第20話:扉の向こう
工房に通い始めて、一週間が経った。
アルノーは週に二度、放課後に工房を訪れていた。毎回、棚の記録紙を読み進めながら、内容を分類して索引を作っていく。アルデンは作業台で自分の仕事をしており、アルノーが質問したときだけ答えた。それ以外は、互いに黙って作業をしていた。
この日も記録紙を読んでいると、一枚の記録紙が目に留まった。
四十年前の記録だった。タイトルは「複合非対称陣の実用化に向けた試験記録」とある。内容を読むと、複数の非対称陣を組み合わせることで、通常の陣式では不可能な効果を生み出す実験の記録だった。
一つの陣式では出せない効果を、複数の陣式を連結することで実現する。それぞれの陣式の歪みの方向を調整して、連結部分で互いを補完させる。
アルノーは読みながら、頭の中で設計を展開した。
面白い。
単体の陣式の限界を、連結によって超える。これは均整理論の応用として、自分ではまだ考えていなかった方向だ。
「これを読んでいるか」
アルデンが近づいてきた。アルノーが持っている記録紙を確認して、作業台に戻った。
「複合非対称陣の記録です。面白い設計です」
「その実験、俺がやった」
アルノーが顔を上げた。
「アルデンが」
「三十五年前だ。研究所にいたときに」アルデンは作業台に背を向けて、棚を見た。「王立の陣式では出力に限界がある。複数の陣を連結することで、その限界を超えようとした。審査に持っていったら、また例の通りだ。『不規則性の積み重ねは混沌を生む』だとさ」
「実験の結果はどうだったのですか」
「成功した。出力は標準の二倍。ただし、調整が難しすぎた。それと——」アルデンが少し間を置いた。「出力が上がりすぎると、危険だという判断もあった」
「危険、というのは」
「制御できなくなる可能性だ。非対称陣の連結は、設計を誤ると制御不能になる。それを王立は嫌った」
アルノーは記録紙を見た。
実験記録の末尾に、失敗例が記録されていた。連結部分の調整を誤った結果、陣が暴走した例が三件ある。いずれも実験室での小規模な事故で、怪我人はなかったようだが、陣が完全に制御不能になった状態が記録されていた。
「制御できない歪みが生まれた、ということですか」
「そうだ。歪みの方向が複数になると、互いに干渉して予測不能な動きをする」
「ならば、干渉しないように設計すれば」
「それが難しい」アルデンが言った。「俺には、最後まで解決できなかった」
アルノーは記録紙を棚に戻した。
複合非対称陣。単体の限界を超える可能性と、制御不能になる危険が同時にある。面白い問題だ。
「アルデン」
「何だ」
「奥の扉の向こうに、関連する記録がありますか」
アルデンが手を止めた。
しばらく沈黙があった。
「なぜそう思う」
「棚の記録は、この四十年前の実験を最後に途切れています。索引を作っていて気づきました。それ以降の記録が、棚にはない」
アルデンがゆっくり振り返った。
「気づいていたか」
「はい。奥の扉の向こうに、続きがあると思いました」
アルデンがしばらくアルノーを見ていた。
それから、椅子を引いて座った。
「一つ聞く。お前は、この工房が何をしているところだと思っている」
「魔法陣の修復と、忘れられた理論の保存です」
「保存、か。それだけなら、わざわざ看板も出さずに潜む必要はない」
アルデンが奥の扉を指差した。
「あそこにあるのは、俺の研究の続きじゃない。師匠が最期に残した、王立が最も恐れた『歪み』の正体だ」
扉の向こう側から、かすかな振動が伝わってきたような気がした。




