Chapter.2-5
未知なる既知との対話
音が見える。
まるでビッグバンから宇宙が創生されていく、その極彩色の奔流を眺めているような感覚。膨大な空間にぽつんと自分の身体が浮いていて、宇宙の中心で光が広がっていく様を目にしている。その光景が、音として眼球に感じられるのだ。もちろんこれは錯覚に過ぎないが、形容するとしたら、きっと正しい例えだ。
香曽我部キョウカは、混在する自分の感覚を光の流れにゆだねていた。目にし、耳にしている光景は、現実のものではない。彼女の胸に埋め込まれたAMIAのコア――人工的な魂を、脳内で直接体験しているのだった。
「私は……人間か?」
呆然と、問いかけるように呟く。すると、激しい輝きの奥底から、声が眼球に届いてくる。
〈――肯定〉
女声とも男声ともとれる、中性的な声。あるいは、それはキョウカ自身のものであったのかもしれない。
「お前は……機械か?」
同じように問いかける。今度は、少し困惑したようなイントネーションが、声より先に伝わってきた。どう答えていいのか分からないような、正しい答えを模索しているような感覚が、キョウカの心に、まるで自分のもののように伝播する。
〈――否定〉
ようやく眼球に届いた声は、彼女がこれまで何度も耳にしてきた回答だった。この質問をするたびに、スティンガーはあたかも当惑したように回答を遅らせるのだ。
「お前は……人間か?」
重ねて問いかける。この質問に対する回答は早かった。
〈――否定〉
人間と定義されることを嫌うような口ぶり。
「では、お前はなんだ?」
〈――私は、スティンガーである〉
スティンガーの基礎言語である英語による回答。
「呼称ではない。お前は、人間でもなく、機械でもなく、どういった存在か」
光の濁流が、濃紫に染まってゆく。同時に、色に乗せて伝わるスティンガーの意識。言語によるものではなく、感覚的で、圧倒的な存在感。言葉は遅れてついてきた。
〈――私はヒトではない。また、私は機械ではない。私はスティンガーである〉
私=自己=スティンガー。我こそが唯一無二の存在である。そう言うかのように。
AMIAが徹底したひとつの意識を持っていることは明白だ。しかし、肉体的に人間であるキョウカと繋がっている以上、本当にこれがスティンガーの意識なのか、あるいはキョウカの意識を反映させたものであるのか、それは分からない。未だ解明されていない技術の結晶であるAMIAに対しては、憶測で話を進めてゆくほかはない。
それにしても、やはり言語を用いなければ相互理解ができないのは不便だとキョウカは感じていた。本来、言葉を用いなくても、生物はコミュニケーションをとることができるはずだ。自分が人間であるために、より高度な意志の疎通を図ることのできるツールとして言語を使用している。しかし、その代わりに動物的な、野生の感情や感覚といったものを失ってしまった可能性がある。言葉に表さなくても、感覚として伝わるはずの意図や意識といったものが人間では感じにくい。言語による理性が、本能に分厚い膜を被せてしまっているために。ゆえに、AMIAの意識、スティンガーの本質というものは、人間には理解できないのかもしれなかった。無理やり言語化しようとしているために。
だからこそ、言語を超えたAMIAと人間の相互理解を求めて、香曽我部キョウカはこの形式の「対話」手法を編み出したのだ。言語だけでなく、よりダイレクトにAMIAと人間を結びつける。五感を通じて、AMIAとの意志疎通を図ろうとしたのである。
果たしてこの手法が成功したのかどうか、今の段階ではまだはっきりとしない。以前よりも感覚が直接伝わってくるのは確かだったが、どうしても言語に頼らざるを得ない部分もあった。対話システムがまだ不完全である上に、やはり理性を持つ動物、人間として、言語を手放すことは難しい。ヒトという種族の根幹に深く根付いている道具であるがゆえに。
「私は、お前の能力を最大限まで引き出すことができているのか?」
〈――否定〉
随伴してくる、強い光の波。キョウカにはまるで、強い拒絶のように思えた。
「では、私はお前の能力を最大限まで引き出すことが可能か?」
〈――不明〉
分からない、と述べる。
キョウカはスティンガーを使役することができる適合者だ。そうはいうものの、やはり未知数の能力を最大まで発揮できるとは限らない。冴島ユウトとヴァランディンの適合性と比べてみても、スティンガーを使いこなせていないのは明白だった。
彼らのように適合性を高めることができるか――そう意図しての問いかけだったが、応えは曖昧だ。可か不可か、どちらに転んでもおかしくないような。
「コアと人体の結合に、制御コネクターは必要か?」
〈――肯定〉
「その理由は?」
〈――人体の瞬間的な情報処理許容量を超過するためである〉
ここまでは通例の回答だ。AMIAの使用には、コアと人体を隔てるコネクターが必要不可欠。それなくしては、たちまち身体は保たなくなる。
問題はここからだ。
「制御コネクターを使用せず、AMIAの使用は可能か?」
〈――不明〉
音声と同時に、眼球に届く痛みのような感覚。
予想外の答えだった。先ほどの問答では、制御コネクターを必要だとスティンガーは認めた。にもかかわらず、コネクターを使わなくてもAMIAを装着できると解釈できる回答だった。やってみなければわからないとでも言うかのように。
そんなはずがなかった。矛盾している。少なくとも今までは。コネクターを介さずAMIAコアを装着した人間は、誰一人として健康な肉体を維持することができなかった。今でも後遺症に苦しんでいる研究者もいるというのに。
冴島ユウトの場合はどうか。コアを直接肉体に埋め込んでいるというのに、彼は日常生活を難なく送ることができている。彼の胸元は、見た目こそ侵食されたように無残な様子になっていたものの、筋肉の活動自体には支障もないようだった。やはり、彼が特別にヴァランディンのコアと馴染んでいると考えるべきか。今しがた出された答え――「不明」とは、ユウトとヴァランディンのような、偶然生じる特別な関係性を考慮してのことなのか。彼とヴァランディンこそ、まさに人間とAMIAの、理想の組み合わせだとでもいうのだろうか――
疑問は増えるばかりだった。それでも、まったく手がかりがないわけでもない。もともとAMIAそのものが、仮定に仮定を重ねて研究されてきた。突然予想外のことが起こったとしても、何ら不思議ではない。今回のケースこそ、その予想外な事態の一つなのだ。
キョウカは、自らの意識を肉体へと呼び戻す。全身が強く背後に引き戻されるような感覚の後、光の濁流が遠のいていき、現実世界の五感が戻ってくる。
キョウカは、リクライニングチェア型の装置に身体を預けていた。頭部は脳波を測定するマスクに覆われ、胸のコネクターにはAMIAコアをモニタリングするプラグが差し込まれていた。残した対話記録から、また後に研究を進めるためだ。これらはすべて、キョウカが設計し、日本国内のアニマ使用者やAMIA研究者に製作させたものだ。スティンガーをより昇華させるために、様々な記録を数値として計測する機器。一年でAMIAの基礎形態からスティンガーへと発展させることができたのは、この装置の功績だと言える。
冴島ユウトは、執念でヴァランディンを発展させたというのか。
「何がどうなっているのか――」
マスクを外したところで、バスルームから一人の男が出てきた。スポーツマンらしく引き締まった肉体は、日ごろの激しい戦いによって鍛えられたものだ。
下着姿の男――東地ケイは、バスタオルで頭髪を乾かしながら、椅子から立ち上がるキョウカと目を合わせる。
「……さっさと服を着ろ」
「なんだよ、顔を赤らめて恥ずかしがってもいいんだぜ? 昔みたいに」
「もうそんな年齢じゃないだろう、私も、ケイも」
「俺でさえまだ三〇になったばかりだってのに」
苦笑するケイに、キョウカは意地の悪い微笑を送る。
「考え方が小学生並みだというんだ、お前は」
「なんだって? この俺の、どこが?」
「どこもかしこも、だ」
「……ま、褒め言葉として受け取っておくか」
「なぜそうなる」
「小学生並みだからな」
「小学生をバカにしすぎだ」
肩をすくめながら、ケイは冷蔵庫から清涼飲料水の入ったボトルを二本取り出す。そのうちの一本をキョウカに放る。装置を使用したAMIAとの対話は、意外にも体力を消費する。さすがよく分かっている、とキョウカは心の中で呟いた。
ケイとキョウカは、学校の近辺にあるマンションの一室を借用していた。2LDKであるために少々値は張るが、学校に近くそれなりにスペースもあるので、キョウカの研究も行える。元はここにエリナも加わっていたのだが、彼女がアパートに越したために、今ではケイとキョウカの二人だけだ。
ペットボトルに口をつけながら、ケイは疑問を口にする。
「よかったのか、エリナを引っ越させて」
「私はよい選択だと思っている」キョウカは視線を下に落とし、「今までずっと、あの子には辛い経験ばかりをさせてきた……日常の暮らしから遠ざけさせてしまっていたのは、私たちだ。エリナには少しでも、普通の生活を教えてやりたいんだ」
「それは……そうか。そうだよな」
「時々不安になる。エリナは私を恨んでいないかと。思えば、あのときの私は勝手だったのかもしれないな……いや、今だってそうだ」
制御できないアニマの力に怯え、絶望していたエリナに、戦いという選択肢を与えたのはキョウカだった。しかし、それもすべては計算の上。エリナに示された選択は、その一つしかなかった。アニマを使うことができる人間はごくわずか。数少ない対レギオンの能力を持つ人間を――たとえ年端もいかない少女とはいえ――見逃すことはどうしてもできなかった。エリナは承諾してくれたが、まるで誘導尋問のようなものだ。自由など与えられていない。結局は、自分の力に縛られる生活を送ることを余儀なくされたのだから。
だから、エリナは心のどこかで、あの日のことを恨んでいるのかもしれない。
「本当なら、もっとしてやれることがあったんじゃないか?」
「あった、だろうな。だが、アイツは恨んでなんかいないさ。自分が自分であるために、必死になってアニマを使いこなせるように特訓している……俺にはそう見える」
「……義務に生きてしまっている。レギオンと戦えるのは、アニマを使える人間だけだ。しかし、あの子はそれを義務だと思ってしまっている。まるで自分が一つの兵器であるように思い込んでいるんだ……それもきっと、私の責任だ」
ケイは冷蔵庫にもたれかかって、眉をひそめる。
「随分と弱気だな……何かあったのか?」
「私は……」
キョウカは銀縁眼鏡越しの明哲な視線をケイに向けるが、そこにある輝きさえ、いつもより弱弱しいものだった。
「よく分からない。どうしてこんなに不安なのか。あの子のことだけじゃないよ。今回の敵も、スティンガーもヴァランディンも……何もかもが、漠然と不安なんだ」
「不安、か」
「冴島ユウトに言われてしまった。不甲斐ない戦いだったと」
「……大人しい顔して厳しいこと言ってくれるな」
「否定はできないさ。正直、あの場面でヴァランディンが現れなければ、私たちは負けていただろう。彼の、並々ならない執念がなければ」
一切の容赦もなく敵を切り刻む、黒に染まったAMIAの姿が蘇る。目に見える敵が、すべての元凶だと言わんばかりの戦い方だった。ことごとくを憎悪し、消し去ってしまおうとする、獣のような意志。いや、大きな悲しみか。慟哭するような、掌の衝撃波。
「冴島に話を聞いたんだろう、どうだったんだ?」
「彼は……レギオンに、家族を奪われたらしい」
「なんだって?」
「詳しくは聞いていないが、ヤツらと戦う力を持たなかった自分が恨めしいと言っていた。冴島ユウトは、おそらくヴァランディンを手放さないだろう」
「それで、一人暮らしを……」
「そうだろうな。きっと、過去の自分と決別したかったのだろう」
事前の調査で、ユウトが一人暮らしをしていることは判明していた。実家からの仕送りで生活しているのだろうと考えていた。しかし、どうやら遺産か、もしくは親戚に頼っているようだ。
「ふぅむ、そうか、なるほどな」
何かに思い至ったのか、ケイはしきりに頷いている。
「どうかしたのか?」
「ああ、いや、冴島の気持ちが、何となく理解できたんだ。どうやら御堂のことを随分と気にかけているようだったが、そういうことか」
「そういうことって……どういうことだ」
「あー……上手く口じゃあ説明できないんだが……なんて言えばいいんだろうな。男子特有の、こう、ヒーロー的精神というか」
身振り手振りを加えて、どうにか言葉に表そうとしているようだったが、それも諦める。
「まあ、何となく分かるってやつだよ。男ってのは、誰だってヒーローになりたいものさ」
「……そうか、これも共感か」
「共感?」
「いや、こちらの話だ」
言語化できない感覚的な意識。ヒトとAMIAとの間だけではなく、ヒトとヒトの間でも同じようなことが起こる。ただし、その共感の内容が、相互的に正しく理解されたものであるのかどうかは別の話だが。
「なんにしろ、俺たちはもう後戻りはできない。いまは御堂を守ることだけを考えるべきじゃないのか」
「……そうだな。その通りだ」
「冴島だって、戦いを傍観するような真似はしないさ。ヴァランディンの件は、全部片がついた後にしようぜ」
それだけを言い残すと、ケイは適当に服を着てリビングのソファーに寝転がった。
思慮深いようで、その実は気ままに生きているようなケイの態度は、呆れを通り越して感心を覚えさせるほどだった。それが今では、頼りになるとまで思えてしまうほど、キョウカの中では不安が蠢いていた。
冴島ユウトの人形のように無垢な瞳が、仇を語るときにはおぞましいほどの負の感情を宿していた。家族を奪われた憎しみは、キョウカの想像を絶するのだろう。
「家族、か……」
家族について、あるいは、御堂ルリネについて語るときのユウトの顔つきは、明らかに普段と違う。逆に言えば、それ以外のことは頭にないかのようだ。
「…………」
結論を出すにはあまりにデータが足りない。もう少し、状況の推移を見守る必要がありそうだった。
Chapter.2 "The human factor__2012.04.10" end.
章タイトルは、Metal Church 4thアルバム"The human factor"より。




