第124話 極振りヒーラー、守り神の記憶
翌朝――
簡素な朝食を終えた頃、村に慌ただしい知らせが飛び込んできた。
山道にモンスターが出没しているという。
村へ続く唯一の往来が脅かされ、物資の運搬が滞ったままになっているらしい。
知らせを持ってきた村人の顔には、隠しきれない焦りが浮かんでいた。
このままでは、生活そのものが立ち行かなくなる。
バルトは無言で地図を受け取り、テーブルの上に広げる。
山道の位置。
村との距離。
逃げ場の少ない地形。
視線を滑らせるだけで、状況は十分に理解できた。
「ここか……」
短く呟く。
挟撃の危険があり、足場も悪い。
護衛のない村人が通るには、あまりにも不向きな場所だった。
「行きましょう」
ステラが静かに言う。
ヒマワリも、すでに戦闘の気配をまとっている。
バルトは地図を畳み、立ち上がった。
「三人で向かう。山道を確保するぞ」
その言葉に迷いはなかった。
山道は細く、両側を切り立った岩壁に挟まれていた。
二人並ぶのがやっとの幅しかなく、大型モンスターが横に展開する余地はない。
その地形を確認したバルトは、迷いなく通路の中央へ歩み出た。
「俺が通路を塞ぐ。二人は後ろから頼む」
「わかった」
ヒマワリが短く応じ、ステラも静かに頷く。
やがて岩陰が揺れ、影が溢れ出した。
現れたのは中型の魔獣が六体。さらに岩壁を這う蜘蛛型が三体、上方から回り込むように接近してくる。
「《挑発》」
盾を構えた瞬間、敵意が一斉にバルトへ集中する。
狭い通路では横に広がれず、群れは前へ詰まりながら一列で突進してきた。
「《フォートレス》」
移動と引き換えに、防御力が大きく引き上がる。
バルトは重心を落とし、通路そのものを塞ぐ壁のように構えた。
先頭の魔獣が跳びかかる。
衝撃は盾に吸収され、押し込まれた力は足元から地面へと逃がされた。後続は詰まり、結果として敵は一体ずつしか前に出られない。
その後方で、ステラは静かに祈りを重ねる。
「《再生の祝炎》」
白金の炎が彼女の身体を包み、柔らかな防護の光が薄い膜となって広がった。祝福による持続回復が巡り、安定した魔力の流れが整っていく。
続けて放った回復が前線へ届く。
「《ハイヒール》」
癒やしの光がバルトへ流れ込み、削られた耐久を確実に埋めていった。
前線では、魔獣の爪が盾を叩き続けている。
重い衝撃の中でもバルトの体勢は揺るがない。
「《シールドバッシュ》!」
先頭の顔面へ盾を叩き込み、強制的に動きを止める。
さらに――
「《カウンターシールド》!」
次の攻撃を受け止めた直後、反射の一撃が発動。短刀が脇腹を鋭く突き、先頭の魔獣は光の粒子となって崩れた。
その間に、後方ではヒマワリが蜘蛛型の処理へ移っている。
「《ウィンドカッター》!」
風の刃が岩壁を走り、蜘蛛型の一体を撃ち落とす。
体勢を失った個体が地面へ落ちたところへ、
「《ファイアボルト》!」
追撃の火球が直撃し、蜘蛛型はそのまま消滅した。
残る一体が高所へ逃れようとした瞬間、ヒマワリは踏み込みながら刃に風を纏わせる。
「《ウィンドスラッシュ》!」
射程の伸びた斬撃が高所を捉え、蜘蛛型を壁から引き剥がした。
落下の気配を感じ取ったバルトが、前線から身体を捻る。
「《グランドスラム》!」
盾を地面へ叩きつけると、衝撃波が通路を走り抜け、蜘蛛型と残る中型をまとめて吹き飛ばした。
体勢を崩した敵群へ、ヒマワリが一気に距離を詰める。
「《サンダーラッシュ》!」
雷速の三連撃が閃き、崩れた敵が次々と光へ変わっていった。
そして最後の一体。
バルトは落ち着いた動きで距離を詰め、盾を振り抜く。
「《シールドバッシュ》」
衝撃とともに魔獣の動きが止まり、
「《リベンジスラッシュ》!」
直後の反撃が深く突き刺さる。
最後の魔獣が光の粒子となって消え、山道には再び静けさが戻った。
岩壁の隙間を抜ける風だけが、戦闘の終わりを静かに告げていた。
村へ戻った頃には、すでに昼を過ぎていた。
クエスト完了の報告を村長へ済ませると、バルトはその足で村外れへ向かう。
何も言わずとも意図を察したのか、ステラとヒマワリも自然に後ろへ続いた。
やがて辿り着いた祠は、想像していた以上に古びていた。
石造りの小さな社は長い年月を耐えてきたようで、表面には苔が幾重にも重なり、風雨に削られた跡が静かに刻まれている。入口は低く、大人が身を屈めなければ通れないほどだ。だが、内部は思いのほか奥行きがあるらしく、薄暗い闇が静かに広がっていた。
その奥に――巨大な影がある。
岩盤のように厚い甲羅だった。
幾層にも苔をまとい、もはや祠の一部と見間違えるほどの質量を持つ甲羅。その下から、確かな生の気配が伝わってくる。
バルトは警戒を解かぬまま、一歩だけ踏み込んだ。
次の瞬間、祠の奥から低い唸り声が響く。
空気が震え、床石にかすかな振動が走った。
明確な威嚇だった。
バルトはそれ以上踏み込まず、静かに足を止める。
「……村を守っていたのか」
問いかけというより、確信を確かめるような声音だった。
巨大な岩亀は動かない。
ただ、静かに――そしてまっすぐにバルトを見据えている。
背後でステラが小さく息を漏らした。
「出てきてくれればいいのに……」
その呟きに、バルトは視線を外さぬまま答える。
「無理強いはできない」
言葉は短いが、そこに敵意はない。
岩亀もまた攻撃の気配を見せず、ただ侵入者を測るように視線を向け続けている。
しばらくの間、祠の中には静寂だけが満ちた。
互いに動かず、しかし確かに互いを意識している――奇妙な均衡の時間だった。
やがてバルトはゆっくりと踵を返す。
背を向けても、岩亀が追う気配はない。
三人はそのまま祠を後にした。
外の光が差し込むと同時に、先ほどまでの重い気配が嘘のように遠ざかっていく。
だが、バルトの胸には確かな感触が残っていた。
あれは敵ではない。
ただ、そこに在り続ける守り手なのだと。
村長の家で茶を振る舞われ、三人は囲炉裏のそばに腰を下ろした。
素朴な香りの湯気が立ち上り、外の張り詰めた空気とは対照的な静かな温もりが室内に満ちている。
湯呑みを手にしたバルトの前で、村長はゆっくりと言葉を選びながら語り始めた。
「あの亀は、長い間この村を守ってくれていました」
懐かしさと敬意が混じった声だった。
「モンスターが現れるたびに祠から姿を現し、すべて追い払ってくれたのです。村人に危害を加えたことは一度もありません。本当に……守り神と呼ぶに相応しい存在でした」
ステラが湯呑みを両手で包みながら、静かに問いかける。
「いつから祠に籠もるようになったんですか?」
その瞬間、村長の表情に陰が差した。
「五年ほど前のことです」
短く息を吐き、記憶を辿るように視線を落とす。
「あの年、この村に大きな魔物の群れが押し寄せました。これまでで最大の規模でした……あの亀は、たった一体で群れに立ち向かい、見事に追い払ってくれたのですが――」
言葉が途切れる。
囲炉裏の薪が小さく爆ぜる音だけが、しばしの沈黙を埋めた。
「その戦いで、深手を負ったのでしょう。それ以来、祠から出てこなくなりました」
ヒマワリがわずかに眉を寄せる。
「村人が呼びかけても?」
「ええ。何度も試しましたとも……ですが応えてはくれませんでした。もう戦えないのかもしれません」
村長は苦く笑い、しかしすぐに首を横に振る。
「それでも、そこにいてくれるだけで村人は安心できていたのです。守り神がまだこの村にいる――そう思えるだけで」
その言葉を、バルトは黙って聞いていた。
湯呑みを両手で包み込み、温もりを確かめるように持ちながら、村長の語る一つひとつを静かに受け止めていく。
やがて、バルトが口を開いた。
「……もう一度だけ、力を貸してもらえるかもしれない」
声は静かだったが、不思議と確信めいた響きを含んでいた。
ステラがはっと顔を上げる。
「バルトさん?」
「根拠はないがな」
短い返答。
それ以上の説明はない。
だが、その言葉には楽観とも願望とも違う、経験から来る直感のような重みがあった。
村長は驚いたようにバルトを見つめる。
何かを言いかけて、しかし言葉を飲み込んだ。
バルトはそれ以上語らず、静かに茶を一口含む。
湯気の向こうで、囲炉裏の火がゆらりと揺れた。
夜の静寂を切り裂くように、村道を駆ける足音が近づいてきた。
荒い呼吸。石を踏み鳴らす焦った足取り。
やがて祠の前に、血相を変えた村人が飛び込んできた。
「大変です……っ!」
肩で息をしながら、必死に言葉を絞り出す。
「斥候からの報告が! 大規模なモンスターの群れが村に向かっています! 数は……今まで見たことがないくらいで……!」
その言葉を聞いた瞬間、バルトはゆっくりと立ち上がった。
迷いはない。
盾を手に取り、視線を村道の先へ向ける。
夜の闇の向こうに、まだ姿は見えない。
だが確かに、戦いの気配が近づいていた。
「……来るか」
次は5/11 21時投稿予定
お楽しみに!




