Chapter.4-4
「くぅっ……!」
白いグローブからワイヤーが伸び、影骸の肢体を縦に三分する。しかし、確実にエリナの身体には疲労が蓄積していた。反応が鈍っている。ネット形成はこれまでに四回行っていた。精神的にも肉体的にも、限界が近づいてきている。
だが、膝を折るつもりはない。
「まだ、まだ戦える……!」
影骸の一体を左右に分割したところで、ルリネに迫るもう一体に気付く。震えそうになる足を叱咤し、大きな踏み込みと同時にホワイトスネアを解き放つ。ルリネに向けて伸ばされた影骸の腕が輪切りになり、絶叫を上げる喉さえ離れ離れになってゆく。
がくり、と膝の力が抜ける。まだ、さらに一体が暴虐な口でルリネに襲い掛かろうとしているのに。このままでは間に合わない――
割って入ったのは紫の旋風だ。スティンガーは単分子刺突剣で影骸を解体する。その手捌きたるや、死をもたらす豪快さでありながら、花を生けるような美の繊細さを兼ね揃えていた。スティンガーのT字センサーアイは、影骸の構造的弱点を割り出し、過去の戦闘記録から適切な解体順を――すなわちどのように剣を走らせるべきかをキョウカに伝えていた。一太刀で両腕を斬り落とし、目を見張る鋭敏さで燕返しを繰り出して片足を切断、最後に断頭へと踏み切った。
『エリナ、大丈夫か』
「まだです……まだ戦えますから……!」
初めてルリネを守ったときの光景と、よく似ていた――しかし、あのときの彼女とは違う。アニマ使いとして戦っているのではない。御堂ルリネの友人として、友のために戦っているのだ。
その覚悟を読み取り、キョウカは微笑を浮かべる。
『ケイがたどり着くまで、私が盾になる。それまで彼女に接近する敵だけを――』
〈忘却だ〉
突如、キョウカの脳裏に響く声がある。男声とも女声ともとれる、静寂に包まれた声が。
『何だ――』
〈お前が最も望んでいることは、忘却だ〉
どこから放たれているのか分からない。だが、巨大な意識、レギオンの思念の塊とも言うべき存在だということは、圧倒的な重圧から自ずと知れていた。
〈すべてを忘れ去りたい。われわれのことを知る以前に戻りたい。お前はそう願っている〉
――何を……何を言っている……!
おぞましい感覚だ。まるで、頭の中を無数の見えない手が引っ掻き回しているような。
〈理性が欲求に箍をかけている。無知は罪だ。同時に、無知は幸福でもある。われわれを知ることがなければ、平穏な生活を営んでいたに違いない、お前はそう考えている〉
――馬鹿なことを……。
〈日常と非日常の境界、現実と非現実の境界は曖昧だ。たいていの人間の場合、われわれは非日常、非現実に分類されるだろう。しかし、お前にとってはすでに日常の一端だ。逃れることはできないと知っている〉
――私が、逃げたいだと?
〈あるいは、われわれを知ることがなければ、お前はあの男と本意を遂げていたかもしれない。所詮は希望的観測に過ぎない。だが、お前はその可能性を捨てきれずにいる〉
――戯言を……。
必死にレギオンの言葉を否定しようとするも、頭の片隅では、否定しきれていない。自分でも気が付かなかった意志の一部に注意を向けさせられたのか。
巨大な意識体はこう言っている。もしキョウカがレギオンのことを知らず、そのまま女学生として人生を歩んでいたのならば。ケイと知り合った当時のまま、一人の男女として、戦いとは無縁の人生を選択することもできたのではないか、と。
〈認めろ、人間。所詮は、その程度の覚悟なのだ〉
痴れ事だ。世迷言に過ぎない。普段のキョウカならば、そう切り捨てたことだろう。だが、レギオンは意識そのものに干渉してきている。言語で知覚しているものの、その実は第六感とも呼ぶべき感覚。よりダイレクトに、記憶の琴線に触れてくる。喚起される感情を、どうしても無視することができない。
知らないままでいたら。知らない世界には、関わりようがない。そこがどれだけ悲惨で残酷な世界だろうと、知ることのできない――レギオンの場合は、一般人には知る機会さえないだろう――世界であれば、なおさら自分とは遠い存在のはずだ。だが、一度知ってしまえば、話はまったく違う。知らないフリをして過ごすことだって不可能ではない。ないのだが、見過ごすことが、どうしてもできなかった。助けられる人がいる。そう知っていながら、見殺しにできるほど人間は、生物は残酷ではない。ゆえに、無知は罪であり幸福だと言っている。
――私は……。
〈苦しむな。死を受け入れろ。われわれが死を与えよう。幸福もなければ、罪も苦心もない境地に、お前を落としてやろう〉
――私、は……!
私の望みは、意志は、いったい何だったか。
「キョウカ!」
『――――!』
意識を現実に呼び戻される。敵に囚われていたのはわずか数秒の間だっただろう。その間にも、ケイは影骸を屠りながら、どうにか彼女らの元へたどり着いていた。
そのケイに呼びかけられ、キョウカは目前に敵が迫っていることに気が付く。単分子刺突剣を振り上げるも、両腕にそれぞれ影骸が組み付き、身動きがとれない。そこへ猛獣のように跳躍し、襲い掛かる影骸の牙――
「おおおおおおおおおっ!」
機関銃の掃射を受け、影骸は微塵に吹き飛ぶ。さらにケイは二丁の拳銃に転身させ、スティンガーに寄生する二体の影骸を同時に撃ち抜く。
『避けろ、ケイ――!』
ケイの背後から、猫のように俊敏な動きで踊りかかる影骸がいた。ケイはそちらに目をやり、横っ飛びに牙を回避しようとする。
「くっそ……!」
身の毛もよだつ音が体内に伝わる。
疲労が反応を遅らせた。ケイは牙を避け損ねる。足首に噛み付いた影骸は、鰐に匹敵するだろう顎の力で骨を噛み砕こうとする。その頭部を打ち抜くのがあと少しでも遅れていたら、足首から先はなくなっていたに違いない。
かろうじて足は繋がっているものの、立ち上がることができない。アキレス腱を噛み千切られていた。スティンガーのセンサーアイ越しにも、零れ出る血液がいかに深刻であるのか判然としていた。
『ケイ!』
「前だけを見ろ! 何にも惑わされるな、それがお前だろうが! キョウカ!」
『……っ!』
怒号が心を打つ。
誰のための戦いか。
この力は、スティンガーは誰のための力か。
――そうだ。もう、後戻りはできない。
偽善といわれてもいい。自分はできることをやっているに過ぎない。手の届く距離で、できるだけ多くの人に手を差し伸べる。その道を選んだのは、自分に他ならない。迷いは弱さだ。過去は過ぎ去った可能性。取り戻せない選択肢。後ろを振り向いたところで、そこにはもう手は届かない。ならば。
――私は、未来に向かって手を伸ばすまでだ!
スティンガーをケイの前に滑らせる。ケイの言葉で確信が生まれていた。AMIAを更なる段階へと昇華させることができると。
アニマとは、新たな身体器官のようなものだ。アニマを目指して造られたAMIAも、同じ原理を持つ。問題は、その使い方に気付くか気付かないか。
『スティンガー――』
両手の単分子刺突剣をX字に組む。胸部のコアから脳裏に流れ込む、膨大な心象。言語も感情も超越し、ただ本能のままに――魂のままにAMIAを駆る。
『私に力を貸せ!』
〈――諒解。第二兵装の使用を許可〉
スティンガーの返答に同調し、単分子刺突剣がその形状を変化させる。刃が幾節にも分離して、小型のナイフと化す。それぞれに意志があるように、高速で敵陣をかき回す。単分子刺突剣の柄が制御装置となり、スティンガーの戦術プログラムが統御する刃が、生き物のように敵に殺到していった。
単分子空翔刃。
刃はエリナとルリネを取り囲もうとしていた影骸を、ミキサーのように切り裂いた。ケイに喰らいつこうとした影骸を、チェンソーのごとく切り刻む。殺戮に酔いしれる小悪魔がその場に群がっているようだった。影骸たちは新たな脅威にたじろぐ。スティンガーはその隙にケイに肩を貸し、四人が一箇所に固まる。状況はまさに四面楚歌だった。しかし、敗北感は誰の心にも漂っていない。
存分に血を吸い尽くした単分子空翔刃はスティンガーの手元へと戻り、細身の刀身に復元される。
「さすが、それでこそ、だ」
痛みを意に介さない、ケイのニヒルな笑み。
『当然の結果だ』
皮肉めいたキョウカの返答。
強固な信頼関係を築きあげた二人の前には、いかなる武器もことごとく刃を砕かれるだろう。
ワイヤーネットと銃、そして剣。篭城の準備は整った。
この勝敗を決するのは、やはり黒き獣だ。
The end is nigh.
To be continued.




