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第3話:灰練の住人

灰練の食堂は、朝から静かだった。


白棟や赤棟の食堂がどんな様子かはまだ知らないが、少なくともここには活気というものがなかった。十数名の新入生が、それぞれ距離を置いて席に着いている。会話はほとんどない。全員が、自分がここに配属されたという事実をまだ消化しきれていないように見えた。


アルノーは窓際の席に座り、食事を取りながら食堂を観測した。


天井の梁が一本、わずかに下がっている。長年の重みで撓んだのだろう。今すぐ危険ということはないが、十年後はどうか分からない。壁の漆喰が剥がれかけている箇所が三か所。床の石板の目地が、入り口付近だけ不均等になっている。誰かが補修したが、元の配置と合っていない。


建物全体が、少しずつ歪み続けている。


「……うるさい」


突然、隣のテーブルから声がした。


振り返ると、一人の少年が額に手を当てて俯いていた。耳が大きく、獣人の血が入っているのか、普通の人間よりも耳の位置が高い。灰色がかった髪が顔にかかっている。食事には手をつけておらず、ただじっとしている。


アルノーには、その少年が誰かに向かって言ったわけではないと分かった。独り言だ。


少し観測した。


耳が微細に動いている。外からの音に反応しているのではなく、何か別のものに反応しているように見えた。食堂の中に、特別大きな音はない。それでも少年は苦しそうにしている。


アルノーは自分の食器を持って、その少年の隣に移動した。


「何が聞こえていますか」


少年が顔を上げた。目が鋭い。警戒している。


「……関係ない」


「食堂の中に、不快な音の原因があるなら分かるかもしれません」


少年がしばらくアルノーを見ていた。それから、渋々といった様子で答えた。


「食堂の奥、厨房の方向から何かが鳴っている。金属が擦れるような音だ。俺以外には聞こえていないらしいが、ずっと続いていて頭が痛くなる」


アルノーは厨房の方向を見た。


扉が少し開いており、中の様子が見える。調理台の上に、複数の魔法器具が並んでいた。加熱用の小型魔法陣が組み込まれた器具だ。王立の標準様式で作られているはずだが——


立ち上がって、厨房の扉に近づいた。


加熱器具を観測すると、すぐに分かった。一番奥の器具の魔法陣が、補助線の交点でわずかに歪んでいる。その歪みが魔力の流れに微細な振動を生み出し、金属部分に共鳴している。人間の耳には聞こえない周波数だが、感覚が鋭い者には不快な音として届く。


厨房の担当者に断ってから、器具を手に取った。


白墨は持っていないので、指先で補助線の交点を軽く押した。魔力を最小限だけ流して、交点の角度をわずかに修正する。〇・二ほどのずれを、内側に戻す。


振動が止まった。


少年のいるテーブルに戻ると、少年は目を丸くしていた。


「……音が止まった」


「加熱器具の魔法陣に歪みがありました。修正しました」


「何をしたんだ」


「崩れる方向に押しただけです」


少年がアルノーをまじまじと見た。


「お前、魔法陣が見えるのか」


「歪みが見えます。正確には、気になってしまうという方が近いですが」


少年が少し黙った。それから、初めて食事に手をつけながら言った。


「ソレルだ」


「アルノー・ヴァレリウスです」


「ヴァレリウス……三流貴族の」ソレルは特に侮るような口調ではなく、ただ事実を確認するように言った。「なんで灰練にいる」


「最下位だったので」


「正直なやつだな」


そのとき、レイドが盆を持って近づいてきた。アルノー의隣に腰を下ろし、ソレルを見て「知り合いか」と聞いた。


「今知り合いました」


「俺はレイドだ」レイドはソレルに向かって顎をしゃくった。「お前、さっきまで苦しそうにしてたな」


「もう平気だ」


「アルノーが何かしたのか」


「器具を直した」


レイドがアルノーを見た。


「また何か見つけたのか」


「今回は聞こえていたのはソレルです。私は見ただけです」


レイドが興味深そうに二人を交互に見た。それから「なんか面白いな、この組み合わせ」と言いて、特に意味もなく笑った。


食堂に、少しだけ会話が生まれた。


ソレルはあまり喋らない。聞かれたことに短く答えるだけで、自分から話しかけることはない。レイドは逆に、次々と質問を投げかける。どこの出身か、なぜ学園に来たか、何が得意か。ソレルは一言か二言で答え、レイドはその答えを面白がった。


アルノーはその会話を聞きながら、二人を観測した。


レイドの手の皮は厚い。剣か槍か、長期間の訓練を積んできた証拠だ。魔力の扱いは荒いだろうが、体の動かし方は洗練されている。


ソレルの耳は常にわずかに動いている。食堂の中の音を全方位から拾い続けているのだろう。本人にとっては苦痛でしかない感覚だが、使い方によっては——


「アルノー、聞いてるか」


レイドの声で我に返った。


「聞いています」


「どこ見てたんだ」


「二人を観測していました」


レイドが苦笑した。ソレルは特に反応しなかった。


食堂の窓から、朝の光が差し込んでいた。均等に白い光が、歪んだ石板の床の上に伸びている。


光そのものは均整が取れている。


歪んでいるのは、受け取る側だ。


アルノーはそう思いながら、冷めかけた食事を口に運んだ。

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