第5話:西門の外
学園の外出許可が下りるのは、週に二日と決まっていた。
最初の外出許可日、アルノーは一人で学園の西門をくぐった。門を出ると石畳の道が続き、両側に商店が並んでいる。学園に隣接したこの一帯は、学生向けの店が多い。文具店、食堂、書店。どれも制服姿の生徒を相手にしている。
アルノーは商店には目を向けず、まっすぐ歩いた。
目的地は、西門ギルドだ。学園の敷地の西端に沿って少し歩くと、大きな建物が見えてくる。冒険者ギルドの看板が出ており、出入りする人間の体格が、学園の生徒とは明らかに違う。革製の装備を身につけた男女が、重そうな荷物を持って出入りしている。
アルノーは入り口の前で立ち止まり、建物を観測した。
外壁は頑丈な石造りで、学園の灰練よりはるかに状態が良い。ただし入り口の扉が左に傾いている。蝶番が一か所緩んでいるのだろう。その扉を押して中に入ると、広い空間が広がっていた。受付カウンターが正面にあり、奥に依頼の紙が大量に貼り出された掲示板が並んでいる。中央の長いテーブルでは数人の冒険者が食事を取りながら話していた。
「おい、学生じゃないか」
テーブルの方から声がした。
振り返ると、三十代ほどの大柄な男が椅子に背をもたれさせてこちらを見ていた。隣に同じくらいの年齢の男が二人いる。装備の使い込み具合から、それなりの経験を積んだ冒険者だと分かった。
「ここは遠足で来る場所じゃないぞ、坊ちゃん」
男が笑いながら言った。隣の二人も同調して笑う。
アルノーは男を観測した。
右肩の装備に古い傷跡がある。左利きで、剣の柄が左腰にある。体格は大きいが重心が高い——速い動きには対応しにくいタイプだろう。
「見学に来ました」アルノーは答えた。
「見学? ここは観光地じゃない。用がないなら帰れ」
「用はあります。依頼の種類を確認したいので」
男が少し笑みを消した。馬鹿にしていた相手が予想外に落ち着いていたので、どう扱えばいいか迷っているのだろう。
「依頼だと? 学生が冒険者の仕事をするつもりか。魔法陣でも描いてお遊びか」
「魔法陣の修復依頼があると聞いたので、確認に来ました」
「魔法陣の修復」男が鼻で笑った。「学園の優等生が現場仕事か。白墨と定規でも持ってきたか」
アルノーは返答しなかった。
返答する必要がないと判断したからだ。この男は馬鹿にしたいだけで、議論をしたいわけではない。言葉を重ねても意味がない。
沈黙が続いた。
男が何か言おうとしたとき、カウンターの方から声がかかった。
「ヴェルク、依頼の確認が終わったなら席を空けてください。次の方が待っています」
涼やかな声だった。
アルノーがカウンターを見ると、受付に女性が立っていた。二十代前半と思われる。亜麻色の髪を一つに束ね、ギルドの制服を着ている。整った顔立ちで、カウンター越しに立つ姿は絵になった。ただし目が鋭く、愛想笑いのひとつもない。美しいというより、隙がないという印象だった。
ヴェルクと呼ばれた男が舌打ちをして、仲間と共に席を立った。出口に向かう際にアルノーの肩を軽く押したが、アルノーは動じなかった。重心の取り方が悪くなければ、この程度の力では崩れない。
男たちが出ていくと、受付の女性がアルノーを見た。
「学生か。何の用だ」
「見学です。どういう依頼があるか確認したかったので」
「冒険者登録をするつもりがあるなら、学園の許可が必要だ。灰練の制服だな」
アルノーは少し驚いた。制服の違いを一目で見分けたということは、学園の事情に詳しい。
「よく分かりますね」
「毎年学生が来る。灰練からは珍しいが」女性は言った。「名前は」
「アルノーです」
「ヴァレリウスか。入学試験で試験陣を修正したという話は聞こえている」
「修正したのは、歪みがあったからです」
「三十秒、炎が消えなかったという話も聞いた」女性はカウンターに肘をついて、少しだけ前傾になった。「魔法陣の修復依頼は今、十件以上積み上がっている。扱える冒険者が少ないから」
「どういった依頼ですか」
「民家の加熱器具の不調、店の防犯陣の誤作動、倉庫の保存陣の劣化。どれも王立の標準陣式を使った機器が時間で歪みを生じた案件だ」
アルノーは掲示板を確認した。確かに複数の依頼が貼り出されている。近づいて見ると、ソレルが食堂の加熱器具で苦しんでいたのと同じ原因と思われる案件が並んでいた。
王立の許容範囲内の歪みが、長期間かけて積み重なり、最終的に不具合として現れる。許容した歪みは消えるのではなく、蓄積する。
「登録するつもりがあるなら、許可が取れたら来い」
アルノーが振り返ると、受付の女性がまだこちらを見ていた。
「名前を聞いてもいいですか」
女性が少し目を細めた。
「エレナだ」
「エレナさん。登録の手続きを確認したいので、また来てもいいですか」
エレナはしばらくアルノーを見てから、短く「構わない」と答えた。その目に、最初の鋭さとは少し違う何かが混じっていた。アルノーにはそれが何かは分からなかった。
ギルドを出て、来た道を戻りながら、アルノーは考えた。
学園の中では、王立の基準が絶対だ。〇・五以内の歪みは許容され、修正は不要とされる。しかし学園の外では、その許容された歪みが問題を引き起こしている。基準を作った側は、基準が生む歪みの蓄積を見ていない。
学園の西門が見えてきた。
門の右柱に、小さな亀裂がある。まだ表面だけだが、放置すれば内部に進む。進む方向は右斜め下。そこに負荷が集中している。
アルノーは立ち止まり、しばらく亀裂を観測してから、門をくぐった。




