第63話:口伝
ヴェラに連絡を入れたのは、翌日だった。
アルデンを通じて伝えると、ヴェラはその日の夕方に工房に来た。
アルノーが壁画の写しを見せて、未解読の三つの符号を指した。
「この三つが解読できません。師匠の記録にも載っていない符号です。旧市街の古い住人の中に、口伝として知っている人間がいる可能性があると、アルデンから聞きました。」
ヴェラが写しを確認した。
三つの符号を見て、少し間を置いた。
「……見たことがある。」
アルノーは少し驚いた。
「ヴェラが知っていますか。」
「知っているというより——見たことがある、という方が正確だ。」ヴェラが言った。「旧市街の北区画に、長年住んでいる老人がいる。九十代だ。その老人の家の壁に、この符号と似たものが刻まれていた。子供の頃に見た。」
「その老人は、符号の意味を知っていますか。」
「分からない。ただし——その老人は、旧市街の古い言い伝えを多く知っている。北区画の壁画の話も、その老人から聞いた。」
アルノーはアルデンを見た。アルデンが頷いた。
「会えますか。」
「会えるかどうかは、老人が決める。」ヴェラが言った。「私が話を通すことはできる。ただし、気難しい人物だ。会ってくれるかどうかは分からない。」
「試してみてください。」
「何のために会いたいか、正直に伝えた方がいい。あの老人は嘘を嫌う。」
「壁画の符号を解読したい。三百年前の流れの原則の記録を読みたい。そのために、老人の知識を借りたい、と伝えてください。」
ヴェラが頷いた。
「その老人は、祖父から聞いたと言っていた。」
アルノーは整理した。
九十代の老人。祖父から流れの原則を聞いた。符号を知っている可能性がある。
「いつ話を通せますか。」
「明日、会いに行ってみる。返事は明後日になるかもしれない。」
「分かりました。」
ヴェラが帰った後、アルデンが言った。
「九十代の老人が、祖父から流れの原則を聞いた。その祖父は——百年以上前に生きていた人間だ。」
「三百年前の流派と、直接の繋がりはありませんが——断片的に口伝が続いていた可能性があります。」
「三百年間、細々と続いてきた。」アルデンが言った。「王立が排除しても、完全には消えなかった。」
「歪みの方向が決まっていれば、流れは止まらない。」
アルデンが短く笑った。
「お前の理論みたいだな。」
翌日の放課後、アルノーは裏庭でレイドとソレルに状況を話した。
レイドが聞き終えて言った。
「九十代の老人か。元気な人なのか。」
「分かりません。ヴェラが会いに行っています。」
「会ってくれるといいな。」レイドが続けた。「なんか、この話——どんどん大きくなっていくな。最初は陣式の修復から始まったのに。」
「そうですね。」
「均整理論が審査を通って、記録陣式が見つかって、壁画があって、九十代の老人がいる。全部繋がっている。」
「繋がっています。」
「お前は最初から、こういう展開を予想していたのか。」
「していませんでした。」
「やっぱり。」レイドが笑った。「お前でも予想できないことがあるんだな。」
「先のことは、観測してからしか分かりません。」
ソレルが静かに言った。
「その老人のところには、私も行けますか。」
「ヴェラの返事次第です。でも、多くの人間が押し寄せるのは良くないかもしれません。」
ソレルが少し寂しそうに耳を動かした。
「分かった。アルノーが行って、聴いてきてほしい。その老人が持っている、古い音を。」
「最善を尽くします。」
アルノーは空を見上げた。
月は少しずつ、その姿を大きく変えようとしていた。




