15 大賢者の動揺
埃っぽい部屋に、白い朝日が差し込んでくる。
昨日の吹雪が嘘のように静かな夜明けだった。
ユナは、自分の腹の上に足を上げながら眠っているカフカの下から、そっと這いずり出す。カフカは、うんうん唸って、ごろりと寝返りを打つと、また静かに寝息を立て始めた。
彼女はあんまり朝が強くない。
公爵家にいた時も、今も、先に起きて朝食を用意するのがユナの日課だった。
料理をしようとガラス棚に向かって、そこでユナは足を止める。
引き出しを開ければ、13年前と変わらぬ1枚のカードがあった。鈍い金属光沢のある手のひらサイズの、北方諸国認定探索者のギルドカード。
そこには、『1級魔術師 ユナス・ワーグナー』と書いてある。
——考えなかった訳じゃない。
カフカを連れて逃げるなら、ダンジョン……魔界が、1番最適になるだろうとは思ってた。
ガロリア王国がダンジョンを狙わないわけはない、それでもユナには勝算がある。
ダンジョンの最深部は、認定探索者ですら命を落とすような危険な場所。並の追っ手が辿り着けるはずがない。
だけど……大賢者のユナなら、行ける。
それでも、ユナがダンジョンを後回しにしていたのは理由があった。
カフカが、ダンジョン……魔界について考える時、いつも暗い目をしていたからだ。
『殺されるかもしれない、兄弟のほとんどが死んだ。母の行方は知らない』『魔王が決まるまで、魔族全員が殺し合う』
彼女は、人間界の方が魔界よりまだマシだと思ってる。
そんな場所に、連れて行っていいのか——?
「ユナ」
カフカの寝ぼけた声がして、慌てて引き出しにギルドカードを突っ込むと振り向いた。
なんでもない風を装って声をかける。
「おはよう、カフカ。今日は早起きだな」
「んん……おはよう、ユナ。食事か?」
「ああ、今目玉焼きを焼いてやる」
「め……目玉焼き……? ……何の目玉だ」
「ぷっ、アハハ! そうだなあ、恐ろしくて美味いぞ。座って待ってろ」
「む……?」
カフカは疑った顔をして、しぶしぶ椅子に着く。
《魔族に生肉を出していたのは……自分らも、目玉を食べるような種族だからだったのか? む……》
絶対に違う。
違うんだけど、間違ってるカフカが何だかいじらしくて、あえて説明せずにおいた。
ああそうだ、そろそろ精神魔法の遮断のやり方を教えないとならないよなあ……
ユナは上機嫌で、ガラス棚から鉄製のフライパンを手に取った。手のひらから、収納魔法を展開して油さしと茶色い卵を取り出す。
収納魔法なら、時間が止まるから腐らない。物ぐさなユナは、収納魔法をリュック代わりにも、冷蔵庫代わりにもしている。
問題点をあげるなら、ユナ以外がものを取り出せないことだが……まあ問題ないだろ。カフカがなにか欲しがれば、俺が取り出してやればいい。
そんなことを考えながら、コンロに火魔法を飛ばした。
卵をフライパンに落とすと、ジュワッと小気味いい音が響く。
背後から、カフカが怯えている気配がして何だかおかしい。
そうだよな、今俺がなんかの目玉焼いてると思ってるもんな。
ついでにポットでお湯を沸かす。
手のひらから小瓶を取り出すと、マグカップに中身の粉末を入れた。
街で売ってるポタージュの素だ。魔法で冷却乾燥させて砕いた粉末で、お湯をかければ元に戻る。
生活魔法って、よく考えられてるよなあ……魔力操作で言えば街の魔術師の方が、俺達戦場の魔術師より器用かもしれねえ。
そうこうしているうちに焼きあがった目玉焼きを皿に移して、テーブルに運ぶ。
「な……たまごではないか!!」
「な、恐ろしいだろ?」
ふたつ並んで目玉のように見える卵をみて、カフカが吠えた。嘘は言ってない。
なんの目玉か、俺は教えてないからな。
バスケットにパンを入れてからテーブルに置く。
マグカップも置けば、カフカの機嫌はたちまち治った。
前に俺の真似して食べてから気に入っているのか、カフカはパンをポタージュにちょっと浸して食べる。
大した料理はしてねえけど、自分の作ったものを喜んでもらえるのは悪くない。
「卵を付けても美味いぞ」
そう言って、半熟の目玉を割って、黄身をパンですくって食べてみせる。
カフカが目を輝かせて、早速真似して口に入れた。
「む! これは美味しいのだ! ……でもちょっと薄い……」
……うちのお嬢様は舌が肥えてるな。
次街に出た時は、卵に合うソースを見繕ってやるか。
***
「……で、認識阻害の魔法ってのはふたつの技術がある。ひとつは、意識を別の場所に向けさせること。もうひとつは、自分を背景に紛れさせて見えにくくすることだ」
食事の後、ユナは約束通りカフカに新しい魔法を教えていた。2人は、積もった真っ白な雪の上で立っている。
「うむ……昔ユナがメイドに私を家出だと信じさせたのが1個目で、検閲や魔術師団の前で使ったのが2個目だな?」
「まあだいたい正解。よく覚えてるな。実際には同時にやることが多いけど……じゃあ、今やってみるからよく見てろ」
そう言った途端、目の前のユナの印象が消えた。カフカの本能が、魔法の発動を検知している。
目の前にユナがいるとわかっているのに、なぜかユナは部屋の中で紅茶を飲んでいる、そう思ってしまう。目の前のユナを見ようと目をこらしているのに、靄がかかったように見えない。
ふと思いついて、カフカはそっと目を閉じて、探知魔法をかけた。
……やはり、ユナは目の前にいる。
「そうだ、探知魔法を使えば認識阻害の魔法は破ることができる。よく出来たな」
ユナの声がして、目を開ければ靄は消えていた。
「意識を向けさせるのは幻覚の応用だ。実際に幻覚を出さなくてもいい。ただ、相手の意識に刷り込ませろ」
カフカは、ユナの声を聞きながら魔法を練ってみる。そうだ、今カフカは……ユナに抱っこされている。
「それから、探知魔法の応用で……自分の気配を自然に同調させろ……目立たないようにするんだ」
目立たないのは得意なのだ。隠れていないと死んでしまうのだ。
ふっ、とカフカの気配が消えた。今、カフカは風なのだ。これはカフカじゃないのだ。風なのだ。
「——カフカ?!」
その瞬間、ユナに肩を掴まれた。目を瞬く。
魔法が強制解除されるのがわかった。
「……ユナ? どうしたのだ? ……間違えたか?」
「いや——そんなことない、カフカは姿を隠すのが凄く上手だな」
《本当に、いなくなっちまったのかと思った》
焦り、それから——悲しみ。
カフカの魔法が、ユナの珍しく動揺した感情を拾った。
この後、21:00にもう1話投稿します。




