3 大賢者(予定)との生活はちょっと楽しい
その日から、カフカの日常はすこし楽しいものへと変わった。
相変わらず部屋の前には見張りのメイドがいるものの、もうべったりと張り付いて身の回りの世話をしてくるメイドはいない。
まあ本来であれば——次の従者となったユナがその仕事全般を請け負うはずなのであろうが……
カフカとユナはベッドにごろりと転がって、何時間か目のおしゃべりに興じていた。
「カフカ、あんたほんと部屋から出ねえのな」
「出る意味がない。会う相手もいないのだ」
カフカの白金の髪は結い上げられず、ベッドの上に広がったままだ。なんならドレスも寝巻きのシンプルなものから着替えていない。
「それよりユナ! 続きを話してくれ」
「はいはい……えーと、そう。精神魔法の応用だけど——」
ユナは時折、実践としてカフカに魔法をかけながら、精神魔法の使い方を教えてくれていた。
一体、彼は何歳なのだろう。なぜ人間の子供なのに、ここまでの魔法を使いこなせるのか。
「だからあんたは、直接的すぎるんだって。幻覚を見せるなら……演技もしろ。その魔法が幻覚だと思わせんな」
「むむむなるほど、難しいのだ」
「それを活かせば……例えば、自分の幻覚を出しておいて、殺されたと思わせ、逆方向から攻撃できる」
「ふむふむふむ」
それから何時間かして、ユナが身支度を整えると部屋から出ていく。
「なんか食べるもの調達してきてやる。あんたは教えた魔法の復習でもしてろ」
「分かった」
閉じる扉を見送ったあと、カフカはベッドに仰向けに寝転がった。
ユナが従者になってからというもの、嫌だった重たい枷のようなアクセサリーはしなくて済むし、何より食事の文化レベルが上がったのが嬉しかった。
——魔族だからといって、生肉ばかり食べるはずがないだろう。人間は私たちのことを知らなすぎる。
だがまあ、それも仕方ないのか。
「……魔族のことを理解していれば、『人質』なんて意味がないとわかるものな」
魔族に、仲間が嫁に行ってるから人間を襲わないでおこう、なんて殊勝な感情があるわけないのだ。
そもそも仲間だという認識さえないかもしれない。
——魔界で暮らした800年、カフカは逃げ隠れて生きてきた。
母の顔は知らない。100人はいた兄弟のうち、生き残ったのは数人しかいなかった。
人間界に来て知ったのだが、魔族は魚や虫に似ている。どうせ死ぬとわかっているから、大量に子供を産む。人間みたいに丁寧に、1人を16年もかけて育てたりしない。
「せめて、魔王がいる時代に生まれていれば違ったかもしれないのに」
カフカが、手をシャンデリアにかざしてぼんやりと呟いた時だった。
「誰がいるって?」
「ユナ!」
カートを押したユナが、部屋に入ってくるところだった。暖かい食事の香りがカフカの元まで流れてくる。
「いつも思うのだが、どうやって食事を作らせているのだ? 私のために食事を作る料理人なんていないだろう」
「まあ、ちょっとな」
「ふふ、なんだそれは」
パンをちぎり、スープを口に運ぶ。この甘めのポタージュが、カフカのお気に入りだった。
ユナも、椅子に雑に腰掛けながらパンを齧っている。たぶん、従者として相応しくないとは思うのだが、カフカは人間のマナーに詳しくない。
「それで? 何をひとりでブツブツ話してたんだ」
「いや、私がもし魔王のいる時代に生まれていれば、まだ魔界も過ごしやすかったかと思って」
「……魔王?」
カフカが素直に話せば、さすがのユナも知らない、と首を傾げる。
いつもなんでも知っている顔をしているユナでも、知らないことがあるのか。それを知っているのが、なんだか気分がいい。
「魔王は、魔界でいちばん強い奴のことなのだ。魔族全員で殺し合いをして、魔王を決めるのだ」
「……それって、魔王が決まる時には魔界に魔族残ってねえんじゃ」
「そうとも言う」
カフカは自信満々に答えた。
「そもそも、魔族が残っている必要はないだろう?
だって、自分が最も強いとわかればいいのだ。全員を殺せたなら、生き残ったひとりがいちばん強いことになる」
「げ、なんだその蛮族の考え方」
ユナが明らかに引いた顔をした。
仕方ない、人間と魔族とではルールが違うのだから。
「まあでも、大抵は明らかに強い個体がいたら、もう誰も挑まなくなる。私みたいな魔族は争いを避けて隠れているし」
「それで、今は魔王が決まってないから、全員で殺し合いしてるって言うのかよ」
「そう。だから今魔界の治安は最悪に悪い」
そう言ってから、カフカはメインディッシュの白身魚を口に入れた。柔らかい白身がほろほろと口の中でほどける。酸味のあるソースが絡んで実に美味だ。
「その話は……人間のお偉いさんが知ったらとんでもねえことになるな」
「人間は魔界のことを、都合のいい“遊び場”だとおもっているものな」
「ダンジョンの利権争いで揉めてるって聞くぜ」
「全くバカバカしい。魔界は人間の持ち物ではないというのに」
カフカはフン、と口をとがらせた。だが、無関係とは言えないのだ。
なぜなら、カフカが嫁いだグランダ公爵家はちょうどその利権争いの真っ只中にいるのだから。




