Chapter.2-4
涙を流す理由なら
私にも分かる
「私、まず御堂さんに謝らなきゃいけないことがあるの」
招き入れられたエリナの部屋は、ルリネのものとは打って変わって、いかにも女子高生らしい調度品で溢れていた。淡いクリーム色のカーテン、カーペット、小洒落た衣服、可愛らしいクッションや小物。
まるで遊園地を訪れたかのように心を躍らせるルリネに、しかしエリナは沈痛な面持ちでそう言ったのだ。
「謝るって、どうして?」
「キョウカさん――香曽我部先生から、私たちのことについて聞いた?」
「私がどういった状況になっているのかは大体……」
「私のことは?」
「えっと、れぎ……おん? と、戦える力を、持ってるんだよね?」
「そう。私の力――ホワイトスネア」
エリナが細く白い手をかざすと、魔法のように純白のグローブが現れた。手にフィットする形で、指の先にはそれぞれ小さな穴が開いている。
「ここから、とても細いワイヤーを出すことができる。それが、私の力」
自分の手を見つめるエリナの表情は複雑だった。
「私がホワイトスネアを使えるようになったのは、三歳の頃だったわ」
「三歳……そんなに小さいときから?」
「そう。けれど、始めは手袋もなくて、指の先から蜘蛛の糸みたいなワイヤーが垂れるだけだった。もちろん、そんな不思議なことが起こったのは私だけ……友達はみんな私を恐がったし、その保護者も同じように」
「そんな……」
「それだけじゃないわ。私の祖父は、ちょっとした会社の経営者だった。よく企業グループのパーティーなんかに、兄弟が呼ばれていたのを覚えてる。けど、私は出席を許可されなかった……この力のせいでね」
エリナの気持ちは、痛みが伝わるほどルリネには分かっていた。だが、彼女を遠ざける保護者や家族の気持ちも、理解しがたいわけではなかった。人は、不可思議なもの、不自然なものを避ける傾向にある。自分が思う「普通」を侵食するような存在があれば、その「普通」を守ろうとして、異常なものを遠ざけてしまう。
決してエリナに罪があるわけではない。誰のせいでもない。だからこそ、辛いのだ。やり場のない悲しみを、憤りを、一体どこにぶつければいいのか。
「結局、学校にもろくに行ってないわ。小学校じゃあ、まるで幽霊みたいな扱いだった。面白がってからかう人もいれば、恐がって逃げてく人もいる。私の居場所は、そこにはなかったの」
掌を下に向けると、ワイヤーが指先から垂れ下がってくる。グローブと同じように、高潔な白さを纏っているワイヤーを見つめながら、
「中学も、三日ぐらいしか行かなかったな……全然この力を使いこなせなくて、何かの拍子にワイヤーが出てきて、誰かを驚かせる。だから、学校なんて行きたいと思わなかった」
指先から流れ落ちる白線の輝き。そこに、まるでエリナの語る過去が垣間見えるようだった。
「そんなとき、私は、キョウカさんと出会った」
「香曽我部先生と……?」
「噂は勝手に広がるわ……どこかから、キョウカさんは私のことを聞いたみたい。それで、一緒に戦ってくれないか、って。もちろん、迷いなんてなかった」
絶望の中にいた少女に差し伸べられた、希望の光。きっと、エリナが目にしてきたどんな光よりも、それは暖かかったのだろう。
「怖く、なかったの? あんなにたくさんの敵と戦うのに……」
「怖くない、って言ったら嘘になるかな」儚げな笑みを浮かべる。「昔は、今みたいに自由にワイヤーを出せるわけじゃなかったわ。今では、頑張れば木だって切れちゃうほど細いんだけど、一年前なんか敵を縛るのがやっとだったなぁ」
「そんなに難しいの、アニマって?」
「ん~、難しいっていうか……そうね、御堂さん、ちょっと手を挙げてみて」
「えっ、こ、こう?」
言われるとおりに両手を挙げる。
「その手、どうやって挙げたの?」
「どう、って言われても……えーっと、その……こう?」
「そう。やり方を説明してみてって言われても、『こう』としか説明できない。アニマも、それと同じなのよ。理屈じゃなくて、感覚で覚えるしかないの。私たちが、犬や猫の尻尾の動かし方を知らないのと同じ」
「なるほど……」
「特訓して特訓して、なんとか今みたいにネットを張れるようにまでなったってわけ」
辛く厳しい期間だったことは想像に難くない。
目や鼻、手のほかに、自分が知らない身体器官がくっついたようなものなのだろう。誰も使い方を知らないし、教えることもできない。自分と向き合って突き詰めていくしかなかった。
「これが、このアニマだけが、私を証明してくれる。私が私であることを。私が生きていることの意味を」
「それが九条さんの戦う理由?」
エリナは頷く。迷いを一切見せない、力強い微笑で。
だが、
「実は、一年前にも冴島くんと会ったことがあるの」
と呟いたエリナの表情は曇っていた。
「えっ、そうなの?」
「私たちが、レギオンと戦っているときにね。そのときの私は今より未熟で、戦うことにも慣れてなかった。それは言い訳にしかならないんだけど、実際もうちょっとのところで私は殺されていたわ。けれど――」
エリナは目蓋を閉じる。その裏で、どのような光景を見ているのだろうか。
「冴島くんが、私を助けてくれたわ。あのAMIA――ヴァランディンで」
再び目を開いたとき、エリナの双眸に浮かんでいたのは疑念だった。
「そのときは、彼が冴島くんだって知らなかったけれど、何とか正体を突き止めた」
「なんだか、まるで冴島くんが悪いことをしたみたいな……」
エリナの口調にしても、キョウカの態度にしても、ユウトのことを敵視しているとしか思えなかった。昨日の夜、戦いが終わったときにも険悪な空気が漂っていたことを思い出す。
「悪いこと……そうね、私にしてみれば、彼のしていることは正しいとは言えない」
「ど、どうして? 冴島くんが何かしたの?」
「冴島くんが使っているAMIAは、本当は彼のものじゃないの。盗んで勝手に使っているのと同じ……それに、その使い方も」
「…………」
黒い身体に赤いライン、顔にはXの輝き。ヴァランディンの威嚇的な外観は、確かに恐ろしげではある。だが、ユウトが自分を助けてくれたのもまた事実だ。
「御堂さん、入学する前に彼に助けられた、って話をしてくれたよね?」
「あ、うん……」
不良に絡まれたルリネを助けたのもユウトだった。考えてみれば、ユウトに救われたのは今回で二度目になる。彼には頼ってばかりだ。
「でも、学生一人が不良三人相手に勝てると思う?」
「冴島くんは全然ケガをしてなかったし……勝てたんじゃないかなぁ。多分……」
「普通だったら勝てないって。空手とか、柔道なんかをやってても難しいと思う」
「じゃあ、どうやって――」
ここでルリネは、エリナの考えるところを悟った。彼女は言っていた、ユウトの使い方は正しくない、と。それはつまり、
「それって、AMIAを……?」
「きっとそう。ヴァランディンを、人間に対して使ったんだわ」
エリナの瞳には、確信の色が浮かんでいた。それは、ユウトを間違ったAMIA使用者として断定し、弾劾する決意の表れでもあった。
「……九条さんは、それが本当だとしたら、許せないんだね」
エリナは頷く。
彼女にとって、アニマとは生きる理由だ。レギオンという、人ならざる敵と戦うための力。それはAMIAも同じ。偶然にも与えられたその力を、ルリネを守るためとはいえ人間に対して使ってしまった。その事実が、どうしても許せないのだろう。
だが、
「私は、違うと思うな」
「違うって、何が?」
小首を傾けたエリナに、ルリネは彼女とはまた異なる確信を持って答える。
「冴島くんは、きっとそんなことしないと思う。理由はうまく説明できないんだけど、そんな気がするの」
「……確かに、私よりも御堂さんのほうが彼との付き合いが長いわ。だから、彼のことは私よりよく知ってるから、そう言えるのかもしれないけれど……」
エリナはどうにも釈然としない様子だ。
対して、ルリネの確信は揺らがない。
「私は信じてる。冴島くんを」
大丈夫だ――と。
そう告げたユウトの姿が蘇る。根拠も理由もない。だが、ルリネにはユウトが兵器を悪用していないと信じることができた。彼の人形のような瞳が、すべてを――ルリネの信頼さえも守ってくれている。そんな気がした。
エリナは、それでも納得がいかない表情だったが、ふと口元を緩める。
「羨ましいな」
「えっ?」
「そうやって、誰かを心から信頼できる……そんな人が身近にいるって、とても羨ましい」
小さな笑顔の裏に、エリナはいったいどれほどの苦悩を背負ってきたのだろうか。話を聞いただけでは、想像することしかできなかった。
「だから、さっき言ったように……私は、あなたに謝らなきゃならない。私があの高校に転校してきたのも、冴島くんやあなたに近づいたのも、全部仕事のためだったのよ。まるで、御堂さんを騙してしまったみたいになっちゃって……あなたの好意を、利用しちゃったみたいで……本当にごめんなさい」
悄然とエリナはうな垂れる。昨日のあの不可思議な言動は、そこに理由があったのだ。彼女たちは冴島ユウトの情報を手に入れ、AMIAを、ヴァランディンの悪用をやめさせるために、高校に転入してきたのだという。
「だからって――」
ルリネは、エリナのグローブに包まれた手に、そっと自分の手のひらを重ねる。
「九条さんも、同じ。私を助けてくれた。私には、それだけで十分だよ」
「御堂さん……」
「昨日は、仕事のためだったとしても……私は、九条さんのことを友達だと思ってる。勝手かな、こんなこと言っちゃうの?」
エリナは、首を何度も横に振る。その瞳は、かつて彼女が得ることのできなかった感情に濡れている。
「そんなことない……そんなことないよ」
高潮した頬に、一滴の喜びが光っていた。
「だから、ね。私のこと、名前で呼んで?」
ルリネは、エリナの瞳を見つめる。
「そうね……ありがとう、ルリネ」
ルリネは、満面の笑みを返した。きっと彼女自身も、これまでに浮かべたことのなかった、とても輝かしい笑みで。こんなにも、相手に自分の心を伝えることができたのは初めてだ。それもすべて、エリナがルリネを守ってくれて、何もかもを打ち明けてくれたからだろう。信頼できる存在――それこそが友達だと、気付かせてくれた。
今ならきっと言えるはず。九条さんは、私の友達だと。
To be continued.




