28 大賢者の夢想
ユナは、テーブルに気怠く体を預けながら砂の消えていく砂時計を指先で弄んでいた。
砂の量はもう、2/3ほどに減っている。
「カフカ……あんたはどんな未来にいるんだ?」
机に置いてあるマグカップから湯気が上がっている。ひとりきりの部屋に、ポタージュの甘い香りが漂った。
カフカ。……はやく、戻ってきてくれ。
ユナは思考を巡らせるうち、いつの間にか深い眠りに落ちていった——
***
「ユナ? なんだ、どこかに行ってしまったのかと思ったぞ。こんな所にいたのだな」
……今となっては聞きなれた声が聞こえる。
眩しい。ユナは木漏れ日の中で目を細めた。
白金の絹のように真っ直ぐな長い髪に、ふわふわと広がる生成のドレス。そして、ユナを真っ直ぐに見つめてくる、宝石みたいなペリドットの瞳。
彼女は、まるで天使のように美しい姿をしていた。だが、彼女の耳は尖っていて、微笑む薄い花びらみたいな唇から小さな牙がのぞいている。
「……君は?」
ユナの意識とは関係なく、言葉が漏れた。
彼女は、ふふっと小さく笑った。それはまるで、じゃれるみたいに。
「なんだ、旦那様。愛しい妻のカフカの顔を忘れたとでも言うのか? それとも……昨日、チェリーパイをこっそり全部食べちゃったのをまだ怒っているのか?」
申し訳なさそうに、というよりはいたずらを何とか誤魔化したい子猫みたいな顔で、カフカがこちらを上目遣いで見てくる。
……ああ、“未来の”カフカはこんな顔もするようになるんだったな。
ここで、ユナはこれが夢なんだと気付いていた。しかもただの夢じゃない。
これは——あの、『千分岐の砂時計』があの日連れて行った未来だ。前世で見た、あの3日間をまた俺の夢が見せてきている。
これを初めて見た時は、一人で生きる決意をした冷たい大賢者だった。でも俺は今、もう彼女に恋をしている。
自分の意志と関係なく目頭が熱くなる。この未来が、俺の全ての始まりだった。
「……なんだ、チェリーパイ? そんなもの覚えてもねえよ」
自分の不機嫌な声が聞こえる。
これは夢だ。だから今のユナは話すことができない。ただ、前世で砂時計に連れ去られた当時の言葉を、もう一度聞いているだけだ。
……我ながら冷たい男だな。お前大賢者だろ?! ここが未来だってことも、何が起きてるかもすぐ察知してたくせに。彼女に合わせるぐらいしやがれ!
だけど、カフカはむう、と口を尖らせるとユナの手を抱きしめて無理やり立ち上がらせる。
「……そんなに怒らないで欲しいのだ。チェリーパイならまた作るから……」
そうして、カフカはユナの腕をぎゅっと抱きしめたまま歩き出す。
サラサラと、植物の擦れる音が聞こえた。
薄水色の空が広がっている。2人は、よく晴れた小麦畑の小道を進む。
……ここは、どこか人間界の田舎なのかな。空の色は紫じゃないし、小麦が育つなら北方諸国じゃなさそうだ。
「……チェリーパイの他に、なにか作れんのか?」
ユナが、そう問いかけた。カフカはそれを聞いてぱあっと顔を輝かせる。
「じゃあ家に帰ったらミートパイを焼くのだ! ユナはお腹がすいていたから怒ってたのだ?」
「バッカ、あんたそれ結局パイじゃん」
「む……?」
「ふっ、なんでもねえよ、楽しみにしてる」
……ああ、そうだ。カフカは、そういう奴なんだよな……ちょっと天然で、子供っぽいところがあって、それが可愛くて仕方ないんだ。
って、だからユナ!! お前ここは頭撫でるところだろ!
今更言っても仕方ない。前世のユナがしなかったことは、体験できないんだ。
今の俺なら、カフカにもっと触れてるはずだ。抱きしめて、頭を撫でて、もっともっと甘やかしてやりたい。
だって“この未来”は、有り得る可能性のうちの一つなんだ。ただの、妄想じゃない。
あの、『戦争で死ぬ未来』でも、『宰相に刺される未来』でもなくて、『ユナと結婚する未来』なんだよ。
……やっと、幸せになれた世界線の未来なんだ。
今のユナは、2人の生活をただ眺めるしかできない。
2人は連れ立って歩いて、小さな赤い屋根の家に入った。
「貸せ。……ミートパイは、時間かかるだろ? 明日食べる」
ユナが、キッチンに向かったカフカから、フライパンを奪い取った。
「ユナがご飯作ってくれるのだ?! えへへ、久しぶりなのだ」
「最近は、あんまり……作ってやれてなかったな」
「仕方ないのだ……ユナは、みんなの大賢者だから。お仕事が忙しいのだ」
カフカの寂しそうな声音を聞いて、今のユナは唇を噛む。今いるのが俺だったら、抱きしめて、それから仕事なんて辞めてやるのに! いや、辞めたらカフカを養えないな。それはダメだ。
当時のユナは、寂しそうなカフカの頭を軽く撫でただけだった。
「あっ、そうだ“目玉焼き”にはもう騙されないのだ」
「ぷ、なんだそれ」
「ユナが忘れても、私は覚えてるもん!」
……ああ、そうか、この未来のカフカは、俺と暮らしたカフカの、その先の姿なんだ……
前世のユナは、目玉焼きのことなんて知らなかった。でも、今のユナならわかる。
そうだな、俺がふざけて揶揄ったんだ。
カフカは、なんの目玉だ?! って本気で怯えてたっけ。
そう、それで前世の俺は……魔法で収納しておいたソーセージを焼いてやったんだ。あとじゃがいもを炒めて……
そして思い出した。
ポタージュを、入れてやった。
本日は、21:00までに33話まで投稿します!




