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第4話:基礎陣式

最初の授業は、魔法陣の基礎理論だった。


王立魔導学園では、全寮合同で受ける共通科目と、寮ごとに分かれる実技科目がある。基礎理論は共通科目のひとつで、一年生全員が同じ教室に集まる。百二十三名が横に長い階段状の教室に座り、前方の教壇に立った教師を見下ろす形になっていた。


担当教師は四十代と思われる男だった。背筋が伸びており、声が通る。黒板に「王立魔法理論・基礎陣式」と書いてから、教室全体を見渡した。


「王立の魔法体系は、三千年の歴史の上に成り立っています。その根幹は、対称性の原理です。魔法陣は完全な対称形であるほど、魔力の流れが安定し、出力が高まる。これは実験によって繰り返し証明されており、王立魔法学の第一原則です」


黒板に、標準的な六角形の魔法陣が描かれた。六つの頂点が均等に並び、補助線が対称に伸びている。整った、美しい形だ。


アルノーはその陣を見ながら、補助線の交点を確認した。


六か所ある交点のうち、黒板上の陣では二か所に微妙なずれがある。チョークで描いた手書きの陣なので、完全な対称にはなっていない。教師本人は気づいていないのだろう。授業用の例示なので実害はないが、気になった。


「対称性が崩れると何が起きるか」教師が続けた。「魔力の流れが偏り、陣が不安定になります。最悪の場合、陣は自壊します。これを防ぐために、王立では術者の魔力量に関わらず、陣式の対称性を最優先に保つことを原則としています」


教室の前方に座っていた生徒が手を挙げた。白棟の制服を着ている。


「先生、対称性を保つためには、補助線の精度をどの程度まで高める必要がありますか」


「良い質問です。王立の基準では、誤差〇・五以内を許容範囲としています。それ以上のずれは修正が必要です」


〇・五。


アルノーはその数値を頭の中で確認した。入学試験の陣の第五補助線は〇・三のずれがあった。許容範囲内ということになる。しかしアルノーの感覚では、〇・三のずれでも魔力の偏流は生じる。許容範囲という概念そのものが、本来あるべき精度より低い基準に設定されているのではないか。


授業が進み、実際に簡単な陣を描く演習に入った。各自が机の上の石板に白墨で六角形の陣を描り、魔力を流して点火を行う。出力の大きさより、安定度が評価される演習だ。


アルノーは石板に陣を描き始めた。


六つの頂点を打ち、補助線を引く。交点の角度を確認しながら、できる限り均等になるよう調整した。王立の基準の〇・五どころか、〇・一以下を目指して描く。時間がかかった。隣の席の生徒はすでに陣を完成させ、点火を終えていた。


「ヴァレリウス、まだ描いていますか」


教師が近づいてきた。


「もう少しかかります」


「演習の時間は限られています。精度より、まず完成させることを優先しなさい」


「〇・一以下の精度で描きたいので、時間がかかっています」


教師が眉を寄せた。


「〇・一は、この演習では必要ありません。〇・五以内であれば十分です」


「〇・五と〇・一では、魔力の偏流の大きさが変わります」


「その差は誤差の範囲です」


アルノーは手を止めて、教師を見た。


「入学試験の陣に〇・三のずれがありました。あれは誤差の範囲だと言われましたが、修正後の方が持続時間が延びました。〇・五と〇・一の差も、同じように結果に出ると思います」


教室が少し静かになった。


教師がアルノーを見る目が、わずかに変わった。困惑とも、不快感ともとれる表情だった。


「……入学試験の陣を修正したのは、あなたですか」


「はい」


「試験官から報告は受けています」教師は低い声で言った。「ただし、王立の標準陣式を許可なく改変することは、この学園では認められていません。今後は覚えておきなさい」


「改変ではなく、修正です。歪みを正しただけです」


「王立の基準では、許容範囲内は修正の必要がありません。つまりあなたがしたことは、必要のない改変です」


アルノーはその言葉を聞いて、少し考えた。


反論することはできる。許容範囲の設定が低すぎること、〇・三のずれでも偏流が生じること、修正によって結果が変わったこと。しかしここで反論を続けても、この教師の考えは変わらないだろう。変えるためには、言葉ではなく結果が必要だ。


「分かりました」


アルノーは短く答えて、手元の陣に向き直った。


教師が去ってから、石板を見た。まだ描きかけのままだ。残り時間で完成させた陣は、〇・二のずれに収まった。王立の基準の〇・五より精度は高いが、アルノーが目指した〇・一には届かなかった。


魔力を流すと、炎が現れた。


小さいが、揺れない。


隣の席の生徒の炎と比べると、大きさは半分以下だ。しかし演習終了の合図が出るまで、アルノーの炎だけが消えなかった。


教師はそれを見ていたが、何も言わなかった。


授業が終わり、廊下に出ると、レイドが隣に並んできた。


「さっきの教師とのやり取り、聞いてたぞ」


「そうですか」


「怒らないんだな。あんなことを言われて」


「怒る理由がありません。教師は王立の基準に従っています。私はその基準が低いと思っている。それだけのことです」


「それだけのことって言えるのが、お前らしいな」レイドが少し笑った。「ただ、炎が最後まで消えなかったのは見ていた。教師も見てたはずだ」


「見ていました」


「なのに何も言わなかった」


「言いにくかったのだと思います」


レイドがまた笑った。


廊下の窓から、中庭が見えた。白棟の生徒たちが、昼休みの時間を使って自主練習をしている。完璧な対称形の陣が次々と光を放っていた。


美しかった。


ただ——補助線の交点に、小さな詰まりがある。


あの陣は、出力が一定を超えた瞬間に自壊する。


アルノーはそれを見ながら、歩き続けた。

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