第33話:広まる噂
噂が広まるのに、一週間もかからなかった。
灰練の最下位が、首席の陣式を修正している。修正後に数値が改善された。首席本人が認めている。
アルノーが廊下を歩くと、視線が増えた。白棟の生徒が通り過ぎるとき、明らかにこちらを見ている。赤棟の生徒が、小声で何かを話している。灰練の生徒は、前より少し距離を置くようになった。近づきすぎると何かに巻き込まれると思っているのかもしれない。
レイドが食堂で言った。
「お前、有名になってるぞ」
「そうですか」
「良い意味で有名になっているのか、悪い意味かは分からないが。白棟の連中が、お前の話をしているのを聞いた」
「どんな話ですか」
「灰練の最下位に首席が教わっているのは本当か、とか。均整理論とやらは王立の体系を否定するものか、とか」
「否定していません。補完しているだけです」
「お前がそう言っても、向こうには関係ないんじゃないか」
ソレルが静かに付け加えた。
「廊下で、お前の話をしている声が増えた。内容は様々だ。ただし、良い内容ばかりではない」
その日の午後、白棟の生徒が三人、裏庭に来た。
アルノーが一人で師匠の記録を読んでいると、裏庭の入り口に白棟の制服が現れた。三人とも、見覚えのある顔だ。合同実技の演習場で見かけた。上位の成績の生徒たちだ。
「ヴァレリウス」
先頭の男が言った。体格が良く、声に力がある。
「少し話がある」
「どうぞ」
三人が裏庭に入ってきた。整備されていない空間を見回して、少し顔をしかめた。
「単刀直入に聞く」
男が続けた。
「リュミエール・セレスティナに、何をしたんだ」
「交点の角度を修正する方法を伝えました」
「それだけか」
「それだけです」
「なぜ首席がわざわざ灰練に来なければならない。あなたが白棟に来るのが筋ではないですか」
「呼ばれていないので」
男が少し眉を寄せた。
「王立の陣式に問題があると、言って回っているそうですね」
「言って回っていません。聞かれたときに答えているだけです」
「同じことだ」
男が言った。
「王立の陣式は三千年の歴史がある。それに対して、入学したばかりの灰練の一年生が修正を加える。その意味を、分かっていますか」
「歪みがあったので修正しました。それ以上の意味はありません」
「意味はある」
男の声が少し強くなった。
「あなたのやっていることは、王立の権威を否定することになる。首席が認めたという事実が広まれば、他の生徒にも影響が出る。教師たちも黙っていない」
アルノーは男を観測した。
怒っているわけではない。警告しに来ている。白棟の秩序を守ろうとしている、という動機が見える。
「教師たちが何か言ってくるなら、直接話します」
「それでは遅い。今のうちに、やめてもらいたいのです」
「やめる理由がありません」
男が息を吐いた。
「なぜ、そこまで頑ななのですか」
「頑なではありません。歪みを修正することに、やめる理由が見つからないのです。理由があれば検討します」
「理由は言いました。王立の権威を傷つける」
「王立の陣式に歪みがあることは、修正しなくても変わりません。修正しなければ歪みが蓄積して、いずれ問題が起きます。それが王立の権威にとって良いことだとは思いません」
三人が顔を見合わせた。
先頭の男が、少し考えてから言った。
「……あなたのやっていることが間違っているとは言いません。ただし、やり方が問題だ。灰練の最下位が首席に直接関わることは、学園の秩序として正しくない」
「秩序の問題と、技術の問題は別です」
「あなたにとっては別でも、周囲には同じに見えます」
アルノーはその言葉を聞いて、少し考えた。
セルダンが言っていたことと同じだ。正しいことが常に通るとは限らない。秩序と技術が別であっても、周囲にとっては同じに見える。
「分かりました」
アルノーは言った。
男が少し驚いた顔をした。
「分かった、というのは」
「周囲にとっては同じに見えるということが、分かりました。ただし、やめることとは別の話です」
男がまた息を吐いた。
「……話が通じない人だ」
「通じていますが、同意できないのです」
三人が裏庭を出た。
最後に先頭の男が振り返って言った。
「教師が動きます。その前に考え直してください」
三人が廊下に消えた。
レイドが裏庭の入り口から顔を出した。いつから聞いていたのか、少し険しい顔をしていた。
「聞こえていた。大丈夫か」
「問題ありません」
「教師が動くって言ってたぞ」
「来たら話します」
レイドが腕を組んだ。
「お前、全然焦ってないな」
「焦る理由が見当たりません」
「俺は少し焦ってる。お前のことで」
アルノーはレイドを見た。
レイドが焦っている。自分のことで。
その事実が、少し引っかかった。
「心配しているのですか」
「当たり前だろ。友達が面倒なことに巻き込まれそうなんだから」
アルノーは少し考えた。
友達。レイドは前にも同じ言葉を使った。
「……ありがとうございます」
「珍しいな、お前が礼を言うのは」
レイドが苦笑した。
「まあ、俺にできることがあれば言え」
「分かりました」
裏庭に夕方の光が差し込んだ。
教師が動く。
いつ、どのような形で来るかは分からない。
ただし、来るなら話せばいい。
アルノーは師匠の記録の写しを折りたたんで、懐にしまった。




