第72話:リュミエールへ
翌日、白棟の自習室でリュミエールと報告書の作業をしていた。
追加の実証報告書だ。審査委員会から求められた追加実証を、一か月以内に提出する必要がある。リュミエールの計測記録の追加分、レイドとソレルの実績の記述、ギルドでの修復案件の記録。それぞれを整理して、報告書にまとめていく。
作業の途中で、リュミエールが顔を上げた。
「最近、工房への訪問が増えていますね。」
「記録陣式の解読が進んでいたので。」
「解読が終わりましたか。」
「はい。先日、最後の符号の意味が分かりました。」
リュミエールが筆を置いた。
「話してもらえますか。」
アルノーは少し考えた。
ヴェラへの約束は、解読内容を広める前に慎重に考えることだった。ただし、リュミエールは報告書を一緒に作っている。均整理論の追加実証に関わる内容であれば、話す必要がある。
「報告書に関連する部分を話します。」
「それで構いません。」
アルノーは解読の内容の核心を話した。
均整と流れの原則が同じ根を持つこと。完全な対称は存在しないこと。歪みが均整を生むこと。
リュミエールが黙って聞いていた。
「歪みが均整を生む。」リュミエールが繰り返した。「それが、三百年前から記録されていた。」
「はい。」
「王立が排除した理由も、分かりましたか。」
「対称を絶対とする体系にとって、歪みを認めることは体系の根幹を否定することになるからだと思います。」
リュミエールが自分の手元にある陣式の設計図を見た。白棟の伝統的な、美しい対称形だ。
「この美しさは、歪みを隠すことで成り立っている……ということですね。」
「隠しているだけで、存在しないわけではありません。隠された歪みが蓄積し、やがて均衡を崩す。それが、陣式の暴走や劣化の正体です。」
「認めることで、制御する。」
「そうです。排除ではなく、共存です。」
「それが均整理論の正体なのですね。」リュミエールが言った。
「正体というより、観測された事実です。」
「あなたは、その事実を王立に突きつけようとしている。」
「突きつけるつもりはありません。ただ、事実を報告書に書くだけです。それをどう扱うかは、委員会が決めます。」
「……あなたは強いですね。あるいは、無機質なのか。」
「どちらでもありません。ただ、正しい情報を出力したいだけです。」
「それがあなたにとっての均整を生んだ。」リュミエールが言った。「私の陣式で、それが起きた。」
「そうです。」
リュミエールが窓の外を見た。
中庭に、白棟の生徒たちが見える。完璧な対称形の陣式を展開している。均等に光っている。
「あの陣式にも、歪みがある。」リュミエールが言った。
「あります。」
「今まで見えなかった。今は見える。」リュミエールが窓から視線を戻した。「あなたと話し始めてから、見えるものが変わりました。」
「そうですか。」
「変わったのは、見え方だけではありません。」リュミエールが続けた。「何かを認めることへの——抵抗が、少し変わりました。最初にあなたに歪みを指摘されたとき、認めたくなかった。今は、歪みがあることを認める方が、先に進めると思っています。」
「歪みを認めることが、均整への第一歩です。」
「あなたが最初に言っていたことの意味が、今ようやく分かります。」リュミエールは言った。「三百年前の記録が、それを証明していた。」
アルノーは報告書の作業を再開した。
「追加報告書に、均整と流れの原則の繋がりを含めます。ただし、王立の体系への批判は含めません。段階的に。」
「賢明です。」リュミエールが作業を再開しながら言った。「一度に全部を変えようとすると、抵抗が大きくなります。」
「歪みの方向を制御するように。」
「そうですね。」リュミエールが小さく笑った。「あなたの理論は、報告書の書き方にも応用できますね。」
「そうかもしれません。」
しばらく二人で作業を続けた。
リュミエールが追加の計測記録を整理し、アルノーが理論的な記述を調整していく。
二人の間には、以前のような壁はもうなかった。




