Chapter.4-3
ルリネを庇う位置にエリナは立っている。その両手には純白のグローブ、ホワイトスネアが顕現していた。対峙している相手の動向をうかがい、いつでも対処できるよう意識を集中させている。
二人の前にいる人影。それは、冴島ユウトそのものだった。
「どうしたんだ、二人とも。そんなに恐い顔をして」
明朗な声、自然な笑顔、人形のような澄んだ瞳。もう一人のユウトがそこにいた。
「ルリネ、下がって」
本人と見紛う敵に困惑するルリネを後ろ手に、エリナは慄然と敵を見据える。
「騙されるとでも思ったの? 罠にしては幼稚すぎるわよ」
ユウトに似せた姿でこちらを混乱させようというのならば、それは見え透いた策略だ。本物のユウトがあの場で戦っている以上、惑わされることはない。
そんなエリナの心情を見破ったかのように、人影は顔を歪めた。
「罠だとは心外だな。俺がレギオンだと? 違う。俺は人間だ」
左右に振られた顔は、悲しみに満ち満ちていた。両手を広げ、弁解するように一歩ずつ近づいてくる。エリナは躊躇うことなく一本のワイヤーを射出し、片腕に向けて振るう。学生服ごと人影の腕は寸断され、真っ赤な、人間のそれとまったく同じ断面図を見せる。
痛みに呻吟し、人影は断ち切られた腕を押さえる。
「九条、何を……どうしてこんなことを……!」
苦しむその姿はあまりにも人間めいていた。溢れる鮮血を止めようと強く二の腕を押えて、激痛に染まった表情を、エリナとその後ろに佇むルリネに向ける。
「俺は人間だ! どうして分かってくれない! ……見てみろ、こんなにも血が溢れているじゃないか! こんなに辛くて苦しいのに……俺は人間じゃないというのか、九条!」
わめき散らすその勢いに二人は圧倒される。まさか、本当に人間なのではないかという思いが、エリナの心によぎる。
「あなたは、あなたは彼とは違うっ!」
ワイヤーが閃き、ユウトの姿をしたレギオンに鮮烈な一撃を贈る。これ以上まくし立てられる前に、頭部を狙い命を絶とうとするが――
「やめてくれ!」
絶叫がエリナの意識に揺さぶりをかける。ワイヤーの狙いは逸れ、肩口がばっくりと裂けるに留まった。戸惑いがそうさせたのだ。人間だと主張する化け物。ありえないと分かっていながら、心の片隅では猜疑の念が生まれつつある。
「それが人間の弱さだ」
ユウトの声は、エリナの目前に迫っていた。滂沱と鮮血を垂れ流す腕に拘泥せず、敵は残った腕でエリナに掴みかかった。ワイヤーを生成して迎え討とうとするも、相手のほうが速い。腕はエリナの首を掴み、アパートの壁面へと叩きつける。尋常でない力で締め上げられ呼吸もままならない。
「九条、お前は人間か? 人間とは何だ。何が人間で、何が人間ではない」
「わた、し……は……っ」
視野が狭窄してゆく。血液が脳に行き届いていない。
「死ぬのが人間か。死なないのは人間ではないのか」
レギオンから声色は失われていく。無機質な、合成された機械音声のように。その反面、ぎりぎりと締め付ける力は増していった。このままでは呼吸困難になる前に首の骨が折れる。
「死は人に何をもたらす。お前が証明してくれ、九じょ――」
その声は唐突に途切れた。手から解放されたエリナは、その場にうずくまって空気を求めて喘ぐ。何が起きたのか、一瞬理解が及ばなかった。まさかルリネが消火器を振り回し、レギオンの頭を殴り飛ばすとは思わなかった。
「エリナちゃん、こっちに……!」
未だにむせるエリナの手を引き、ルリネは階段を駆け下りていく。だが、道路で待ち受けていたのもまた、ユウトの顔をした化け物だった。それも一人だけではない。何十人もの集団が、虚無だけを湛えた瞳で二人を凝視しているのだ。
階段からは、片腕を失ったそれが平然と歩み寄ってくる。まさに、四面楚歌。
「死は幻想か」
有象無象の一人が口を開く。それを呼び水に、幻惑するかのような大合唱が始まる。
「生は幻想か」
「生は永遠か」
「生は不滅か」
「死は不滅か」
「人間は生か」
「人間は死か」
「生は虚構か」
「死は真実か」
「生は終焉か」
「死は創始か」――
疑問ではない。真理そのものに迫ろうとする巨大な意志の塊が、圧倒的質量でこちらの魂を押しつぶそうとしているかのようだった。耳を貸せば、たちまち混迷の渦に巻き込まれ、自我を囚われてしまうだろう。
エリナは恐怖していた。現実的ではない光景に、自分が存在している世界を見失ってしまいそうだった。ルリネを守らなければ――この一点だけが、彼女が彼女であることを支えている。
敵は――ユウトを模した無数の人影は、ユウトが背負う二律背反を具象化しているようだった。人間でありたいと願い、そのように振舞う心。それを否定し、破壊しつくそうとしているのが、ヴァランディンが交戦している黒鋼骸だ。ユウトもどきの群像は、ユウトが抱くもう一つの心――自分は人間ではないと認めてしまえば、心の荷が下り、何もかもから解放されて生きていくことができるという欲求から来ていた。人間ではないと否定して欲しい。しかし、人間でありたい。相反する感情が、混沌の光景を引き起こしているのだ。
敵は、レギオンはこちらの心理を見透かす力を持っている。心の弱点に付け込み、内側から崩壊させようとしていた。
今までにない心象戦。ターゲットであるはずのルリネを狙うのではなく、その周囲から突き崩し、完全な勝利を収めようという、これまでにエリナが経験してきたどのパターンとも異なる戦術だ。アニマにしてAMIAを駆る冴島ユウトの特異性を危険視しているのだろう。だが、それだけではない。レギオンは面白がっている。冴島ユウトという存在を。どのような状況を作れば、どのような反応を、この人間たちは返すのだろうか。まるでレギオンの実験場だ。
しかし、レギオンにも予想外の存在がいた。
御堂ルリネだ。
固く結ばれた口許には、恐怖を払拭しようとする強い意志が込められていた。眼鏡越しの双瞳に光るのは、絶望でも畏怖でもない。無数のユウトの影に勝るとも劣らない決意。信じ続けるという意志。
「冴島くんは、あそこにいる。私を守るために戦ってくれている。あなたたちは、人間なんかじゃない……冴島くんとは違う! 冴島くんを馬鹿にしないで!」
決して声高な宣言ではなかった。それでもその効果は絶大だ。場を席巻していた声はたちまち消失し、静寂の波が広がっていった。
『ああ……そうだ。もう、迷うわけにはいかない』
ルリネの声は、死闘を続けるユウトの耳朶にも届いていた。
黒鋼骸の意識、そして無数の自分の出現で揺らぎ始めていたユウトの心が、安寧を取り戻す。ルリネがもたらした希望は、ヴァランディンの、ユウトの魂へと浸透した。
黒鋼骸は、グロテスクな顔面をルリネへと向ける。
〈なかなかに興味深い。これまで幾度となく狩りを見届けてきたが、あのような意志の強い存在は珍しい。恐れていながらなお、われわれに刃向かうとは。所詮は、人間程度の意志であるが〉
ユウトは、頭蓋に反響する声に対して凛とした意識を返す。
――人間の意志に、お前は勝てない。遊びとして戦いを捉えているお前などには。
〈それは事実だ。われわれにとっては、これは単なる遊戯でしかない。お前たちが戯れに獣を狩るのと、何も変わりはない。われわれは常に優位にある〉
――それこそ幻想だと教えてやる……!
ヴァランディンが敵に迫る。驚異的な瞬発力で黒鋼骸に肉薄し、両掌を突き出す。
閃光、重なる穿孔。頭部と胸の中央を同時に穿ち、黒鋼骸を吹き飛ばす。
一方で、無数のユウトの影――影骸は、人間の意識の攪拌という役目に失敗し、被っていた化けの皮を剥ぐ。端整な顔は崩れ落ち、現れたのは黒鋼骸と同じ、筋肉の剥きだしになった不気味な顔面だ。
殺気が影骸の間に広がってゆく。
先陣を切って跳躍した影骸がルリネに襲い掛かろうとし、空中で爆散した。集団の後方から放たれたエネルギー弾の攻撃だ。
東地ケイは長大なライフルを大口径バズーカに転身させ、前方に狙いをつける。
「伏せとけよ!」
巨大な光弾が放出され、数人の影骸を跡形もなく消し去る。海が割れ、道が開けるように。そこへ滑り込んできたのがキョウカの駆るスティンガーだ。両手に単分子刺突剣を構え、低空を滑空しながら影骸を切り刻む。そしてエリナとルリネの前で着地し、威嚇の意を込めて周囲に突きつける。
『遅くなってすまない。二人とも無事か』
「はい、私もルリネも無事です」
『了解した。……あれは何だ』
スティンガーのT字センサーアイが捉えたのは、鎬を削りあう二体のヴァランディン。そのうちの一方はレギオンだ。
「おそらく、あの黒いレギオンがこいつたちを統制しています。あの相手はヴァランディンに任せて、私たちはルリネを守り抜くことに専念しましょう」
『ふむ……どうやらそのようだな。だが、彼に任せきりにする訳にもいかない。こいつらを早急に殲滅するぞ』
エリナは首肯を返す。
とはいうものの、影骸の数は減るどころか目に見えて増加している。ケイが散弾銃を乱射し、見事な勢いで敵を撃ち倒しているにもかかわらず、細胞が分裂するように影骸は増殖している。再生が殲滅を上回っていた。
迷っている暇はない。
紫の機甲兵器は手当たり次第に得物を振るってゆく。細身の剣先に触れるものは、何であろうと斬り刻んでいった。影骸も躊躇なく突進を繰り返す。向かってきたその両足を叩き斬り、首を落とす。返す刀で胴を真っ二つにし、さらに旋回を繰り返して肉塊へと変えていった。
スティンガーが捌ききれなかった影骸は、例外なくエリナのネットの餌食となる。この場を引き下がることはできない。何としても死守するという想いが、ホワイトスネアの真価を発揮させる。
アニマで戦うことこそエリナの存在意義。それをここまで信じ、任せてくれるルリネがいる。それ以外に、何も必要ない。
「絶対に守るからね、ルリネ」
「うん……!」
もっと鋭く、もっと細く。
私はまだ戦える。
■
状況は、逼塞していた。エリナ、ケイ、キョウカによる防衛線は影骸の猛攻からどうにかルリネを守り抜いているものの、勢いの衰える気配がない影骸に対して、彼女らの体力には限界がある。そもそも対レギオン戦は、人間側のたった一人を守り抜くという目的のために防戦にならざるをえない。敵戦力の限界があればこそ、展望の開けた戦い方ができるというものだ。しかし、底知れない影骸の軍勢に対しては、攻勢に出ることができない。まさに理不尽極まりない、数の暴力だ。
その状況を打開できる方法があるのだとすれば、やはりヴァランディンにかかっている。人間側の認識では、レギオンの戦いは一種のゲームだ。敗北条件の想定されていないゲームなどあり得ない。勝敗を競うことがゲームなのだから。では、レギオンにとっての敗北は、どのようにもたらされるのか。この場にいる影骸を統率していると思われるのは、ユウトが交戦中の黒鋼骸だ。生きた鎧のようなその獣を打ち破ればこそ、人間側の勝利が得られるのではないか。
しかし、誰もがそのように想定する中で、黒鋼骸は規格外の性能をもって応戦してくる。ヴァランディンの掌底波動砲、ならびに現時点、人間側で最強の兵器たる圧縮掌底波動槍を使用してもなお、黒鋼骸は倒れない。砂浜に刻んだ文字を荒波がかき消してしまうように、ヴァランディンが負わせた傷は修復される。不死身の敵を、どのように討滅できるのか。
不死に対抗するには、やはり不死の力しかあるまい。
限界を知らぬ武力の応酬を、二つの黒き獣は続けていた。
黒鋼骸の形態は、ヴァランディンの不完全なコピーだ。両手には同じ照射孔があるものの黒鋼骸のそれから伸びているのは漆黒の槍。ヴァランディンの圧縮掌底波動槍を固形化したような、鋭利で強靭な槍だ。いくら叩き折ろうとも、肉体と同じく生え変わる。さらに厄介なのが、背にあるコウモリのような巨大な翼だ。ヴァランディンの真紅の翼膜とは異なり、刃物のように薄く硬いその翼は凶悪な武器になる。そもそも、ヴァランディンの翼膜は電磁界の流動現象が可視化されたものだ。真紅の粒子が電磁界内を嵐のように駆け巡り、指向性の強力な斥力場を生み出している。それは水が宙に浮いているようなもの。掴もうと思っても、それぞれが結合されているわけではないので不可能なはずだった。だが――
『何っ――』
黒鋼骸は、槍を逸らしたヴァランディンの翼膜を逆の手で掴み取る。赤いマントを引っ張るように、電磁界そのものに干渉してきたのだ。
ぐん、と引き寄せられ、再び槍がヴァランディンの顔に迫る。繰り出されたそれを首の動きだけで躱す。が、わずかながら回避動作のほうが遅かった。バイザーの側面が砕け、髑髏めいたフェイスマスクがあらわになる。ラジエーターが一基吹き飛び、排熱管から高温の空気が噴き出す。
グロテスクな黒鋼骸の双眼が、ユウトの人形のような瞳と交差する。
〈お前たち人間は大きな誤解を抱いている。このゲームにおいて、われわれに敗北という概念はない。逆らうことは叶えども、制圧することは叶わない。われわれはお前たちが考えているような存在ではない〉
――それがどうした。負けを認めろというのか。
〈未来はさるべくして現在になる。未来とは可能性のことだ。われわれにおいて、可能性とは必然性を意味する。未来は決定している〉
『決定していようと、今はお前の言う未来ではない――! ヴァランディン!』
ユウトの叫びに呼応するように、上腕部ラジエーターが噴火せんばかりの熱を発する。
自らの翼膜を手で貫いて、対象に密着させてからの照射。
三連圧縮掌底波動槍――
腹、胸、右肩と風穴が連なる。右腕は枯れ枝のように吹き飛ぶが、それが地面に落ちる頃には新しい腕が生えている。ヴァランディンはさらに掌底波動砲を連射し、自らも飛び退きながら黒鋼骸との距離をとる。
口腔から鮮血を迸らせながら、黒鋼骸は修復された右腕を平然と掲げる。
〈諦めることを知らないのか、それとも単に死を畏れているのか。面白い。死こそわれわれには不要な概念だ。ゆえに、お前たちが恐れる理由も解しがたい〉
――哀れだな。生の価値を知らないというのは。
〈生とは何だ。死とは何だ。抗うことか。戦うことか。意味を求めることか〉
――お前と下らない問答をするつもりはない。お前は敵だ。俺の、俺たちの。
〈いったい、その力の源は何だ。われわれは、我は、お前に興味がある。生きようとする意志とは何だ。生は状態だ。状態に変化は必然のごとく訪れる。しかし、変化に抗う動機は、その意志は、何に由来する。なぜ、お前たちは生きようとする〉
黒鋼骸は広大な翼を広げ、天高く飛翔する。
――生まれたから生きる。それ以外に理由などあるものか!
真紅の翼膜が、業火のごとくさんざめく。全身を赤の奔流が包み込み、龍が天空を目指し飛び上がるように、ヴァランディンの重躯は天翔した。
空中で火花が瞬く。鋼鉄の衝突が繰り返され、壮絶な金属音が鳴り響く。高速ですれ違うたびに、翼が鎧を打ち、熱波が灼熱の舌で嘗める。砕けた装甲は斜陽を浴びて鈍い輝きを照り返し、幻想的な死闘を描き出す。ジェネレーターの悲鳴が歌声となり、打ち合う鋼が旋律を添える。
かつてないほどの戦い。
その下で繰り広げられる激戦にも、大きな転化が訪れていた。
To be continued.




