41 大賢者の油断
ユナは、『千里の伝書鳩』を拾い上げた。
目の前の地面には、白目を剥いて転がっている宰相が落ちている。
ここは、マンドラゴラの群生地のど真ん中だ。
「……」
「ユナ、この人間が私達を指名手配してた人間なのだ?」
「……そうだ。俺を探して、戦う力がないくせに魔界に押し入ってきたマヌケ野郎だよ」
「む……それは間抜けなのだ……弱い奴は、魔界ではすぐに死ぬのだ」
カフカがちょこんとしゃがんで、転がっている宰相をつついた。
「こら、ばっちいからやめなさい」
「はーいなのだ」
「うわあああ?!」
宰相が突然起き上がった。
「ナアアアアアアア」
「ノオオオオオオオ」
宰相の叫び声に驚いたマンドラゴラ達が、一斉に呪われた叫び声を上げて、宰相は一瞬で気絶した。
「うわこの人間、弱すぎるのだ」
***
ユナとカフカは、魔界のカフカの故郷の家に帰ってきていた。
さっき拾った宰相は、全然起きる気配がないので外の木に魔法で括り付けてある。
魔王候補者のカフカとユナが住んでいる村だと知れ渡ってはいるから、そうそう近付いてくる魔族はいないはずだ。
もし、宰相が通りすがりの魔族に襲われたら、まあその時はその時だ。
もし生き延びたなら、こいつにはこれから魔王になるカフカを見届けてもらう仕事がある。
ユナは、『未来視の鏡』を取り出した。
「ユナ。それが、未来を見せる魔道具なのだ?」
「……そうだよ、俺はずっとこの鏡を使って“カフカが死なない未来”を探し続けてきた」
カフカから、『千分岐の砂時計』の連れていった未来で何があったかは聞いた。
“未来の俺”が、『カフカが死なない未来』を手に入れるために、カフカと北方大帝国の皇帝を結婚させたことも。そして、カフカはそれを絶対に許さないと言ってたことも。
——未来は本当に、いくつもある。
最初、カフカは人間の戦争で死んだ。
次に、宰相に刺される未来になった。
そして、ある未来ではカフカとユナは結婚していた。
でも、また別の未来では、カフカは皇帝と結婚して、ユナは一人になった。
——俺は鏡を見ることから逃げていた。
一時期は毎日見ていたというのに。
カフカが未来に連れ去られてからは、鏡を見る余裕もないほどあちこちを飛び回っていたし、アーティファクトの未来にいるなら、カフカが絶対安全だとわかってたからだ。
その時、カフカがユナの手をぎゅっと握った。
彼女は、ユナの記憶より幾分か大人びた顔で微笑んだ。
「大丈夫なのだ」
「カフカ……」
意を決して、鏡に魔力を通した。
すると鏡は、いつものように光を反射して煌めく。
——反射の合間に、カフカが映った。
薄紫の空と、石造りの街並み。カフカは白いワンピースを着て、ユナの手を引いて駆け出す。
彼女は笑顔で、それからパンパンに膨らんだパステルカラーの紙袋を持っていた。
「ユナ! これ、魔界に街があるのだ!」
「——え……?」
カフカが楽しげな声を上げて、ユナの方を振り向いた。だけど、ユナはカフカに答える余裕がない。
どういうことだ。だって……
「未来が——変わってる……」
息を飲んだ。
前まで、笑顔のカフカは魔界の草原を走ってたはずだ。魔界に本当に街が出来るのか、これから……?
……待ってくれ。じゃあ、次の未来は?
あのカフカが刺される未来は、どう変わったんだ?!
ユナは期待して鏡を見つめる。
ユナは、この時珍しく一つのものに集中しすぎていた。長年見続けていた未来が、初めて幸福な方へ変わったから。
もしかすると、カフカはこの3日間『千分岐の砂時計』の未来に守られていたから、油断もあったのかもしれない。
——だから、探知魔法が遅れた。
「あっ」
カフカの短い声。ユナは鏡から目線を外した。
カフカの胸から——ロングソードの切っ先が飛び出ていた。
「——カフカ?!?!」
反射的に鏡を放り出して、カフカを抱きしめた。彼女は、何が起きたのか分からないような顔をして、抱きしめるユナを見上げていた。
そして、こふっと咳き込んで口から血を吐いた。
「あれ……? ごめんね、ユナ」
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だろ?
なんで、どうして。
その言葉は、あの時の“未来”の——
「ふ、フハハハハ! やった、やったぞ、ついに——魔族カフカを殺した! やりました、陛下!!」
耳障りな上擦った声が聞こえる。
ウィスペルン宰相は、血で濡れたロングソードを天高く掲げて下卑た顔で笑っている。
彼の手には、何かのアーティファクトが抱えられていた。きっとそれを使って魔法の拘束を解いたのだろう。
だけど、そんなことはどうだっていい。
「ふざけんな……」
許さない。
ユナの怒りが、殺気に変わる。
次の瞬間、放出された魔力は衝撃波となった。それは、魔法ですらなかった。
純粋な力の放出が、目の前のクズ宰相もろとも村を木っ端微塵の瓦礫に変えた。
断末魔の一声さえ、叫ぶ余裕を与えなかった。
ユナは、胸に抱きしめたカフカの頬を撫でる。持てる力の全てを使って、彼女の傷口に治癒魔法を注ぎ込む。
なあ、俺は……大賢者だ。大賢者に、使えない魔法なんて……ないんだ。
頼む、お願いだから、頼むから助かってくれ——
「今、今魔法をかけてやるから、だから」
「ふふ……心配性なのだ、ユナは。これくらいで……死んだり、しないのだ……」
カフカは、眠るように、うとうととまぶたを落とす。
やめろ、やめろやめろ。
カフカ、お願いだから。
目を開けてくれ。




