Chapter.3-1
死闘、第二幕
冴島ユウトの朝は早い。
必要最低限の家具だけがそろった部屋に、目覚まし時計は置かれていない。壁掛け時計も正方形のシンプルなつくりで、アラーム機能はついていない。しかしながら、ユウトは毎朝六時半ちょうどに目を覚ますと、すぐに身支度を整える。それなりにゆったりとした動きでありながら、無駄のない挙措で淡々と登校の準備を進めていく。
時間は午前七時半。校舎開放と同じタイミングで、冴島ユウトはアパートを後にする。
毎朝と変わらない、まるで流れ作業のような生活。彼がどのような感情を抱いて学校生活を送っているのか、人形のような瞳は語ることがない。クラスの生徒との関わりあいを持とうとせず、生徒たちもユウトとの接触を避けようとする。時々、授業でグループを組むことがあっても、ユウトにはまったく積極性がない。質問には答えるが、自発的な意見はない。別段、授業態度が悪いわけでもなく、テストの成績もクラス上位に位置するため、教師からの評判も悪くはない。ただ影の薄い生徒という印象が、クラス全員の一致した意見だ。
テンプレートにそったような日常を歩むユウトの生活に、しかし今日は闖入者が現れた。アパートを出たところで、いきなりその人物と出くわしたのである。
「早いのね、随分と」
「…………」
セーラー服姿の少女。九条エリナだ。
「なぜここにいる」
無表情のユウトに、同じ表情でエリナは答える。
「昨日、引っ越してきたのよ。この部屋に」
指し示したのはユウトの隣の部屋だ。
「レギオンは襲ってくるわ、あと二回。できるだけ、ルリネの傍にいたほうが安全だからね」
「…………」
「あなたは、私たちに協力する気があるの?」
「協力はしない。俺は俺のやり方で戦うだけだ」
「どっちにしても、目的はルリネを守ることなんだから、そんなに邪険にしなくたっていいんじゃないの?」
「…………」
ユウトは問答するつもりなどない様子だった。無言のままエリナの傍を通り過ぎようとする。が、後ろから制服の袖をつかまれ、やむなく足を止める。
「待ちなさい。はっきりさせておかなきゃならないことがあるわ」
打って変わって声音が険を帯びる。無感動に振り向いたユウトに、エリナは拳銃を突きつけるように言った。
「ルリネに話を聞いたわ。あなた、一年前に彼女を助けたんですってね」
「それがどうした」
「あなたは――」引き金を絞り、言葉の弾丸を解き放つ。「ヴァランディンを、使ったんじゃないの。不良を相手に」
疑問ではなく、もはや断定する口調だった。その台詞がユウトの耳に届いた瞬間、彼の表情がごく僅かだが変化する。あまりに些細な筋肉の緊張であったためにエリナは気がつかなかったが、それでも普段のユウトと比べてみれば、十分な変化だ。
「……だったらどうする」
ユウトは肯定も否定もしない。
「AMIAは、レギオンに対する兵器よ。もし人間に対して使ったのならば――」
「だったら、どうするというんだ」
エリナの言葉が終わらないうちに、ユウトは鮮烈な物言いで遮った。静寂さえ威圧感に変えて、一歩、エリナに歩み寄る。
気圧されながらも、エリナは続きを口にする。
「――もしそうなら、私は、あなたを赦さないわ」
「……ッ!」
次の瞬間には、エリナの痩躯はアパートの壁に押し付けられていた。彼女の襟をつかんだユウトが、かつて誰も――御堂ルリネさえ目にしたことのない風貌で、エリナを押さえていたのである。
「ちょっ、どういうつもり……」
抵抗して逃れようとするエリナの動きが止まる。力では敵わないと判断したのではなく、ユウトの表情が、あまりにも凄惨なものだったからだ。
名状するならば、ユウトの顔は憤激に染まっていると言える。だが、単なる怒りではない。憤怒も憎悪も包括する、深すぎる悲しみがそこにはあった。どんなに愛しい人を失ったとしても、ここまで狂ったような悲しい表情は、人間にはできまい。
腕の力を緩めてエリナを解放すると、ユウトは視線を逸らす。
「九条エリナ……お前の力は、何のためにある」
「それは……レギオンと戦って、誰かを守るために……」
「俺も、同じだ」
ユウトは人形のような瞳を、再びエリナに向ける。
「俺も、同じなんだ。ヴァランディンが狩るのは、レギオンだけだ。これは、そのための力なんだ」
「…………」
「俺を、化け物と同列に見ないでくれ」
エリナは言葉を失う。
彼女が確信していたこと――それが、ただの邪推に過ぎなかったというのか。自分のほうこそ一方的に決め付けた偽善者だというのか。
でも、とエリナは食い下がる。
「じゃあ、どうやって三人相手に?」
「――――」
「どうして答えないの? それとも、答えられない理由でもあるの?」
今度は、ユウトが答えに窮していた。固まった表情は、それ以上の追求を拒む。
「それは――」
互いに視線を絡めあう。疑念と疑心、拒絶と苦節。
明確な答えがなければ、エリナはユウトを行かせることはないだろう。かといって、ユウトが疑問に答えるつもりもないようだった。
言葉の拳銃は一方的に突きつけられたままだ。
「俺は、ただ……」
無理に言葉を搾り出そうとしたユウトが、ふと顔を明後日の方向に向けた。エリナも彼の視線を追うが、いったいどこを見ているというのか。
ユウトはいかめしく眉根を寄せて、学校の方角をひたと見据えている。
「どうしたの?」
尋ねるエリナに、ユウトは低く押し殺した声音で呟く。
「……静か過ぎる」
その言葉の通り、確かに辺りは静まり返ったように無音だった。いくら早朝とはいえ、ここは都心部だ。電車や車の音、雑踏と化した人々の環境音が決して絶えることのない土地だ。しかし、今はいかなる音も耳朶には届いてこない。まるで、世界が死に絶えてしまったかのように。
「――!」
その真意は、一秒と経たず二人の間で解される。
まず動いたのはユウトだった。
胸元を大きく開け、心臓めいたAMIAのコアを露出させる。同時に、黒く染まった鋼鉄の鎧が展開する。コアから全身にわたって、悪魔が無数の手を伸ばすように装甲は広がっていった。四肢を覆い、指先の細胞の一片に至るまで包み込んでゆく。さらに首、顎、耳殻、そして頭部へと装甲は続き、髑髏のような各センサー類が顔面を覆う。そこへもう一層、バイザーフレームが重なり、両頬には排熱装置が鎮座する。
胸の中央で血の色をしたコアが脈動。心臓が血液を全身に運び届けるように、赤いラインがヴァランディンを駆け巡る。最後に、頭部バイザーのX字センサーアイへと到達。開眼するように、そこへ赤い灯が点る。
AMIA‐GE04CX――コードネーム・ヴァランディン。
五秒と経たぬうちに展開は完了する。それを待ち構えていたように、はるか遠方から轟く雷鳴のような音があった。
ゴォォ――――――――ン……
人間狩りの第二戦開戦を告げる警鐘。
ヴァランディンの行動は早かった。全身のジェネレーターが唸る。その迫力はもはや戦闘機のエンジンだ。人間の数倍以上の膂力で、ルリネの部屋の扉をこじ開ける。この場にある物は化け物が造り出した模造品だ。誰にも文句は言われまい。
「行け」
エリナの双眸には疑念の色が濃く残っていたが、それでも首肯を返すと、ルリネの部屋へ入っていく。
ゴォォ――――――――ン
二度目の鐘は、前のものよりも大きい。
「え、エリナちゃん! いったい何が……」
「あいつらが来たのよ、ここにいると危険だわ! 急いで!」
未だ寝ぼけ眼のルリネの手を取り、エリナは部屋を出ようとする。しかし、ヴァランディンが何者かに吹き飛ばされ、部屋の中へと弾き飛ばされてきた。ダメージそのものは少ない。ヴァランディンはすぐにも立ち上がり、全身から膨大な熱を振りまきながら再び外へ向かう。
敵は既に現れていた。
一人の少女の命を懸けた戦い――その二回戦の火蓋が切られた。
■
「駄目だ、出ねぇぞ!」
耳から通信端末を離して、ケイは悪態をつく。
「もう始まっているのか――急ぐぞ!」
苛立たしげに眼鏡を押し上げたキョウカが駆け出し、ケイも彼女に続く。
二人は丁度、マンションから出勤しようとしていたところだった。キョウカの胸にあるスティンガーのコアが、彼女の脳に直接危険信号を発してきたのだ。レギオンの狩りが始まる前兆を。
敵がターゲットを狩場に引き込む際には、その人物の存在波動関数を操作することが判明していた。一時的に、対象の人物を|存在するのかしないのか分からない《、、、、、、、、、、、、、、、、》曖昧な状態に置き換えた上で、敵が造り出した狩場、すなわち別次元の模倣空間に存在を定着させる。言い換えればそれはワープと呼べる技法だが、明らかに人類の技術力を凌駕した方法だ。アニマやAMIAのような超常的な能力なのだろう。
とにかく、今回のターゲットの少女――御堂ルリネが狩場に引き込まれたことは確かなようだ。それと同時に、付近にいたエリナと、ひょっとするとユウトも狩場にいるのかもしれなかった。アニマとAMIAを使役する人間は、狩りのターゲットとなった人物の波動関数と自己のそれが自動的に同調する。意識せずとも、狩場に参加することになるのだ。
人類に与えられた救済措置か、レギオンが仕組んだゲームの道具なのか。どちらにしろ、使える力は最大限まで利用するしかない。
エリナは通信端末を持っているはずだ。日常で使用するものではなく、チームとして、対レギオンの組織として支給されたもの。その通信機能はキョウカのスティンガーを仲介するため、狩場においても使用できるはずだった。電話に出ないということは――つまり、もう戦いは始まっていると見るべきだ。
キョウカはスティンガーを展開し、先行する。AMIAの飛行装置は推進力を用いるのではなく、斥力を利用して飛行する代物。そのためにスピードは飛行機などに比べれば微々たるものだが、走るよりは幾分も速い。御堂ルリネの反応を目指し、一直線に宙を突き進む。
目的地が近くなるにつれて、轟音が聴覚センサーに捉えられる。動体索敵を開始。敵戦力の分析を進めると共に、有効な作戦プランを過去のデータから算出する。
『……なんだ……?』
レーダーが捕捉した敵の数が多い。先日の妖蟲人のようなサイズではなく、人間大のレギオンが一〇体以上、アパートの周りを取り囲んでいた。そして少し離れたところに、巨大な二つの敵影と、さらに大きな影が――
『いや、これは――』
それはひとつの影ではない。無数のレギオンの集合体だ。
戦慄がキョウカの脳裏に走る。
そして次第に明らかになってゆく、戦場の姿。
「キョウカさん!」
『エリナ!』
ホワイトスネアが作り出すネットに、猛然と突進する人影。黒い外套を羽織ったその後姿は、人間のものと変わりがなかった。だが、ネットに裁断された腕から流れ出るのは、血液でなく桃色がかった白濁液だ。どろりと粘性が高く、切り裂かれてもなお動きを止めていない。
急降下と同時に、単分子刺突剣を振り下ろす。Z字に剣先を巡らせ、最後に頭部への一突きを加える。外套もろとも化け物は崩れ落ちた。
スティンガーの背後から、さらに敵影は迫る。振り向きざまに斬りかかるが、敵の顔面を見てキョウカは動きを鈍らせた。
マスクだ。顔面を覆っているのは、鳥の嘴を模した奇怪な面。かつて中世のヨーロッパで黒死病が流行した際に、医者が着用していたものだ。どういうわけか、レギオンがその防菌マスクをつけている。
軽い恐怖を抱きながらも、スティンガーは単分子刺突剣を見舞う。いとも容易く敵は斬られたが、しかし動きは止まらなかった。右腕を失いながらもマスクをスティンガーへと向けて掴みかかってくる。痛覚がないのか。そして皮膚の下にはどろどろとした液体しか通ってないことから、おそらく急所というものもないのだろう。徹底的に解体しなければ動きは止まらないらしい。
さらに厄介なことに、その体液は強力な酸のようだ。アパートの壁面やエリナのネット、スティンガーの剣に至るまでが、体液によって溶解しかかっている。
ただでさえ面倒な敵だというのに、辺りには一〇を超える影がある。ルリネを挟んで護衛に専念しているエリナとヴァランディンも、この執拗な手合いに苦戦していた。嘴の仮面だけではない。口ひげと笑みを湛えたガイ・フォークスの仮面。イタリアのカーニヴァルで愛用される装飾華美な仮面。とにかく多彩な仮面たち。骨格もないのに、人の形を取り、人のように動く、生命に対する冒涜の陶人器。
いったいどこから湧いて出るのか――答えは明白だ。
アパートの隣には、同じような建物が続いているはずだった。だが、今は更地になっている。建造物の代わりに佇立しているのは二体の巨人と、彼らに護衛されている一基の大砲。植物を連想させる外見の大砲は、花弁のような砲口から砲弾を発射する。その砲弾とは、白色の大きな球体――卵だ。着弾と同時に、中から外套を羽織った陶人器が這い出てくる。レーダーに映った巨大な反応とは、無尽蔵に卵を内包した大砲だったのか……!
エリナ一人では大量の陶人器は手に余る。やむなくヴァランディンも防戦に回っていた。スティンガーがヴァランディンのバックアップにあたると、黒のAMIAはアパートの廊下から飛び降りる。
『なかなか息があっているじゃないか』
皮肉交じりにユウトに言い放つ。
『遅い』
ユウトは取り合う気などないようだった。あまつさえ、背部ジェネレーターの出力を上昇させ、血で編んだような流動性の翼膜を広げる。あたかもマントのようなそれは、スティンガーの斥力推進機関を上回る出力のようだ。
『まったく……君という人間は』
挑発を挑発で返すユウトに、キョウカはもはや感嘆さえ覚えていた。
■
To be continued.




