第8話 「ここで働かせてください」
目を開けると、白い顔があった。近い。鼻先が、俺の鼻先にくっつきそうな距離だ。
ノアだった。
こつん。
朝の挨拶、らしい。
「おはようございます、ゼノさん。よく眠れまして?」
小屋の入口から、ラフィが顔を出した。そして、くすりと笑う。
「髪に、藁がたくさん」
慌てて頭をはたく。ばさばさと藁が落ちてきた。ノアが、それを一本くわえて、もぐもぐ食べ始める。
異世界に来て四日目。俺の朝は、ユニコーンの鼻息と、藁まみれの頭から始まった。
*
藁を払いながら、俺は考えていた。いつまでも、ラフィの厚意に甘えているわけにはいかない。部屋を借り、食事をもらい、昨日からはノアの寝床まで用意してもらっている。
働かなければ。
当てはある。たった一人、俺の話をまともに聞いてくれた商人だ。
「ノア、ここで待っててくれ」
教会の門を出る。
かぽ、かぽ。
振り返ると、ノアがついてきていた。
「待っててくれ、って言ったよな」
ノアは、首をかしげた。それから、俺の背中に回りこんで、定位置に収まった。言葉が通じないのか、通じた上で無視しているのか。後者な気がする。
*
市場に入った途端、人々がさっと左右に分かれた。
「ユニコーンだ……」
「目を合わせるんじゃないよ」
人混みが苦手な俺のために、道を空けてくれるのはありがたい。理由が、背中のユニコーンでなければ。
竜の頭蓋骨の下で、マイナは、いつものように腕を組んでいた。
「おや、噂の坊やと――」
マイナの目が、ノアに止まる。
一拍。
「へえ。こりゃ、べっぴんさんだ」
怖がらない。この町に来て、ノアを見て最初に出てきた言葉が「べっぴんさん」の人は、初めてだった。
俺は、大きく息を吸った。
ここに来るまでの道で、二十回は練習した。
「ここで、働かせてください」
言えた。二十回の練習は、無駄ではなかった。
不思議なことに、マイナが相手だと、言葉がつかえない。この人は、こちらが言い終わるまで、ちゃんと待ってくれるのだ。
マイナは、きょとんとしてから、豪快に笑った。
「なんだい、改まって。そのつもりで来たんだと思ってたよ」
「え」
「あんたのたいまつの話、まだ聞いてないからね。うまくいったんだろう? 顔に書いてある」
どうやら、俺の顔は、口よりよほどおしゃべりらしい。
「それと、その子は裏に回しな。店先にいたら、客が逃げちまう」
*
店の裏手は、小さな空き地になっていた。木箱が積まれていて、表の通りからは見えない。
「ほら、お食べ」
マイナが、かごいっぱいの葡萄を置いた。売り物にならない、少し傷のついた房だ。ノアは、マイナの手からは受け取らなかった。俺の後ろから、じっと葡萄を見ている。
「……あたしからは、嫌だってのかい」
俺が一粒つまんで差し出すと、ノアは嬉しそうに口に入れた。それから、自分でかごに首を突っこんで、ぱくぱくと食べ始める。ひとしきり食べ終えると、ノアはマイナの前に進み出た。そして、前脚を折って、深々と頭を下げた。
「……おや」
マイナが、目を丸くする。
「触らせちゃくれないくせに、礼儀だけは一人前だね」
そう言いながら、マイナの口元は、ゆるんでいた。
*
店先に戻って、たいまつを一本手に取る。
「ここを、こうやって、きつく巻き直すんです。隙間がなくなると、風が入りすぎなくて、ゆっくり燃えるので」
巻いてみせる。くるくる、ぎゅっ。それだけだ。
マイナは、しばらく黙って、それを見ていた。
「……あんた、やっぱり天才だよ」
「いえ、巻き方を変えただけですよ」
「それを、誰も思いつかなかったんだよ。あたしは三十年、たいまつを売ってきた。それでも、一度も考えたことがなかった」
マイナは、自分の手で一本巻き直して、しげしげと眺めた。
「同じ材料で、長持ちする。こんな簡単なことがねぇ」
簡単なことだ。中学生でも知っている。だが、それを知る機会がなかった人にとって、簡単なことは、魔法と同じに見えるのかもしれない。
*
昼を過ぎた頃、通りの向こうから、ラフィが駆けてきた。
「ゼノさん! 教会のお務めが終わりましたので、お手伝いに参りましたわ」
「いや、そんな、悪いですよ」
「わたくしがしたいのです」
きっぱり言われると、断れない。たぶん一生、ラフィには口で勝てない。
ラフィは、慣れた手つきで前掛けをつけると、店先に立った。
「いらっしゃいませ。新しいたいまつですわ。同じお値段で、長く燃えますの」
通りかかった男が、足を止める。
「長く燃えるだって? 本当かい」
「ええ。わたくしの家では、もう試しましたもの」
教会の娘の言葉には、重みがあるらしい。男は、首をかしげながらも、一本買っていった。それを見ていた女が、また一本。その隣の男が、二本。
「お、お釣りが、銅貨、三枚です」
俺の担当は、お金の受け渡しだった。客と目を合わせずにできる、唯一の仕事である。計算だけは、誰よりも速かった。
「坊や、勘定が早いねぇ。指も使わずに」
客の一人が、感心したように言った。
ただの引き算だ。小学二年生で習う。それでも、相手は目を丸くしている。この町では、指を使わずに計算する人間は、珍しいらしい。
気づけば、店の前には、ちょっとした人だかりができていた。ノアの噂で避けられていたはずの俺の前に、今は、たいまつを求める列が並んでいる。
「坊や」
積み上げたたいまつが、どんどん減っていくのを眺めながら、マイナが笑った。
「明日から、あんたの仕事は山ほどあるよ」
店の裏で、ノアが、満足そうに鼻を鳴らした。
異世界に来て四日目。
俺は、生まれて初めて、働き口を手に入れた。




