第130話 極振りヒーラー、呪いを祓う
黒い霧が、渦を巻いた。
ゆっくりと、しかし確実に、霧が凝縮していく。
形のなかったものが輪郭を持ち始め、巨大な影が姿を成していった。
《古代の呪念 ヴァニタス》
実体を持たない。
かつての戦争で死んでいった無数の怨念が集まり、具現化した呪いの塊。
それが今、ステラの前に立っていた。
「……大きい」
ステラが杖を構えながら呟く。
「《スイート・レギオン》――チョコガルド、ビスコルド!」
光が二つ弾けた。
「守護を誓う!」
「我が盾は誰も通さぬ!」
二体の盾持ちが前に出る。
肩の上ではルミナが羽を広げ、鋭い視線でヴァニタスを睨んでいた。
ヴァニタスが動いた。霧の塊が波のように押し寄せてくる。
「《再生の祝炎》《ハイヒール》」
回復を重ね、バリアを形成する。
霧が触れた瞬間、障壁が揺らぎ……そのまま通過した。
「バリアが……効かない」
呪いが直撃する。
身体を削るような冷たい感触と共にHPが減少した。
「《チョコレートウォール》!」
チョコガルドが盾を展開する。呪いの霧がそれもすり抜けた。
「盾が……通じない」
チョコガルドが困惑したように呟く。
ビスコルドの《クリームコーティング》も同様だった。
物理防御が、まるで存在しないかのように無視されている。
「呪いだから……物理的な防御が通じないのかも」
別の手が要る。ステラが素早く判断した。
「《マルチ・ディバイン・シールド》!」
神聖障壁が三つ展開される。
霧が神聖障壁に触れた瞬間、今度は弾かれた。
「効いた……!」
神聖障壁が呪属性を受け止めている。
チョコガルドが静かに判断した。
「《イージス》は今は使わない。もっと厳しくなった時のために取っておく」
ステラが回復を重ねながら、神聖障壁を張り直し続ける。だが消耗が激しい。
障壁が砕けるたびに詠唱を重ねるが、次の攻撃が来るまでの時間がない。
「《マルチ・ディバイン・シールド》!」
また張る。
また砕ける。
その繰り返しがギリギリの攻防を作り出していた。
「ルミナ!」
ルミナが地面へ向けて炎を放った。
「《燃え盛る大地》!」
炎が広がり、ヴァニタスの霧に触れる。
不死鳥の炎が呪いの霧を焼き払っていく。
霧の密度が、わずかに薄くなった。
「ルミナの炎、効いてる。援護し続けて」
ルミナが力強く鳴いた。
光が四つ、空間を裂くように弾けた。
「《スイート・レギオン》――ナイトショコラ、シュトレン、キャンディス、マジョレーヌ!」
「参る!」
「力を見せる!」
「狙い撃つわ♪」
「魔法の時間よ♪」
頼もしさが一気に増す。
「ナイトショコラとシュトレンは前衛で削り。キャンディスとマジョレーヌは後方支援、お願い!」
四体は返答と同時に動いた。
迷いのない展開――すでに呼吸は合っている。
「《ショコラブレード》!」
ナイトショコラの剣閃が光を纏い、霧を切り裂いた。
裂けた部分から、核の気配がわずかに露出する。
「《シュトレンクラッシュ》!」
シュトレンの渾身の一撃がそこへ叩き込まれた。
霧の奥で、確かな揺らぎ。
――通っている。
「《キャンディアロー》!」
キャンディスの矢が一直線に走る。
迷いなく核へ吸い込まれ、霧の中心を貫いた。
わずかに密度が薄れる。
「《メテオフォール》!」
掲げられた魔導書が輝き、圧縮魔力が落下。
直撃と同時に衝撃が広がり、ヴァニタスの巨体が大きく揺れた。
怯み。
今が好機。
「《魔源共鳴》!」
漆黒の魔力がステラを包み込む。
WISがINTへ転換され、内側から魔力が溢れ出した。
「《聖炎》!」
不死鳥の火球が放たれる。
続けて――
「《フェニクス・フレア》!」
解き放たれた炎がルミナの《燃え盛る大地》と重なり、爆発的な熱量となって呪霧を焼き払った。
霧が、大きく散る。
確かな手応え。
ステラは静かに息を整え、《魔源共鳴》を解除する。
漆黒の魔力が霧散し、身体の感覚が元に戻った。
霧が、変わった。
それまで拡散していた呪いが、急速に内側へ収束していく。
黒い粒子が渦を巻き、圧縮され、核の密度が目に見えて増していった。
空気が重い。
次の瞬間、攻撃の圧が一段跳ね上がった。
神聖障壁に触れる霧の衝突が鋭くなる。
ひびが走る速度が、明らかに速い。
「……来る」
ステラは小さく息を吐いた。
「《スイート・レギオン》――ジェラート、ショコア、キャラメリア、シスタルト!」
光が四つ、弾ける。
「素早く行くよ!」
「みんなを強くするね!」
「敵を弱めるわ♪」
「癒しを与えます」
現れた聖霊たちが、それぞれの役割を理解したように散開した。
「チョコガルドとビスコルドは私の前。ナイトショコラとシュトレンは左右から削って。ジェラートは隙間を縫って核へ。キャンディスとマジョレーヌは後方支援」
一拍置いて、さらに続ける。
「ショコアは全体強化。キャラメリアは弱体を維持して。シスタルトは私の後ろで回復待機」
「了解!」
動きが一斉に始まった。
「《甘い誘惑》《粘つく呪縛》!」
キャラメリアの魔力が黒い霧へ絡みつく。
霧の流れがわずかに鈍る。重さが増し、波の勢いが削がれた。
その一瞬を逃さず、ショコアが両手を掲げる。
「《甘美なる力》《甘い防護》!」
柔らかな光が全員を包み、体の軽さが戻る。
防御の層が、もう一枚重なった。
「行くよ」
ジェラートの姿が消えた。
次の瞬間、霧の隙間を滑るように駆け抜ける。
影のような軌跡だけを残し、核の気配へ一直線に迫った。
「《ジェラートピアス》!」
ダガーが突き込まれる。
霧の奥で、確かに手応えがあった。
核がわずかに震える。
「《シュガーヒール》」
シスタルトの回復が広がる。
削られていた聖霊たちの光が安定し、崩れかけていた隊列が持ち直した。
――その瞬間。
ヴァニタスの反撃が来た。
濃縮された呪いが波ではなく“刃”になって襲いかかる。
神聖障壁が、悲鳴のような音を立てた。
砕ける。
「今だ」
チョコガルドの声は、静かだった。
「《イージス》!」
眩い光が爆ぜる。
時間が一瞬だけ凍りついたかのように、全ての衝撃が止まった。
完全無効の刹那。
そのわずかな隙を、ステラは逃さない。
「《マルチ・ディバイン・シールド》!」
新たな神聖障壁が三重に展開される。
光の層が重なり、崩れかけていた防衛線が再構築された。
呼吸を整える。
その間にも、受けたダメージが内部で蓄積されていく。
《セラフィック・リザーブ》が、限界に近づいていた。
――もう十分。
ステラは目を閉じ、静かに決断した。
「……今だ」
光が弾ける。
「《セラフィック・リザーブ》」
蓄積された聖光が奔流となって解放された。
核を直撃し、呪いの密度を強引に押し広げる。
霧が裂けた。
「ルミナ!」
呼びかけに応えるように、ルミナが羽を広げる。
疲労は濃い。
それでも、その瞳には迷いがなかった。
「《燃え盛る大地》!」
炎が広がる。
呪いを拒むように、大地の上で赤い光が燃え上がった。
核が露出する。
「《フェニクス・フレア》!」
不死鳥の炎が、最後の一撃として叩き込まれた。
霧の中心で、何かが崩れる音がした。
低い唸りが震えとなって空間を揺らす。
黒い霧が揺れ、縮み、形を失っていく。
そして――
静かに、消えた。
黒い霧が、ゆっくりとほどけていく。
一瞬の静寂。そのあと、足元から世界が息を吹き返した。
灰色だった地面に、小さな草が芽吹く。枯れていた枝先に、かすかな緑が滲んだ。
聖霊たちは、役目を終えたように順に光へと変わっていく。
「参る……またいつでも」ナイトショコラが静かに消える。
「力は出し切った」シュトレンも続いた。
一体、また一体。
言葉少なに帰還していき、最後にシスタルトが深く頭を下げ、光に溶けた。
「……終わった」
ステラは長く息を吐く。
張り詰めていた力が、ようやくほどけた。
ルミナがふらりと降り、ステラの肩に身を預ける。
いつもより重い。支えるというより、寄りかかるようだった。
「お疲れ様、みんな。ルミナも頑張ったね」
ルミナは小さく鳴く。かすれた声だった。
そのとき、討伐報酬の光が走る。
《永劫の呪縛》を習得しました
効果:範囲内の全ての敵のステータスを全項目ダウンさせる
「……全ステータスダウン」
ステラは説明を静かに読み返す。
攻撃、防御、速度――すべて。
「これ……強いね」
ルミナは返事をする気力もないのか、肩の上で丸くなったまま動かなかった。
魔族領の中心へ戻ると、枯れかけていた草木がゆっくりと色を取り戻していた。
エルディアが立っていた。
ステラの姿を認めると、張り詰めていたものを解くように長く息を吐く。
「……また救ってくれたか」
「大丈夫です。呪いはもう消えたはずだから」
「……本当に不思議な人間だ、お前は」
「そうですか?」
エルディアはしばらく黙ったまま、ステラを見つめていた。
「普通の人間は、魔族のために命を懸けたりはしない」
ステラは少しだけ首を傾げる。
「困ってたから、助けたかっただけです」
沈黙が落ちた。
やがてエルディアの口元がわずかに緩む。
笑っていた。
魔族の長の笑みを見て、周囲の戦士たちが息を呑む。
「……またいつでも来い。この地は、お前を歓迎する」
「はい。また来ます」
ステラはルミナとともに魔族領を後にした。
帰り道、足元に沿って草花が芽吹いていく。
ステラが歩くたび、その先で新しい花が静かに開いた。
肩の上でルミナが小さく鳴く。
今度は、先ほどよりもずっと軽やかな声だった。
次は5/17 21時投稿予定
お楽しみに!




