第55話:訪問者
約束の日、工房に着くと扉が少し開いていた。
中から声が聞こえた。アルデンの声と、もう一つの声。アルノーが扉を押して入ると、二人が作業台の前に立っていた。
もう一人は、女性だった。
三十代と思われる。背が高く、髪を短く切っている。商人のような服を着ているが、動きが商人らしくない。静止しているときの重心の置き方が、訓練された人間のものだ。
アルデンが振り返った。
「来たか。紹介する。ヴェラだ」
女性がアルノーを見た。品定めするような目だったが、敵意はない。
「アルノー・ヴァレリウス。話は聞いている」ヴェラが言った。声が低く、落ち着いている。
「初めまして」
「座れ。長くなる」
三人で作業台を囲んで座った。
「ヴェラは、この工房に十年以上出入りしている」アルデンが言った。「旧市街を中心に、王立の目が届かない場所で動いている人間だ」
「王立の目が届かない場所」アルノーが繰り返した。
「悪いことはしていない」ヴェラが言った。「ただし、王立が認めないものを扱っている」
「どういうものですか」
「王立が捨てた技術、王立が隠した記録、王立が存在を認めない物品」ヴェラは続けた。「アルデンの工房と似たようなものだ。ただし、私は売買もする」
「売買」
「必要としている人間と、持っている人間を繋ぐ。それが仕事だ」
アルノーはヴェラを観測した。
動きに無駄がない。視線の動かし方も、周囲の状況を常に把握しようとするプロの動きだ。
「アルデンから、均整理論の審査の話を聞いた」ヴェラが言った。「王立の学園が正式に認めた、というのは驚きだ」
「完全な認定ではありません。一時停止が解除されただけです」
「それでも十分だ」ヴェラが言った。「ただし、知っておいてほしいことがある」
「何ですか」
「均整理論に、すでに興味を持っている勢力がある。王立の貴族派閥だけではなく、王立の外の勢力も」
「王立の外」
「帝国、獣人の国、そして——裏社会」ヴェラが言った。「私のような人間が扱う情報の中に、あなたの理論の話が入り始めている」
アルノーはその情報を頭の中に入れた。
帝国。セインが独り言で言っていた言葉だ。
「帝国が、均整理論に興味を持っているということですか」
「そう聞こえているということだ。確認はしていない」ヴェラは言った。「ただし、審査の結果が出た翌日に、帝国側と繋がりがある人間から問い合わせが来た。均整理論の詳細を知りたいという問い合わせだ」
「私に教えることができますか」
「問い合わせてきた人間の名前は教えられない。ただし——」ヴェラが少し間を置いた。「その人間は、あなたの近くにいると思う」
アルノーは少し考えた。
帝国と繋がりがある人間。アルノーの近くにいる。
セインだ、とアルノーは思った。
「一つ聞いてもいいですか」
「何だ」
「旧市街の地下通路の壁に、古い陣式が刻まれています。記録陣式です。あなたはその陣式を知っていますか」
ヴェラが少し間を置いた。
今度の沈黙は、これまでとは違う種類だった。
「知っている」ヴェラが言った。
「何が記録されているか、知っていますか」
「知らない。ただし——」ヴェラがアルデンを見た。「あの陣式が何かを記録していることは、旧市街では昔から言い伝えがある」




