第65話:修繕
オーリンの家は、北区画の路地の奥にあった。
石造りの小さな家で、外壁が変色している。窓枠が古く、扉の蝶番が錆びている。ただし、周囲の廃れた建物と比べると、手入れの跡がある。長年、自分で修繕してきたのだろう。
アルノーが扉をノックすると、しばらくして中から「誰だ」という声がした。
「アルノー・ヴァレリウスです。ヴェラさんに紹介してもらいました。」
間があった。
扉が開いた。
白髪で、背が低い老人が立っていた。九十三歳という年齢の割に、目が鋭い。アルノーを頭から足まで見てから、「学生か」と言った。
「はい。」
「若いな。」オーリンが言った。「ヴェラから聞いた。壁画の符号を解読したいそうだな。」
「はい。」
「まず屋根を見ろ。話はその後だ。」
オーリンが家の裏に回った。アルノーが続けた。
裏に回ると、屋根の状態が見えた。石板を重ねた屋根で、右端の石板が三枚、ずれていた。そこから雨水が入る。修繕としては単純な作業だ。
アルノーは工房から借りてきた道具を確認した。
石板を元の位置に戻して、目地を詰める。魔法陣は使わなくていい。単純な物理的な作業だ。
「登っていいですか。」
「気をつけろ。」
はしごを借りて、屋根に登った。
ずれた石板を確認した。ずれの方向は南西だ。風向きの影響で、完全にずれるまでに以前より時間がかかります。三年以上はもつと思います。」
「前回直してもらったときは、二年でずれた。」
「石板の接触面を固定したので、今回は違います。」
オーリンがしばらく屋根を見ていた。
「入れ。」
家の中に通された。
小さな部屋だった。家具が少ない。長椅子と、机と、棚だけだ。棚には、古い記録紙と道具が並んでいた。壁に、いくつかの符号が刻まれていた。
アルノーはその符号を観測した。
刻まれた符号の中に、壁画の未解読の三つの符号のうち、二つと似たものがあった。
「お茶を飲むか。」
「ありがとうございます。」
オーリンが台所に向かった。アルノーは長椅子に座って、壁の符号を記録した。
お茶が来た Lights。
オーリンが向かいに座った。
「符号を見ていたな。」
「はい。壁画で見た符号と、似ているものがありました。」
「どれだ。」
アルノーが写しを取り出して、未解読の三つの符号を指した。
オーリンが写しを受け取った。
老人の目が、符号の上で止まった。
「……これは。」オーリンが言った。声のトーンが、少し変わった。
「知っていますか。」
「二つは知っている。」オーリンが写しを返した。「一つは知らない。」
「知っている二つは、何という意味ですか。」
オーリンがしばらく黙った。
「祖父から聞いた言葉で言えば——一つは『根』、もう一つは『源』だ。」
「根と源。」
「正確な意味は分からない。ただし——祖父はこの二つの符号について、こう言っていた。『流れが生まれる場所であり、流れが還る場所だ』とな。」
アルノーは言葉を反芻した。
流れが生まれ、還る場所。
「もう一つの知らない符号については。」
「それは見たことがない。だが……形から推測するに、これは人ではない何かの『意志』を示しているように見える。」
オーリンの鋭い目がアルノーを捉えた。
「お前は、これを知ってどうするつもりだ。」
アルノーはまっすぐに老人の目を見返した。
「三百年前の記録を、正しく読みたいだけです。そこに何が残されているのか、観測したいのです。」
オーリンが鼻を鳴らした。
「学問か。それとも好奇心か。」
「その両方です。」
「……ふん。いいだろう。お前が屋根を直した礼だ。俺が知っていることはすべて話してやる。」
そこから、老人の長い語りが始まった。三百年前から途切れることなく受け継がれてきた、密やかな「流れ」の物語が。




