第29話:記録の意味
翌日、アルノーは工房に向かった。
昨日の旧市街での観測を整理した紙を持参した。壁の陣式の螺旋状の流れのパターン、リズムの変化の記録、ソレルが感じた「言葉みたい」という感覚。できる限り正確に書き留めた。
アルデンは奥の部屋で、昨日の複合陣式の持続時間を計測していた。アルノーが入ると、器具から目を離さずに言った。
「持続時間が、以前の三倍になっている」
「歪みが流れの一部になったので、魔力の消耗が減っています」
「理論通りだ」アルデンが器具を置いた。「今日は何を持ってきた」
「旧市街の壁の陣式について、新しいことが分かりました」
アルノーが紙を差し出した。アルデンが受け取り、眼鏡を外して確認した。
「螺旋状の流れ。リズムの変化」アルデンが呟くように言った。「ソレルという子が、言葉みたいだと言ったのか」
「はい。一緒に旧市街に行って、陣式の音を確認してもらいました」
アルデンが紙から目を上げた。
「あの陣式が記録陣式だという可能性を、お前はどう思う」
「可能性はあると思います。魔力のパターンに規則性があります。ただし、現行の様式に記録陣式の技術はありません。流れの原則の技術だとすれば、解読する方法も現行の様式にはない」
「そうだ」アルデンが椅子に座った。「ただし——」
アルデンが少し間を置いた。
「解読する方法が、ないわけではない」
アルノーは黙って続きを待った。
「師匠の記録の中に、記録陣式の解読手順が残っている」
「師匠の」
「ああ。非対称陣の研究を却下されたあの師匠だ。あの人は、流れの原則の正統な継承者の一人だった。記録陣式についても、独自に調査を進めていたらしい」
アルデンは立ち上がり、棚の奥まった場所を探り始めた。
「俺は、その記録を避けていた。記録陣式は、読み手の感覚に依存する部分が大きい。俺の目では、そのリズムを捉えることができなかったからな」
アルデンが一冊の薄い、古びた手帳を取り出した。
「だが、お前なら。あるいは、お前の周りにいる連中なら、読み解けるかもしれない」
「読み解けたら、何が分かりますか」
「あの壁がいつからそこにあるのか。そして、誰が何のためにその情報を残したのか」
アルデンは手帳をアルノーに手渡した。
「やってみるか」
「やってみます」
アルノーは迷わずに答えた。
「解読を始めていい。ただし一つだけ条件がある」
「何ですか」
「解読した内容を、外で話す前に俺に報告しろ。内容によっては、話す相手と順番を慎重に選ぶ必要がある」
「分かりました」
アルデンが立ち上がり、奥の棚の一角を開けた。記録紙の束を取り出して、アルノーに渡した。
「師匠の記録の中の、記録陣式に関する部分だ。まずこれを読め。解読の手順が書いてある」
アルノーは記録紙を受け取った。
「もう一つ」アルデンが続けた。「この話を知っている人間が、工房の外にいる」
「どういう人ですか」
「旧市街に長く住んでいる人間だ。地下通路のことも、壁の陣式のことも知っている。ただし、流れの原則については詳しくない」アルデンは言った。「いずれ、その人間に会ってもらう必要が出てくるかもしれない」
「今は会わなくていいですか」
「今はまだいい。解読が進んでからだ」
アルノーは記録紙を机の前に広げた。
師匠の字だ。昨日読んだ記録紙と同じ、細く丁寧な字だ。
最初の一行を読んだ。
「記録陣式とは、魔力のリズムに意味を込める技術である。リズムは言語ではなく、感覚として伝わるように設計されている」
感覚として伝わる。
ソレルが「言葉みたいだ」と言ったのは、正確な表現だったのかもしれない。言語ではなく、感覚として。
続きを読んだ。
「解読のためには、陣式が発するリズムを聴き取り、パターンを記録する必要がある。現行の様式に慣れた人間には、このリズムが聞こえない場合がある。その場合は、補助的な陣式を用いて音を可視化しなければならない」
アルノーは目を閉じた。
地下通路でソレルが聞いたあのリズム。それをどうやって記録し、意味へと変換していくか。
新しい解析が始まろうとしていた。




