37 未来のカフカはどこなのだ?
「カフカ、カフカ」
「ううん……?」
ユサユサと起こされて、カフカは寝ぼけ眼を擦る。
「もう朝なのだ?」
「ちょっと早いけど……おいで」
まだぼんやりしているカフカは、言われた通りにユナに抱きついた。ユナはカフカを抱き上げると転移魔法を展開する。
次の瞬間、冷たい風がカフカの足を揺らした。
恐る恐る目を開ける。
視界いっぱいに、黎明の空が広がっていた。
空の天高い方には夜が、雪を被る山間からは朝が顔を出している。ちらちらと瞬く星は段々と霞んでいき、藍色の夜は、薄紫の朝に溶けていく。
空気が、澄んでいるような気がした。
カフカはユナに抱きかかえられて、街の遥か上空に浮かんでいた。
いつまでそうしていたかわからない。
気付けば空は徐々に白んで、薄水色の青空に変わった。
「夜明けを……初めて見たのだ」
「だろ? 魔界は永遠に明けない空だから。見せてやりたかった」
魔界の空はいつも薄紫で、朝も昼も夜もない。
でも、藍色の夜と、薄紫の朝がまじる夜明けは、まるで人間界と魔界が溶けて混ざりあうみたいで。
カフカはきっと、この日を忘れないだろうと思った。
***
早起きをしたからなのか、宿に戻ったカフカは起きていようと思う気力とは裏腹に、昼すぎまで眠りこけてしまった。
「う……」
『千分岐の砂時計』の猶予は決まっているのに……!!
寝るのはどこでも出来るのに……ぐぬぬ。
砂時計の猶予は、きっとあと1日とちょっとしかない。
しかめっ面をするカフカのことを、ユナは楽しげに眺めている。収納魔法から、昨日買ったお菓子の紙袋を取り出して、クッキーの箱を開けるとひとつ差し出してくれる。
「ほら、機嫌直して」
「む……」
カフカは素直に口を開けると、クッキーを頬張った。
……美味しい。
ユナは空中からティーセットを取り出す。そのままポットを傾けると、湯気の立つ紅茶がティーカップに注がれていく。
「いつの間に紅茶を収納魔法に入れてたのだ?!」
「まあ、こんなこともあろうかと」
本当に便利すぎるのだ、収納魔法。時間が止まるのって便利すぎてずるい。
「今日はどこに行きたい? 観光地でも行くか?」
「ううん。ユナの家に帰りたい」
「……出かけなくていいのか?」
「うん」
そのあと2人は、この街に来た時と同じように、乗合馬車に乗ってユナの家に帰った。
***
カフカは、キッチンに立つユナの背中を眺めていた。テーブルにだらんと身を預けて、料理の音をぼんやりと聞く。
顎をテーブルに乗せたまま、リビングをぐるりと見回す。
温かみのある木を組んで作った、いい香りの壁。
落ち着いた木製の食器棚。
小さめのテーブル。
それから、ユナが立つキッチンもこじんまりとしている。
相変わらず、人間の作った冷蔵庫とかいう魔道具もどきが置いてない。ユナは収納魔法でなんでも済ませられるものな。
——この家は、2人で住むには少し小さいような気がする。
カフカは席を立った。
「カフカ、あと10分くらいで出来るぞ」
「わかったのだ、それまでには戻るのだ」
ユナの背中に答えると、リビングを出た。隣の寝室に入る。
品の良さそうな、ちょっとした調度品が置いてある。
小さな棚。引き出しを開けてみたけど、中は空っぽだった。
壁にかかっている絵は、誰な有名な作家のものだろうか。カフカは芸術に詳しくない。森なのか、その絵は抽象的すぎて、カフカには緑色の何かということしかわからなかった。
ベッドも、いい香りのする木で出来ているらしかった。ふわふわの布団と、大きな長枕。
枕は大きいから、確かに2人で並んで寝ても邪魔ではないけど……
やっぱり、違和感は捨てられなかった。
——ねぇ、ユナ。未来の“カフカ”はどこにいるのだ? 一緒じゃないのか?
***
すこししてリビングに戻ると、少し甘めのいい香りがする。
「いい匂いなのだ」
「シチューだ、好きだろ?」
ちょうどユナが、鍋をテーブルに置くところだった。テーブルに身を乗り出す。
鍋からはもくもくと湯気が立ち上っている。白くてとろみのあるスープに、色とりどりの野菜が浮かんでいるのが見えた。
カフカは昔ユナが、初めてシチューを作ってくれた日のことを思い出していた。ポタージュに似てるからきっと好きだと思う、と言って。
あ、そうだ、パンをシチューに浸して食べると美味しいって教えてくれたのだ。
カフカが席に着くと、ユナはパンの入ったバスケットを置いた。
——あの日と同じなのだ。
もしかしたら、シチューとパンの組み合わせがただの定番なのかもしれないけど。
それでも、カフカはなんだか幸せだった。
「ユナは、スープを作るのが上手なのだ」
「前世でもよく作ってたからな。北方諸国は寒いからスープが美味かったんだよな」
カフカはパンをひと口ちぎると、シチューに浸して口に入れた。
やっぱり、あの日みたいに美味しい。自然と頬が綻んだ。
「ユナは好きな食べ物はあるのだ?」
「そうだな……カフカに会うまでは食べれればなんでもいいと思ってたからなあ」
「ポタージュは? ポタージュは好きか?」
「ふっ、そうだな、好きかもな」
そんな他愛のない会話が続く。
カフカは何度か言い出そうとして、なぜかやっぱり言い出せなくて、そのまま食事は終わってしまった。
——未来のカフカはどこにいるのだ?
一緒じゃないのか?
たったそれだけの言葉なのに、どうして。喉が詰まって、口に出せない。




