Chapter.4-5
ビルが倒壊したかのような衝撃と轟音が鳴り響く。宙で激しい攻防を繰り広げていた二つの黒い影が、重なるように落下してきたのだ。アスファルトに空いたクレーターの中心で、ヴァランディンは黒鋼骸の翼を掴んでいた。
『ぬううううああああああああっ!』
ヴァランディンの掌から、眩いばかりの火花が飛び散る。装甲を突き抜けたのか鮮血が飛び散るが、ユウトは力を緩めない。やがて鋭利な翼は根元から砕け、黒鋼骸は深淵から轟きわたる奇声を上げる。
ヴァランディンの反撃は止まらない。熱暴走寸前の両手を突き出し、掌底波動砲を顔面に叩き込む。頭部は大きく仰け反るが、骨格は健在だ。まだ足りない。ヴァランディンの掌を黒鋼骸の口に突き入れる。がりり、と鋼鉄が破砕する音に恐怖することなく、掌底波動砲の連撃を解き放つ。銃弾を受けた西瓜のように、黒鋼骸の頭部は砕け散った。だが、ヴァランディンの手も同様だ。手首から先が完全に失われている。
なおも恐るべきは、黒鋼骸の非生物じみた挙動だ。その頭部の再生が始まっていないというのに、両掌から突き出した黒槍でヴァランディンの腹部を貫いたのだ。背中まで貫通する損傷に、込み上げた血液でフェイスマスク内が赤く染まる。
〈お前たちが続けているのは影踏みだ。日が沈まぬ限り、終わりはない〉
――ならば日が沈むまでお前を破壊する……!
〈日はまた昇る。なぜ気付かない、勝利はないということに〉
――気付いたところで、戦いをやめると思うのか。
〈摂理に打ち克とうとする生き物など、人間だけだ。己の運命を受け入れず、死という不可避の結果であろうとも覆そうとする。傲慢と呼ぶほかにない〉
――それが人間の強さだ。言いたいだけ言うがいい。だが、たとえどんなに死の絶望を突きつけられようと、俺の……俺たちの答えは変わらない!
腹から伸びる槍を握りつぶす。
黒鋼骸の腹部に掌を押し当て、限界まで力を放出する。
圧縮掌底波動槍。
左右の脇腹から盛大に血を吹き上げ、黒鋼骸は再生したばかりの口蓋から絶叫を迸らせる。だが、その絶叫もすぐに笑声へと変貌する。
〈ではその身で理解するがいい。われわれこそ、真に人の上に在るものだと〉
ばっくりと割れた口から、黒い槍が突き出す。瞬時に危険を察知したヴァランディンは掌底波動砲で対処しようと試みる。が、両手の吸気口が熱によって歪曲し、燃焼不良を起こしていた。照射は、不発。
『がっ……!』
X字センサーアイのバイザーを突貫し、槍はユウトの左眼球に達する。さらに勢いは止まらず、頭蓋へと死の槍は達し、無数の脳細胞を滅ぼした。後頭部から脳漿とともに槍が覗く。
生物学的な死が、一瞬の間ユウトに降りかかる。
だが、アニマの力は命の喪失を許さない。最優先で脳細胞を修復し、数秒の間を置かずにユウトは意識を取り戻す。生まれ変わった眼球で黒鋼骸のグロテスクな顔貌を見つめ――いや、視線は空に向いていた。倒されていた。意識を喪失している間に、黒鋼骸はヴァランディンを押し退け、新たな目標へと向かっていたのだ。
その目指す先には――
『止めろ――ッ!』
真紅の翼膜がヴァランディンを包み込む。一本の巨大な、血に染まった矢となって宙を突き進む。黒鋼骸の驀進する先へ。
生きるという意志。その執念の成せる業か。
黒鋼骸の槍が、堅牢な城の中央に佇む少女――御堂ルリネを狙う。
奈落を導く、あまりに鋭い先端は、
「――冴島くん――」
まさに、冴島ユウトの命によって――ヴァランディンの織り成す真紅の翼膜によって弾かれる。天蓋のように四人を覆う翼膜は、黒鋼骸のみならず、影骸の群れからも彼女らを守っていた。
すべての音が消え、時さえも止まったかのような紅の中で。
ユウトは、装甲が砕け散って顕になった彼自身の顔で、ルリネを見つめていた。
この数日で、彼女は変わった。いや、本来の強さを呼び覚ましたというべきか。死の恐怖のみが渦巻く混迷の世界で、彼女の毅然とした表情だけが、まるで別の次元の存在に感じられた。
そう――それこそ、人間の強さだ。
ときに争いの原因にもなる負の感情は、確かに人間の中に存在する。だが、いかなる困難に直面しようとも、決して屈することのない意志の力を持つのもまた人間だ。それには理由などない。生きていることと、何事にも屈しない意志。どちらも人間の本質なのだから。
その意志の力こそ、誰もが持ち、誰もが扱うことのできる魂だ。
――この光を守るために、俺は――
『――――――――?』
不意に、灼熱。
呼吸がままならない。胸の辺りに苦しさを感じた。
耳元で警報が何事かをわめき散らしている。それは何度も、散々聞かされた警報だ。それ自体には何の問題もない。自分の――ユウトの能力を以ってすれば、警報が告げる生命の危機など、取るに足らない事柄になる。
――違う。
この胸の苦しさは何だ。
ゆっくりと見下ろす。胸の中央、コアの直下から、黒い槍が真っ直ぐに伸びていた。ヴァランディンの翼膜をものともせず――電磁界に干渉し、斥力場を無効化したのだろう、防護膜は意味を成していなかった。
誰かが叫んでいる。
ああ――
どこからともなく襲い掛かってくる、果てしない虚無感。
槍の先端は、彼には見えない。伸びた先にあるのは、白いセーラー服だからだ。その中に、槍は埋まっていた。そこを起点に、染みが広がってゆく。ヴァランディンの翼膜と同じ、血の色をした染みが。血の色――血。
『――御堂ッ!』
槍が引き抜かれる。ルリネの身体が支えを無くし、ユウトの方へ倒れこむ。
受け止めたその身体からは、力が失われていた。
『御堂、しっかりしろ……! 御堂ッ……!』
腕の中で、ルリネは虚ろな眼差しをヴァランディンへ――その奥のユウトへ向けた。
「さえ、じま……く……」
胸の穿傷からは、とめどなく血が溢れてくる。命が流れてゆく。死の恐怖、苦しみの只中にありながら、ルリネは震える手をもたげ、ユウトの顔へと伸ばす。
「わ、たし、…………」
掠れる声を押し出すように、ルリネは必死に言葉を紡ぐ。
その口許に浮かんでいるのは、悔恨でも悲嘆でもなく――笑顔。
少女の表情が、いったい何を語ろうとしているのか。ユウトには分かっていた。
『駄目だ、御堂……! 死ぬな!』
次第に腕からも力が抜けてゆく。ユウトは機甲兵器の硬質な掌で、ルリネのか細い手を握り締めた。やがてそこからも、熱が、命が消えていってしまうのか。
「あ……り――」
一筋の雫がルリネの頬を伝った。笑みを刻む口許へ流れ、そして痩身を抱えるヴァランディンの装甲へと落ちる。
『――ッ!』
彼の慟哭は、獣の咆哮に似ていた。
連なって上がる、いくつもの怒声があった。
ケイのネゴシエイターが、ガトリング砲を創出する。一秒たりとも間を置かずして、黒鋼骸へ暴虐な銃弾を浴びせる。が、正確無比な射撃によってもたらされた弾雨に堪える様子もなく、黒鋼骸は掲げた腕から槍を突出し、ケイの右肩ごとガトリング砲を貫いた。
〈理解したか。己の立場を。われわれの力を〉
黒鋼骸の背後にはスティンガーが廻っていた。単分子刺突剣を繰り出し、頭部と関節部を狙う――が、どれも動きを読まれ、強靭な装甲に阻まれる。その衝撃に怯んだ一瞬に、黒鋼骸はスティンガーに足払いを仕掛け、体制を崩したところに両手から生えそろった槍を突き出した。かろうじて剣に逸らされた槍は、しかしスティンガーのわき腹に深々と突き刺さり、その身を遠くへ弾き飛ばす。
〈下等な存在。われわれの意識の慰み者になるだけの、哀れな存在。それがお前たちだ〉
黒鋼骸の首筋に、繊細なワイヤーが飛ぶ。わずかに首を反らしてそれを避けると、なおも突進を続けるエリナに向けて腕を突き出す。槍ではなく、その凶猛な手でエリナの首を掴み上げた。
「く……ぅっ……!」
〈抗うな、人間。言ったはずだぞ、お前たちに勝利はない、と〉
「う、うぅぅっ――!」
怒りに染め上げられたエリナの瞳は、黒鋼骸のグロテスクな顔を躊躇なく睨みつける。彼女の首を掴む掌からは、いつ槍が出てこようとおかしくはない。エリナの命は、文字通り敵の手中にある。だというのに、彼女の闘争心は揺らがなかった。
〈命など、幻想に過ぎない〉
すべての矜持と、希望を打ち砕くかのように――
鐘の音が盛大に鳴り響いた。
狩りの終わりを告げる音。
人間の敗北を知らしめる音。
ルリネの命、その果てが訪れたことを示す、死神の声。
それまで静観を決めていた影骸たちが、一斉に、漣のように地面へと消えていった。
黒鋼骸はエリナの首から手を離す。その姿が、足元から影のように薄くなっていく。
〈われわれの、勝ちだ。お前たちは生きろ。生きて、憎め。次のわれわれとの邂逅のために〉
勝ち誇るような響きも、陶酔するような声色も、そこにはありはしない。無機質な、事実だけを淡々と宣言する言葉だけが、陰々と全員の頭の中で響いていた。
その影を振り払うように――
『まだだ――』
ルリネを抱きかかえたまま、ユウトは己が猛りを吐き出す。
『まだ、俺たちは負けていない』
黒鋼骸だけでなく、地に倒れるエリナ、ケイ、キョウカもユウトの言葉に耳を傾ける。
〈現実から目を背けるのか。失望したぞ、アニマ〉
レギオンの嘲りにも、ユウトは意志を崩さない。敵に背を向けた状況で、彼がその顔に浮かべるのは憎悪ではなく――決意のみ。
『見せてやる――これが、人間の選択だ!』
ユウトは――ヴァランディンは、その手を自らの胸へ突き入れた。鮮血が迸る中、もう一方の腕をルリネの身体へあてがう。その腕からは装甲が剥離し、ユウトの生身の手がルリネの身体へ――その中へ、深く沈んでいった。
〈――お前は、いったい、何を〉
初めて、黒鋼骸の意志に動揺が見えた。
『ぐっ……あああああああああああああああああ!』
眼球に突き刺さるような激しい閃光が、ユウトの身体を包み込んでいた。いったい何が起きているのか、エリナたちには分からなかった。
だが、それが何を意味しているのか、黒鋼骸は悟る。
〈お前は、摂理を覆すつもりか〉
その声に浮かんでいたのは、これまでにない激情――怒り。
黒鋼骸は突撃を開始する。両の掌から漆黒の槍を突き出して。
だが、その姿は、すでにほとんどが消えかかっていた。
レギオンは勝利した。勝利していた。その時点で、敵の存在は元の領域へ――虚数領域へ送還され始めていた。ゲームは、不条理な狩りは終わったのだから。
それが敵の定めたルールだ。
ユウトの身体が、ヴァランディンから剥離してゆく。鮮烈な光と共に。そして彼の身は抱きかかえる一人の少女のそれに重なり合っていった。
これが、冴島ユウトの最後の選択。
〈人間の、意志など――〉
振り上げた槍を、黒鋼骸はユウトへ向けて解き放ち――
『戻れ、ルリネ――!』
ユウトは、自身の力の意志に従い――
すべてを呑み込む輝きが、閉じる世界を漂白した。
Chapter.4 "The Promise ~To be born again and see you…__2012.04.12" end.
章タイトルは、『ガメラ2000』OST収録、"The Promise ~To be born again and see you…"より。




