が揺れていく。ユウトの姿がぼやけていく。
零れ落ちる雫を拭い、ルリネは茫然と立ち尽くした。思い起こされる多くの出来事。ユウトはいつもルリネを助けてくれていた。初めて会ったときも、怪物との戦いの中でも、いつも身を挺して救ってくれた。
「私、なにもしていないのに……なにもできないのに……」
震える体に、手が回される。見上げたそこに、ユウトの顔があった。
「ありがとう、ルリネ」
鼓動を感じる。ユウトの心臓。生きている命の声。
「俺は人間でありたかった。アニマではなく、一人の人間として。その願いを叶えてくれたのは、ルリネだ。俺の生きる意味であってくれた」
「……ずるいよ。お礼を言わなきゃならないのは私なのに。いつも言われてばかり……私、まだ一度も、あなたにお礼を言えてないよ……」
「いいんだ。ルリネが生きている限り、俺は生き続ける。生きてくれることが、十分のお礼だ」
「――――っ」
触れ合う身体が、まばゆい光に包まれていく。
「一緒に生きよう、ルリネ」
「――うん」
重なり合う。身体が――魂が。
生きてと望んでくれるのなら、私は生きる。
たとえどんな困難が待っていたとしても。どんな絶望が襲ってきたとしても。
私は、一人じゃない。
■
視界に入ってきたのは、白い天井。見慣れない光景に、戸惑いを覚える。横に視線をずらすと、今ではすっかり見慣れた顔が目に入る。
「ルリネ……!」
優しい抱擁がルリネを包む。
「エリナちゃん……ただいま」
「よかった――よかったよ――!」
エリナの目に下には隈が浮いていた。自分が目を覚ますまでの間、ずっと待っていてくれたのだろう。自分はどれほど眠っていたのだろうか。
「無事でよかった」
ルリネが笑顔でそう口にする。するとエリナは、腫らした目をきょとんと丸くして、
「それはこっちの台詞よ……!」
「ごめん。でも、また顔を見られて、それが嬉しくて」
「心配、したんだからね」
「うん……ありがとう」
ひとしきりエリナが泣き終わるのを待ってから、ルリネは思い出したように言う。
「そういえば、あのとき話そうとしてたことって……?」
レギオンとの最終決戦の直前、エリナは話があると自分の部屋に来たのだ。そこでルリネが彼のボタンを見つけ、そのまま話を聞けないままだった。
「あ、あれは――」
エリナの顔に雲がかかる。大した話じゃないとは言っていたが、きっとそうではないのだろう。ルリネを傷つけないために、嘘をついていた。優しい嘘を。でも、今は受け止めることができる。それが自分のためについてくれた嘘だって分かっているから。
「その、私――」
意を決したようにエリナは口を開く。
と、そこで病室に来訪者がある。松葉杖をついた東地ケイと、白衣ではなく珍しい私服姿の香曽我部キョウカだ。二人とも上体を起こしているルリネの姿を認めるや、歓喜の色合いを顔に浮かべる。
「おお、目が覚めたか、御堂」
「先生……二人とも、怪我は大丈夫ですか?」
ケイもキョウカも、体のどこかしらに包帯を巻いている。しかし二人は、特に気にした様子もなく、いつもの飄々とした態度で答える。
「なあに、名誉の負傷ってやつだ。すぐに治るさ」
「君はどうだ、体調は?」
「私は、大丈夫です。ありがとうございます」
「そうか、それはよかった……しかし、残念なことを知らせなければならない」
「……なんですか?」
不安を浮かべるルリネに、キョウカは困惑したように眉根を寄せ、ケイの表情を窺う。ケイは一度、小さな首肯を返した。
キョウカはルリネに向き直る。
「私たちは、もう君の先生ではないんだ」
「先生じゃなくなるって、それじゃあ――」
キョウカは、悔いを拭いきれない様子だ。
「私たちは、ヴァランディンを追って君の学校に潜入した。君がレギオンに襲われたのは、本当に偶然、運が悪かったとしか言いようがない。ともかく、今回はこうして凌ぐことができた……だが、私たちの本当の目的はヴァランディンなんだ」
「じゃあ、AMIAは、今はどこに……?」
キョウカはケイと顔を見合わせる。それでも、やはり隠し通しておくわけにもいかないと判断したのだろう、キョウカは突然重くなってしまった口をどうにか開く。
「ヴァランディンは……今、私たちの元にある。だが、冴島ユウトは――」
「私、分かっていますよ」
キョウカの言葉を遮って、ルリネは断固とした口調で言ってのけた。
「冴島くんは、ここで、生きてますから」
自らの胸に手を当てる。鼓動が伝わる。自分の心臓――あの一瞬で失ってしまったもの。それを、ユウトが補っている。確かに感じている。共に生きていると。
――私は、一人じゃない。
「大丈夫です。私は」
眼鏡の奥で、無垢な瞳が湛える光は、みなが守った光。人間の持つ、本当の強さ。
私はその光を生かすために生きよう。人として。御堂ルリネとして。
「そうか。強くなったな、君は」
キョウカの眼差しは、教え子の逞しい成長を見守る教師のようだった。
ルリネは笑顔を返す。自然に笑うことができるようになった顔で。
「その、私……」
それまで口をつぐんでいたエリナが、ルリネに悲しみを灯した瞳を向ける。
「行かなきゃいけないの。戦わなきゃ。誰かのために」
「……そう、だよね」
それが、アニマを持つエリナの使命だったから。ルリネは、彼女の気持ちを痛いほど分かっていた。
だから、自分にできることは。
「守って。その力で。私を守ってくれた、その手で」
ルリネは、エリナの手に自分のそれを重ねた。
「きっと、もう誰にも負けないから。エリナちゃんなら、絶対守れるよ」
「ルリネ……ありがとう」
「けれど、たまには、連絡してね」
「ええ、もちろんよ。必ず」
エリナは、自分の力で迷いを断ち切ったようだった。
彼女が戦い続けるというならば、私はここで待っていよう。祈っていよう。信じ続けていよう、彼女の帰りを。
それがきっと、私にできることだから。
「ねえ、最後に一つ、お願いがあるの」
ルリネはわずかに頬を紅潮させて言った。
「お願い?」
「うん。私ね――」
一つだけ、ずっと、果たせなかったことがある。
彼に、言えなかったことがあった。
それは――
To be continued.




