第3話 金髪の好青年になっていたが、中身は会話が三秒で終わる男のままです
何をしようか。
とりあえず、自分を知らなければならない。俺は何者なのか。名前や年齢、容姿など、自分を表すものを理解しなければならないはずだ。
異世界へ転生して十分後、俺は妙に冷静だった。 死後の世界へ行ったからだろうか。空想の世界だけだと思っていた閻魔大王と会ったからだろうか。 ここに降り立ってからも、俺は平常心を保ち続けていた。
そして、その足で、教会らしき所まで歩いた。
「……御免ください。どなたかいますか?」
重い扉を開き、俺はやけに西欧染みた家屋に入った。
「あら、いらっしゃいませ。ええっと、初めて見る方ですわね」
見上げると、茶色の髪を布で覆った、いかにも育ちの良さそうな女性が話しかけてきた。
女性だ。
平常心が、音を立てて崩れた。
冷静だったのは、周りに誰もいなかったからだ。閻魔大王と話すより、見知らぬ女性と話す方が、俺には遥かに難易度が高い。
「あ、えっと、その……」
十八年の経験が告げている。この会話は、あと三秒で終わる。視線を落とすと、自分の手が見えた。
白い。指が長い。見覚えがない。
視界の端で、何かが揺れた。前髪だ。つまんで、目の前に持ってくる。
金色だった。
「……え」
「どうかなさいました?」
「い、いえ。その、ちょっと、水を……」
入口の脇に、水を張った石の鉢があった。頼む、と祈りながら覗き込む。
そこに映っていたのは、見知らぬ少年だった。
金色の髪。澄んだ青い目。すっと通った鼻筋。年は、十七くらいだろうか。
どこからどう見ても、好青年である。
……誰だ、こいつ。
十八年間、鏡の中にいたのは、目の下にクマのある猫背の男だった。それが、爽やか属性に変わっている。閻魔大王の特例処理は、見た目まで含まれていたらしい。
先ほどから声が高いと思っていたが、気のせいではなかった。顔は好青年。声も好青年。中身は、会話が続かない男。
詐欺である。
「すみません、お、お待たせしました」
「いえ。それより、お顔の色が優れないようですが……お名前を伺ってもよろしいですか?」
名前。
反射で、口が動いた。
「み、御門、ぜ――」
そこで、止まった。
この金髪青目で、御門膳。どう考えても、おかしい。
「ぜ、ぜ……」
喉が固まった。いつもの渋滞だ。出口で、「ぜ」だけが詰まっている。
「ゼ……ノ? ゼノさん、ですのね」
女性が、ぱっと顔を明るくした。
違う、と言いかけた。空耳でそう聞こえたのだろうか。ただ、違うと言えなかった。
「えっと、そうです……ゼノと申します」
こうして俺の異世界での名前は、聞き間違いで決まった。
「まあ、とても素敵なお名前ですわね。何か由来はありますの?」
……え。
由来?
そんな無茶振りが来るとは思わなかった。名前の由来を聞く人間が、この世にいるのか。いや、目の前にいた。
まずい。何か面白いことを言わなければ、会話が終わる。
俺は、今まで頭に叩き込んできた知識を総動員した。
ゼノ。ギリシャ語の「xeno」。意味は、異なるもの、外から来たもの。ついでに、異世界から来た人、という意味合いもあるらしい。
いや、それ。今の俺そのものじゃないか。
ただ、ギリシャ語と言っても通じないだろう。この世界にギリシャという国があるのかも怪しい。
つまり、出典は検証不能。言った者勝ちである。
「え、えーっと……母が、ですね」
この世界には存在しない母を、勝手に創作する。
「新しいことを始めるのが、好きな人でして。ゼノというのは、遠い国の古い言葉で、外から来る人、新しい風を運ぶ人、みたいな意味でして」
まだ喋っている。止まらない。
「柔軟でいてほしいというか、何かの分野で、始祖になれるような人であってほしい、という意味合いで……」
語尾が、消えた。
長い。三十秒は喋った。自己新記録である。
沈黙が落ちた。
やってしまった。変な人だと思われた。絶対にそう思われたに違いない。あと三秒で会話が終わってしまう。
「……まあ」
女性が、両手を胸の前で合わせた。目が、きらきらしている。
「なんて素敵なお母様でしょう。お名前に、そんな願いを込めていらっしゃるなんて」
……え。
「新しい風を運ぶ人。始まりの人。とても素敵な由来ですわね。」
この人は存在しない母の願いを一ミリも疑っていない。
罪悪感が、胸をちくりと刺した。ごく軽く。
「あ、ありがとう、ございます」
せっかくのチャンスだ。会話を続けなければ。
「あ、あの……お名前を、教えて、ください」
言えた。
女性の名前を自分から聞く。生前の俺なら、一生に一度もない偉業である。
「まあ、申し遅れました。ラファエラと申します。この教会の娘ですの」
ラファエラが、ふわりと微笑んだ。
「ラフィ、と呼ばれることが多いですわ」
「ラ、ラフィ……さん」
声が裏返った。呼んだだけで、心拍数が上がっている。
「ふふ。ところでゼノさんは、どちらにお住まいですの?」
来た。
正直に答えるしかない。
「い、家は、ないんです」
「まあ」
「えっと、遠い国から来まして。着いたばかりで。お金も、泊まるところも、その、全部」
ラファエラが、きょとんと目を瞬かせた。そして、にっこり笑った。
「でしたら、ここにお住まいになればよろしいのでは?」
「……え?」
「教会は、行き場のない方のための場所ですもの。それに、ここはわたくしの家でもありますから、遠慮はいりませんわ」
あまりにあっさり言われて、返事ができなかった。
見ず知らずの男を、家に泊める。それも、何の見返りもなく。
裏がある。そう疑うのが、俺の悪い癖だ。
だが、彼女の笑顔には、疑う余地が見つからなかった。
「そういえば、ゼノさんはおいくつですの?」
「じゅ、十七です」
言い切った。
ついさっき、水鏡で見たばかりの年齢である。自分の年齢を鏡で知る男は、そういないだろう。だが、「くらい」と答えるより、よほど自然だ。中身は十八なので、一年、若返ったくらいだ。問題ないだろう。
「まあ。わたくしと同じくらいですのね」
ラファエラは、嬉しそうに笑った。
こうして、初対面の女性の家に住むことになった。生前の俺に伝えたら、卒倒するだろう。
*
通された部屋は、小さかった。
板張りの床に、藁を詰めたベッドが一つ。木の机が一つ。窓は、ガラスではなく木の板で、自分で押し上げて開けるタイプである。
ここが、俺の異世界での、最初の自室らしい。
ラファエラは「夕食になったら呼びますわね」と言い残して、去っていった。
ようやく一人になった。
……さて。
状況を整理しよう。持ち物はない。金もない。知り合いは、さっき会った一人だけ。そして、ここがどこで、いつなのかも、まだ知らない。
情報がなければ、何も決められない。
俺は部屋を出て、廊下を歩くラファエラを呼び止めた。
「あ、あの、ラフィさん」
「はい?」
「ここは、何という国でしょうか」
さりげなく聞こう、と決めていた。
一行目から、直球だった。
「まあ。ゼノさんは本当に、遠くからいらしたのですね」
ラファエラは気にした様子もなく、微笑んだ。
「ここはコーセナ王国の東の端、ミルフォードという小さな町ですわ」
知らない地名である。当然だが。
「お、お金は、その、銀貨とか、銅貨とか……」
「ええ。銀貨一枚で、銅貨二十枚と同じ価値ですの。パンは一つ、銅貨一枚ですわ」
「そ、そうですか。あと、今は、何年、でしたっけ」
「王国暦で、三百十二年ですわ」
三百十二年。
聞いたことのない暦である。
ただ、荘園があって、教会があって、銀貨と銅貨で取引をする。頭の中で、本のページがめくれた。
俺が図書館で読んでいた中世に、よく似ている。
「それから、ゼノさん」
ラファエラが、ふと窓の方を見た。
「日が暮れたら、決して外に出てはいけませんわよ」
「暮れたら、ですか」
「ええ。夜になると、出ますの」
「……何が、ですか」
「吸血鬼ですわ」
さらりと言われた。
「ユニコーンの姿で、近づいてくるのだそうです。美しい獣のふりをして、油断した人の血を吸うのだとか。火に弱くて、日が出ている間は現れませんけれど、日暮れになると出てくると言われています」
「だから、日が落ちたら、誰も家から出ませんの」
吸血鬼。ユニコーン。
……不便だぞ、とは言われた。電気がない、水道がない、トイレはその辺。
吸血鬼がいるとは、聞いていない。
あの部下、肝心なところを言っていない。
*
夕暮れが近づくと、町の様子が一変した。
通りを歩いていた人々が、いっせいに家へ戻っていく。扉が閉まり、鍵がかかる音が、あちこちから聞こえた。
やがて、窓の外は暗くなった。
街灯はない。電気もない。ぽつぽつと、家々の戸口にたいまつの火が灯っているだけだ。
その小さな火のおかげで、真っ暗にはならない。
……火は、命綱なのだ。
窓の外を見ながら、俺は考えた。
……金が、要る。
金が欲しいわけではない。贅沢がしたいわけでもない。十八年間、机に向かい続けた男に、そんな欲望はない。
ただ、腹は減る。
ラファエラの厚意に甘えて泊めてもらっているが、いつまでも居候というわけにはいかない。無一文のまま、他人の家で飯を食う。それは、俺の胃に、地味に悪い。
生きていくためには、稼がなければならない。
では、何で。
持っているのは、頭の中の知識だけだ。
窓の外では、たいまつの火が、ちらちらと揺れていた。
太くて、煙が多い。見ているうちに、火が弱くなってきた。向かいの家の人が、慌てて新しいものに取り替えている。
夜の間、誰も外に出られない。火が消えれば、命に関わる。それなのに、あの火は、すぐに弱る。
……待てよ。
命綱の火。みんなが必要としていて、でも、足りていない。
火を、もっとうまく使えたら。
それは、商売になるのではないか。
……いや。
まだ、何もわからない。この町のことも、相場も、仕組みも。
とりあえず、明日。調べてみよう。
どうやら俺は、異世界に来ても、まずは「調べる」ところから始めるらしい。




