第9話 この町の力になりたい
朝、マイナの店の前には、行列ができていた。
まだ店も開いていないのに、竜の頭蓋骨の下から、通りの角まで人が並んでいる。
「……何ですか、これ」
「あんたのたいまつさ」
マイナが、腕を組んで笑った。
「昨日買った連中が、夜通し燃えたって触れ回ったんだよ。朝には町中に広まってた」
夜通しは燃えていない。1.5倍、長持ちするだけだ。
列の後ろの方から、話し声が聞こえてくる。
「一晩中燃えるらしいぞ」
「いや、三日はもつって聞いた」
「なんでも、ユニコーンの角で火をつけてるとか」
話が、並んでいる間にも育っていく。口伝えというのは、本当に恐ろしい。店に着く頃には、一週間燃えることになっていそうだ。
ちなみに、ノアは今日も店の裏で葡萄を食べている。角で火をつけたことは、一度もない。
*
店が開くと、そこからは戦争だった。
たいまつを渡す。銅貨を受け取る。お釣りを返す。また次の客。
「お、お釣り、銅貨、二枚です」
「あ、ありがとう、ございました」
知らない客の相手は、相変わらず言葉が詰まる。だが、計算だけは一度も間違えなかった。客の顔を見なくても、手と頭は動く。こういうとき、ぼっちで鍛えた集中力は役に立つ。
昼前には、昨日作った分が全部なくなった。
「もっとたいまつを作らな」
「はい。でも、松脂が足りません。このままだと、明日の分も作れないと思います」
「なんだって?」
「昨日から数えてたんです。この店で一日に作れるのは、多くて三十本。でも、並んでいた人の数からすると、町では毎日、その何倍も要ります」
マイナが、目をぱちくりさせた。
「……あんた、客を数えてたのかい。お釣りを渡しながら」
「数えるのは、得意なので」
*
昼を過ぎた頃、店先に、大きな影が差した。
「マイナ!」
太い腕に、焦げた前掛け。たいまつ屋のハンスだと、マイナが小声で教えてくれた。この町で、マイナの店と並ぶ、もう一軒のたいまつを売る店らしい。
「うちの客を、根こそぎ持っていきやがって。おかげで、今朝から一本も売れてねぇ」
「客が選んだんだよ。文句があるなら、いいもん作りな」
「なんだと」
二人の声が、どんどん大きくなっていく。通りの人が、足を止め始めた。
まずい。
この時、俺が考えていたのは、町のことだった。夜が怖い家々のことだった。誰かの店を潰すことではない。
それに、さっきの計算が、まだ途中だった。
気づけば俺は、店先にしゃがみこんでいた。かまどから炭のかけらを拾って、石畳に数字を書きつける。
町の家は、ざっと二百軒。一晩に一本ずつ使うとして、毎晩二百本。マイナの店で作れるのは、一日三十本。ハンスの店も、せいぜい同じくらい。足しても、六十本。
足りない。全然、足りない。
「おい……何やってんだ、こいつ」
頭の上で、ハンスの戸惑った声がした。言い争いは、いつの間にか止まっていた。
「放っときな。この前も、うちの店先で葉っぱを一枚ずつ並べ出したんだよ。考えごとを始めると、こうなるらしい」
「怒鳴り込んできた相手の前でか」
「怒鳴り込んできた相手の前で、だよ」
二人の会話は、俺の耳には半分も入っていなかった。二百本から六十本を引いて、残りは百四十本。この町の夜は、毎晩それだけ暗いのだ。
なら、答えは一つだ。
俺は、炭で汚れた手のまま立ち上がった。
「あ、あの」
ハンスが、一歩後ずさった。それから、思い直したように、じろりとこちらを見下ろした。大きい。知らない人で、しかも怒っている。言葉が、喉で詰まりかける。
それでも、言わなければならない。
「ま、巻き方を、お教えします」
店先が、静まり返った。
「……は?」
「あんた、正気かい」
ハンスとマイナが、同時に言った。この二人が意見を揃えるのは、たぶん初めてだ。
「この店だけでは、町の分のたいまつを作れません。ハンスさんの店でも同じ巻き方をすれば、町中のたいまつが長持ちします。夜が怖い家も、減ると思うんです」
「だからって、商売敵に教えるやつがあるか。何か裏があるんだろう」
ハンスが、ずいっと一歩踏み出した。大きな体が、俺の上に影を落とす。
そのとき、店の脇から、白いものがすっと割りこんできた。
ノアだった。
裏で葡萄を食べていたはずなのに、いつの間に。
ノアは、俺とハンスの間に立つと、じっとハンスを見上げた。
「ユ、ユニコーン……」
ハンスの顔が、引きつる。町の噂を、この人も聞いているのだろう。
ノアは、しばらくハンスを見つめていた。それから、前脚を折って、深々と頭を下げた。
店先が、しんと静まる。
「……こいつ、頭下げやがった」
ハンスの声から、すっと力が抜けた。
「俺ぁ、ガキの頃、親父の荷馬の世話をしてたんだ。礼儀のある馬に、悪いやつはいねぇ。親父の口癖だった」
大きな手が、おそるおそるノアに伸びる。
ノアは、ぷいっと顔を背けた。
「……触らせちゃくれねぇのかよ」
ハンスが、心底残念そうな顔をした。
この人、たぶん、ものすごく動物が好きだ。
ハンスは、がしがしと頭を掻いてから、俺に向き直った。さっきまでの怒鳴り声は、もうどこにもない。
「代わりに、十本売れるごとに、銅貨を一枚、マイナさんの店に払ってもらえませんか。巻き方を考えた分の、お礼として」
ハンスが、口を開けたまま固まった。
マイナは、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと俺を振り返った。
「……あんた、自分が何を言ってるか、わかってるかい」
「は、はい。喧嘩をしないで済む方法を」
「違うよ」
マイナは、額に手を当てた。
「手も動かさず、材料も使わずに、町中のたいまつから銭が入ってくる。そういう話をしてるんだよ、あんたは」
え。
そうなのか。
言われてみれば、そうだ。発明した者が、使った者からお礼を受け取る。現実の歴史でいえば、特許だ。
1474年、ヴェネツィア共和国で、世界で初めて法律になった仕組みである。
つまり俺は今、この世界で、少しばかり時代を先取りしてしまったのかもしれない。
喧嘩を止めたかっただけなのに。
「とんでもない坊やだよ、まったく」
ハンスが、がしがしと頭を掻いた。
「……十本で、銅貨一枚だな」
「は、はい」
「教えろ。今すぐだ」
*
巻き方を教え終える頃には、市を閉める鐘が三つ鳴っていた。通りで見ていた人たちが、ひそひそと話している。
「商売敵に、作り方を教えちまったよ」
「普通、隠すだろう」
「欲がないのか、頭がいいのか」
「両方だろうさ」
店の裏に回ると、ノアが待っていた。鼻先を、こつん、と胸に当ててくる。
「疲れたよ、ノア」
ノアは、首を傾げてから、残っていた葡萄を一粒、俺の手のひらに落とした。
くれるらしい。
*
その夜。
結局、「今夜だけ」のはずだった馬小屋が、そのまま俺の寝床になっている。ノアが、部屋の窓の下で鳴き続けるからだ。藁の上で、ノアの寝息を聞きながら、考えていた。
松脂は、このままでは足りない。遠くの森から、まとめて買い付ければいい。だが、一軒の店の金では、とても無理だ。なら、町中から、少しずつお金を集めたらどうだろう。
頭の中で、世界史の教科書がめくれた。1602年、オランダ東インド会社。大勢から少しずつお金を集めて大きな商売をし、儲けが出たら、出したお金に応じて配る。世界で最初の株式会社と言われている。
「ゼノさん、まだ起きていらっしゃいます?」
小屋の入口から、ラフィが顔を出した。手には、毛布を抱えている。
「夜は冷えますもの。ノアさんの分も」
毛布を受け取りながら、俺は、考えていたことを話した。松脂が足りないこと。遠くの森から買い付けたいこと。そのために、町の人から少しずつお金を集められないか、ということ。
ラフィは、黙って最後まで聞いてくれた。
「お金を出した方には、儲けが出たら、出した分に応じてお返しするんです。だから、損をさせないように、俺が頑張らないといけないんですけど」
「まあ」
ラフィは、少し考えてから、エプロンのポケットを探った。小さな布袋が、俺の手のひらに置かれた。中で、銅貨がちゃりんと鳴る。
「では、わたくしが一番目ですわね」
「え。いや、これは、ラフィさんの」
「少しずつ、貯めていたお金ですの。何に使おうか、ずっと決められなくて」
ラフィは、ふわりと笑った。
「町の夜が明るくなるのなら、それがいちばん素敵な使い道ですわ」
布袋は、軽かった。銅貨が、たぶん七、八枚。
それなのに、手のひらが、ずしりと重かった。
十八年間、誰かに何かを託されたことは、一度もなかった。
俺は小屋を出て、教会の庭から、町を見下ろした。
家々の戸口に、たいまつの火が灯っている。いつもなら、夜が更けるにつれて一つ、また一つと消えていく火だ。
今夜は、なかなか消えなかった。
ほんの少しだけ。
この町の夜が、明るくなった気がした。




