第25話:扉の向こう
工房に着いたのは、放課後の早い時間だった。
アルデンは作業台で器具の分解をしていた。アルノーが入ると、手を止めずに「来たか」と言った。
「答えを持ってきました」
「聞こう」アルデンが作業台から離れ、椅子に座った。
アルノーも椅子に座った。素描を取り出してテーブルに置いた。
「この陣式の設計意図は、歪みを排除することではなく、歪みを活かして流れを作ることだと思います」
「続けろ」
「現行の王立陣式は、歪みを最小化することを目指しています。対称性を維持することで、歪みを排除する。しかしどんな陣式も、使い続けると歪みが生じる。その歪みが一点に集中すると、陣式が自壊する」
「そこまでは分かっていることだ」
「この陣式は、歪みが生じることを最初から前提にしています。歪みが生じたとき、その方向に沿って魔力を流す経路が設計されている。川が障害物を避けて迂回するように、歪みを避けるのではなく、歪みを使って流れを作る」
「歪みを使って」アルデンが繰り返した。
「歪みがあることで、流れの方向が決まります。方向が決まれば、制御できます。歪みは障害ではなく、流れを作るための構造だ」
アルデンがしばらく黙っていた。
工房の外から、街の音が微かに聞こえてくる。荷車の音、人の声。それらが壁越しに届いて、静かな工房の空気に混じっている。
「及第点だ」アルデンが言った。「完全ではないが、方向は合っている」
「完全ではない部分は、どこですか」
「歪みを使うのではなく、歪みと共に動く、という方が正確だ」アルデンは言った。「使う、という言葉には、制御するという含みがある。流れの原則は制御を手放すことも含んでいる」
「制御を手放す」
「川は流れる方向を選ばない。ただ低い方へ向かう。それが結果として、最適な経路を作る」アルデンが立ち上がった。「完全に理解するのは、これからだ。ただ、方向が分かっているなら十分だ」
アルデンが奥の扉に向かった。
鍵を取り出して、錠を開けた。
扉が開いた。
中は、工房の表側より広かった。
棚が四方の壁を埋めている。記録紙だけでなく、器具や部品、結晶のようなものが並んでいる。中央に大きな作業台があり、その上に展開途中の大型の陣式が描かれていた。直径二メートルほどの陣で、補助線が複雑に張り巡らされている。
「これが、三十年かけて作ってきたものです か」
「途中だがな」アルデンが作業台に近づいた。「複合非対称陣と、流れの原則を組み合わせた設計だ。単体の陣式では出せない効果を、複数の陣式を連結することで生み出そうとしている」
アルノーは陣式を観測した。
複雑だった。補助線の交点が三十か所以上あり、それぞれが微妙な角度を持っている。交点と交点の間に、細い補助線が網の目のように張り巡らされている。
歪みを探した。
五か所。すべて微細なずれだが、それぞれの位置が気になる。交点の配置と照らし合わせると、歪みの方向が互いに干渉し合っている。
「歪みが五か所あります」
「場所を言え」
アルノーは指で場所を示した。
「ここ、ここ、そしてこの三点です。歪みの方向が内側に寄っています。このままだと、連結部分で魔力が滞留します」
アルデンが頷いた。
「そこが、今の限界だ。連結を増やすほど、歪みの干渉が予測できなくなる。お前の目なら、これが見えるか」
アルノーは陣式の全体像を頭の中で展開した。
歪みの方向を制御し、流れの原則に沿って逃がす。そのためには、連結部分の設計を——
「修正案を作れます。少し時間をください」
「やってみろ。これが完成すれば、王立の体系を根底から変えることができる」
アルノーは作業台の前に立った。
新しい理論の扉が、音を立てて開こうとしていた。




