第40話:次兄の訪問
翌朝、灰練の廊下に見慣れない人物が立っていた。
アルノーが食堂から部屋に戻ろうとしたとき、廊下の突き当たりに人影があった。黒い外套を着ており、胸元に王立監視院の紋章が見える。背が高く、顔立ちが整っている。廊下を歩いてきた灰練の女子生徒が、その人物を見て少し足を止めた。三兄弟の中で一番よく喋ると、アルノーは思っている人物だ。
「遅い朝食だったな、アルノー」
イグノス・ヴァレリウス。次兄だ。
「学園に来たのは初めてですね」
「ああ。用があったので来た」
イグノスが壁から離れて、アルノーの隣に並んだ。
「少し歩くか」
二人は廊下をゆっくり歩いた。
「審査委員会の件、監視院にも報告が届いた」
イグノスが口を開いた。
「セレスティナ家の令嬢が均整理論の実証申請をした。一時停止措置が解除された」
「そうです」
「入学から四十日で、王立魔法学会の審査委員会を動かした」
イグノスが続けた。
「普通の一年生のやることではない」
「普通を目指していないので」
「知っている」
イグノスは短く言った。
「ただし、普通ではない結果が出ると、普通ではない注目を集める。審査委員会の件は、学会の内部でも話題になっている。学会だけではなく——貴族の一部も、動きを見せ始めている」
「貴族が」
「均整理論が王立の認定を受けた場合、その理論を誰が管理するか、という話だ。特許権、あるいは教育課程の独占。金の動く場所には、必ず鼻の利く連中が集まる」
「私は理論を公開するつもりです。独占する理由がありません」
「お前がそう思っていても、周囲がそうさせない」
イグノスが足を止めた。窓の外、白棟の中庭で生徒たちが自主練習をしているのが見える。
「監視院としても、お前の動向を注視するよう上からの指示があった。今後は俺が定期的に学園に来ることになるだろう」
「監視ですか」
「連絡役だと言っておけ」
イグノスが肩をすくめた。
「もう一つ」
イグノスが外套の内側から、小さな紙を取り出した。
「ウルリクからだ」
アルノーは紙を受け取った。
兄の字だ。丁寧で、力強い。
アルノーへ。学園での様子をイグノスから聞いている。お前らしいと思った。ただし、貴族が動き始めたのであれば、ヴァレリウスの家名も無関係ではなくなる。何かあれば知らせろ。——ウルリク
前回より、少し長い手紙だった。
ウルリクは家を守る立場だ。均整理論が貴族政治に絡み始めれば、三流貴族のヴァレリウス家にも影響が出る。それをウルリクは、すでに把握している。
「返事を書きますか」
「次に来るときに渡す」
イグノスが歩き出した。廊下の端で立ち止まり、振り返らずに言った。
「セレスティナの令嬢が動いたのは、お前が何かをしたからか」
「私は何もしていません。リュミエールさんが自分で決めました」
「お前が何もしていないのに、首席が動いた」
イグノスが少し間を置いた。
「それがお前のやり方か」
「やり方というより、結果です」
「同じことだ」
イグノスが外套を翻した。
「観測を続けろ。俺も続ける」
次兄が廊下を曲がって消えた。
アルノーは窓の外を見た。
中庭の自主練習が続いている。白棟の生徒たちの陣式が、均等に光っている。
監視員が一人増えた。報告の義務が増えた。
しかし動ける範囲は、減っていない。
レイドとソレルの顔が浮かんだ。
二人には、後で説明する必要がある。




